音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.45 hob-No42
2023年7月29日 更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
45 42 1770−71 D 4 -  -  - - (1) B Moderato e maestosoの表示通り堂々とした大規模なソナタ形式。
       1 D Moderato e maestoso
       2 A Andanntino e cantabile
       3 D Menuet&trio, allegretto
4 D Finale,Scherzando e Presto
 初めて聴く人に、中後期の交響曲のひとつと勧めても遜色はない。No.41と比較して協奏曲風のsoloの活躍は余りないが、その分、第1楽章から大規模に近いソナタ形式で、たっぷりと交響曲として堪能できる。提示部では第1主題と第2主題との調性は元より旋律の対比がある。提示部の終わりにかけて長い経過部から終結部にかけての締まり具合。展開部では第2主題も含めた数多くの動機が扱われた展開。再現部では短いながらもcodaがある。展開部から再現部の繰り返しがないが、演奏時間も長くcodaを伴い規模が大きい。(その後、スコアで確認してみたら、提示部と展開部から再現部での2箇所は繰り返しに指定があった)ModeratoでAllegloよりもゆっくりとしたテンポとmaestosoの様に堂々と、しかもたっぷりと聴かせてくれる。 
 Andanteでは弱音器つきのvn.と、この頃には珍しく管楽器が入っている。第1楽章と比較しての調やテンポ、音色の対比がある。各楽器(vaを含む)の細かい動きが対位法的な旋律が多く、これをひとつとっても注目に値する。
 Menuetのtrioでは、管は休みで各弦のsoloがあり。主部との対比がある。Finaleは、ロンド風の変奏曲。テンポと調性は、ほぼ同じだが、主旋律が各楽器にも受け渡されている。またfg.がsoloに近い旋律としても活躍する。主題や構成がNo.55のFinaleにも類似。ネーミングがあれば、もっと人気があったかもしれない。No.38と別な意味で、この頃のベストの1曲としたい。
 ドラティ盤は、テンポがゆっくり。音の強弱や楽器の扱い方などNo.38と同様に、フィッシャー盤の方を勧める。
(2019年12月31日追記 タグとして2011年1月5日とする)
2011年1月10日 ディビス盤を聴取。
演奏時間は約34分にもおよび今まで一番、長い演奏となる。今回はスコアを見ながら聴取。第1楽章は、スコアでは展開部と再現部は繰り返しの指示がある。今ままでこのディビス盤を含めて、3者を聴取したが、この後半の繰り返しはなし。提示部と展開部がかなり長いため、後半の繰り返しがもしあった場合、やや冗長になる可能性はあり。それでも演奏時間はディビス盤では長い。
 cmb.が入っているのは従来通りであるが展開部で驚くほど、独自の動きがある。第1主題の擬似再現の後、第2vn.以外の弦は、94小節から持続音に終始する。第2vn.のみ4分音符の動機があるが、ここではむしろcmb.を独壇場で、独自の動きが13小節にも渡ってある。フィッシャー盤では、もともとcmb.がないので、この様な特徴はない。
 また、注意深く聴いてみないと分からなかったがvc.とcb.の分離がいたるところにある。音量で小さい箇所はcb.を離しているところも分かる。va.は、まだ独自の旋律は余りないが、所々、かなり高い音域まで演奏している箇所もある。maestosoの堂々とした雰囲気は、この楽章のみを取ると、ディビス盤の方を推薦したい。
 第2楽章は、テンポがフィッシャー盤以上にかなり遅くなる。特に展開部に入ってからは、引きずるような雰囲気。展開部と再現部の繰り返しあり。弦楽器が中心であるが、所々に管が目立つように入っているので、効果的。Hob−No.の一つ前の41と調性は異なるが、雰囲気は似ている。ただ、No.41の方は、古典的な典型と思うが、こちらの方は、ややユーモアに富んだ、雰囲気の箇所が多いと思う。スコアでは、fg.のパートは第3楽章までは特に指定はない。しかし、Finaleの最初に近い箇所で、vc,の段に敢えて、fg.の明示がある。このfg.の影響も大きい。
 エステルハージ楽団のための時代から、大衆へ広めていくための交響曲をどのあたりから、目指していたのかが、一番の命題であると私なりに思っている。この交響曲のFinaleを聴いてみて、繰り返しがありながらも変奏曲が、布石の一つになっていると思う。
2011年6月5日スコアを見ながら3者の演奏を聴取。vc.とbass.の分離は至るところにあると記載をした。第1楽章の冒頭から早くも、分離の箇所があるのは、びっくりする。No.57も同様に同じD調。序奏はないが、vn.はNo.57と同様に余り、高音域には到達していない様だ。
 一つ前のNo.41とこの当時の代表曲の双璧をなすと記載をした。古典的な様式は、ほぼ同じであるが、転調の妙味を堪能できる。井上著「ハイドン106の交響曲を聴く」にも、この転調の妙味の記載があった。小結尾部から展開部にかけての、擬似再現を含む目を離さない転調は印象的。
 Menuetのtrio.はスコアでは弦soloの指定はないが、フィッシャー盤は、各soloが心地よい。 Finaleはロンドと変奏曲の両者を取り入れた形式を初めて採用していると思うが後年のNo.55のFinaleを予測される。

 ドラティ盤のテンポがゆっくり目であることは前記した。第1楽章のテンポが特にフィッシャー盤と対照的で、Moderato のテンポを忠実に守りAlegloとは異なるゆっくりとしたテンポ。大規模なソナタ形式の要因は、提示部と再現部の長さにあろう。展開部はそれほど長くはないが。それに対して、再現部はかなり拡大されて展開されている。
 低弦の独自の動きがあるが、第1楽章は元より第2楽章でも対旋律がある。この曲や一つ前のNo.41の曲を含めて、モーツァルトの交響曲と伝えても、それほど違和感は余りないと思う。(ただしFinaleは、モーツァルトとは全く対照的なので除く。)第2楽章の管と弦のユニゾンの音色の変化もNo.41と同様に聴き所。(提示部では、弦のみだが、T48で管楽器が加わる、再現部ではob.が加わる。)

 
2012年2月23日追記、この第2楽章は、作曲番号順から聴き始めると、この後のhob‐No-43と同様に弱音器を付けたvn.が定番となっている。しかし対旋律の美しさなどはランクをBとしている点は、注目に値すると記載をしてきた。
 井上著の本では、「現存する自筆楽譜には、ハイドンが一度書いて消してしたところに、「これはあまりにも特別な耳のためのものだ」と書いてあるという。ハイドンはプロの耳と一般大衆との耳の違いを考えて作曲していたのである。 この記述には合点はいく。交響曲の分水嶺と共に、興味深い記載である。
 初め聴く交響曲としても遜色はないと冒頭に記載をした。これはFInaleにも当てはまる。fg.を含めた流れるような雰囲気は、もはや中期以降の交響曲と変わりない。
 石多著「交響曲の生涯」にも、この第2楽章に関しては、記述がある。「これは、訓練された耳の持ち主のためのだった」  この箇所は始めは複雑な転調をする3小節を置いたという。どの箇所だったか興味があるところだ。
2013年6月2日 追記。ホグウッド盤を聴取。ランクを高く評価していた、No.42は、通しNo.からすると、hob-No.‐43よりも前になる。しかし通称名をつけるなら、むしろNo.42の方が、ふさわしいと記載をしたように、No.42の後から聴取をする。
 ホグウッド盤では、第1楽章のテンポはAllegloに近い速いもの。じっくり聴かせてくれない分、流れるような点を重視。弦楽器の特に、vc.がいたるところで、bassと分離して独自のパートを受け持っているが特徴。この演奏では早くもその細かい動きが聴き取れるが圧巻はT9の部分。ここでは、vc.とbassとが一緒の旋律となり、g.がbass.と一緒の音程で参加。今まで聴き通してきた中で、fg.のパートが目立っていなかったので、びっくりする。(fgはfinaleで,少しであるが、独自の旋律を受け持つのも注目)
 第2楽章も思ったより速いテンポ。No.43と同様に弦楽器が主体。再現部で管楽器がsoliを受け持ち、提示部と違う音色を聴かせてくれる手法は、後半の交響曲でも、しばしば採用される手法。交響曲の分水嶺について前記したが、この部分についても当てはまる。明るいD調で流れるように、転調を適宜繰り返しながらの雰囲気の高い評価はホグウッド盤でも変わらず。もう少し注目されても良いとあらためて思った。
2013年9月24日 追記。 ヴァイル指揮のターフェルムジークの演奏を聴取。編成でcmb.は入っていない模様。(これまで4曲を聴いてきたが、それまでは、他の楽器に気をとられて、cmb,の有無まで、気が回らず。デイビス盤で展開部の真ん中辺りで、独自の動きがあったので、この有無が気になっていた)No.42と比較して、緩徐楽章が管楽器の使用一つをひとつをとっても、細かくなっている。通して聴くとこの違いがよくわかる。古楽器を使用しているわりには、ホグウッド盤と比較して細かい音の掛け合いが、やや分かりにくい。
2016年6月28日 ブリュッヘンOrchestra of The Age of Enlightenment  No42を聴取。No.52に類似して、交響曲の分水嶺に位置する曲。No.38から引き続いて聴くと、その特徴が良く分かる。第1楽章はAlleglo maestosoの指示で、重厚な演奏を聴かせるところがポイントになる。trp.とtimp.は入っていないが、その分hr.が厚みを加える。T77の小結尾の旋律が最後は、T19からhrが高々に占めくくる部分が印象的。
 

2017年1月1日T ピノック No.42を聴取。No.41よりも作曲年代が数年ぐらい空く。井上著にも記載してあったがNo.41は、古典派の交響曲として典型的な曲なので、ハイドンの自由な転調や意外な旋律などは影を潜めている。一方。こちらの方は、自由な転調や仕掛けがあり、かなり楽しめる曲のひとつ。
 共通コメントにも少し触れたが生前に出版された曲の内、この時代で早くも何度も出版されているのが第41番。分かりやすい曲のひとつ。一方その次のNo.42は出版数からして、少しランクが落ちるかもしれないが、何度か聴いていく中では注目に価する曲の一つ。
 第2楽章の再現部で第2主題が再登場する部分のT147。提示部では、この旋律は管楽器では全く登場しない。一方この部分から、ob.を中心に管楽器が第2主題を受け持つ。この楽章で一番の聴き所の部分。ピノックの演奏は、弱音器をつけた第1vn.のはob.より1オクターブ下の旋律となっている。2つのvn.パートは極力、音量を落としてob.の旋律を生かしているのが印象的。
 

2017年3月3日T.ファイ No.42を聴取。本CDの3曲目。第1楽章のModerato e maestoso 指定の通り、堂々たる雰囲気をどの様に表出させるかが、ポイントのひとつ。冒頭から左側に位置するvc.の旋律が明白に聴こえる。展開部T93からの部分。デイビス盤では、ここからT100までcmb.が第1主題の旋律を装飾しながら演奏する。ファイ盤はcmb.がアルページョ風に登場。提示部及び展開部―再現部の後半は忠実に繰り返しを採用する。第1楽章だけで13分余りの長い時間であるが、くり返しの部分は過去の同様に装飾を加えるなど飽きさせない。

井上著や下記のkanzaki サイトにもこの第2楽章について、自筆楽譜にハイドン自身が「あまりにも訓練された耳のため」だとして削除した部分もある。

http://www.kanzaki.com/music/perf/hyd?o=Hob.I-42

この時期当たりから緩除楽章では第1.2vn.は弱音器の使用が増えてくる。この曲もその一つであるが、冒頭からファイの演奏は主旋律 ユニゾンの第1,2vn.の音量をやや落としva.と低弦も同様に音量を上げている。va.と低弦は、vn.と違って弱音器を使用していない。この編成で演奏すると弱音器をつけているvn.はva.と低弦に負けてしまう。このため今までの演奏は、冒頭から主旋律を目立たせるため、va.と低弦の音を落とすことが多い。
 一方 ファイの演奏では、va.と低弦は同じ様な音量で演奏している。va.と低弦は冒頭では、余り旋律の大きな動きはない。しかしその後、対旋律としての役割を次第に持つなど重要な役割を持つ。例:展開部T85当たりから独自の動きなど。
 削除をした部分は、このT100当たりではないかと私は思う。ファイの演奏は第1vn.が次第にテンポと音量を落とし悲壮感を強めている。この当たりの部分ではva.と低弦もvn.と同じように音量を落とす。しかしこの当たりの個所でva.と低弦を含めた楽器のバランスの音量が良い。第1楽章と同じ様に13分余りの演奏時間を要し、全ての繰り返しを採用。No.42はこの時代の作曲された曲の中では、生前から出版され人気にあった曲のひとつ。
 同じD調で少し後のNo.57と比較してみると興味深い。この緩除楽章は G調で弱音器を使用。しかし曲の雰囲気は明るい個所が多く、聴取者にも分かりさを重視している雰囲気。これに対してこのNo.42の緩除楽章は転調の個所も多く、細かいところまで丁寧に作曲されていると思う。ファイの演奏は、この微妙なニュアンスまでも旨く表現していると思った
 
2019年3月24日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 42番を聴取。ひとつ前のNo.41から数年間の作曲年の開きがある。しかし作曲スタイルが明らかに冒頭から変わっているのが分かる。No.41では、fg.の存在が余り分からず、目立たなかった。冒頭からのvc.とbass.の分離にあわせて、fg.が明らかに入っているのがこの録音でも分かる。
 展開部の擬似再現の後、T111で2つのvn.は冒頭の動機を転調して演奏する。Ob.は持続音で同じ音程で支えるが、この箇所でもob.は弦とのバランスが良い。しかもob.同士がパートで分かれているのが良く分かる。
 第2楽章も、かなり丁寧に作曲されている。No.28の第2楽章と比較してみると興味深い。調性は異なるがvn.は弱音器を使用。冒頭から比較的低音域から始まり低い音量での音色を押し出しているのは共通している。No.42の方は、楽器編成は弦楽器でなく管楽器も入る。リズムやテンポ、管楽器の役割が多い。後の疾風怒濤期の緩叙楽章を予感させる。再現部でのT147でピノックでは、vn.は音量を落として、管楽器が再現する主題を目立たせる点を記載した。(以下のブログ)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-658.html

メルツェンドルファーでは、必要な箇所ではob.を強調するが、意外にもパートが対等に近い。緩叙楽章は概して遅めのテンポが多いが、この楽章はむしろ速め。しかし違和感はない。録音は他の楽章でも良い。特にfg.が入り低弦の分離感も良好で、ダイナミックレンジも広い方。No.41と比較して、好録音にも恵まれて推薦したい曲のひとつ。
 2019年7月27日 42番 ジョヴァンニ・アントニーニ イル・ジャルディーノ・アルモニコ を聴取。第3集の最初になる。第1,2集までは同じCDの中で、作曲順に聞いて来た。このため初期の頃の交響曲は最後の方になる。元々この全集は、シリーズ化を目指して、テーマごと選曲されていること。一度に全集が発売されていない。このため指揮者などの意図を考えると、収録順のほうが良いと思った。このため今回から収録順に聴取する。この第3集も下記のブログにレビューがあり絶賛されている。

https://haydnrecarchive.blog.fc2.com/blog-entry-1482.html

第2集 No.47の第1楽章の冒頭で、弦楽器の重音について記載をした。ここでも同じ様に重音があるが、各重音が均等ながら、切れと迫力があるのは同様。切れに関して弦楽器のトレモロは、この楽章でも随所にある。冒頭の第1主題を経て、T39からの部分。T38までは、第2主題のスラーを伴う8部音符の柔らかい旋律が支配。T39では、低弦はスラーの旋律があるものの、2つのvn.は鋭い切れのあるアクセント。低弦との対比も印象的。
 
上記のブログには、各楽章の間合いについて記載があった。第1と第2楽章の間は、ある程度の間合いがある。地方に住んでいることもありライブの演奏会に行く機会は殆どない。CDの普及している現代でも、やはりクラッシック音楽はライブが根底にあると思っている。(ライブは視覚からの情報が入る影響が多いのが特徴)その様な中で、もしライブでこの曲を演奏した場合、ある程度の間合いが必要となる。
 すなわち管楽器のhr.は古楽器のため、D調からA調への持ち変える操作。2つのvn.は、弱音器をつける操作が、それぞれ入ってくる。このためどうしても間合いが必要となる。この自然な間合いが、CDでも旨く取り入れている。
ハイドンは自筆楽譜に一度書いて消していたところに「これは余りにも特別の耳のためのものだ」と書いてあるという。どの箇所かは、私にはわからないが、T101当たりからの弦楽器のみの休止の多い箇所。第2楽章の冒頭は、Cantabileの名称の様に、流れるようにvn.の低音域を生かした落ち着いた雰囲気とは、大きく異なる暗い箇所。この頃の緩叙楽章では、転調、休止、展開など様々になっている。この箇所も典型のひとつ。アントニーニの場合も、弦のパートは奏者が少ないが音量の小さい部分は、soloに近いような雰囲気。
 第3.4楽章の間で間合いは、殆どない、第12楽章と異なり、楽器を切り替えるタイミングはない。殆ど間合いがないが、逆に第3.4楽章との一瞬の切り替えが効果的。第2楽章と同様に休止の箇所が多い。雰囲気は多少、No.55とも似ている。しかしこちらの方が、ユーモアー感が溢れていて心地よい。
 42番 ロイ・グッドマン ハノーヴァ・バンド Roy Goodman the Hanover Band 



42番 2022年4月28日  ロイ・グッドマン ハノーヴァ・バンド Roy Goodman the Hanover Band を聴取。このCDはNo.42.43.44の3曲が収録されている。収録順にNo.42から聴取。

グッドマンはハイドンの交響曲の全曲を録音していないが興味のある指揮者。最近ではNo.73に関して、打楽器の使用について、timp.のパートの部分で、弦楽器がコロニーニョ奏法をしている可能性の指摘をした。(以下は自分のブログからのリンク)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1290.html


この3曲のセットは、中期の頃で、しかも3曲とも打楽器群が入っていない。古楽器を使用し、古楽器のスタイルで指揮者自身がcmb.を受け持ちながら中央で結構、大きい音で入っているのは過去のレビューと同様。
 No.42は、元々、自分なりに好きな曲の一つだが、冒頭のtuittiからvc.とbass.の分離、各パートの掛け合いなど、どの箇所の部分でも随所で楽しめる。この演奏も対向配置を生かして、存分に満喫できる。
グッドマンは指揮をしながら通奏低音でcmb.をほぼ常時、演奏しているので、かなり忙しいと推察される。展開部での中間あたりのT94から。 D R デイビス 盤は、ここでcmbが、あたかも solo のように独自の演奏をする箇所がある。しかしグッドマンの場合は、通奏低音としての奏法のみ。ただしこの箇所だけとは限らないが、随所で繰り返しの後半は、装飾などを加えている。第1と第2楽章がそれぞれ、9分近くあるが飽きさせない。(さすがに、 D R デイビス盤と異なり、第2楽章の展開部と再現部の繰り返しは採用していないが)


 中期の頃で疾風怒涛期の作品に位置づけされるかもしれない。しかしFinaleのロンド形式+変奏曲の採用。管楽器のみが登場する箇所、調性と音色の対比で、分かりやすい一気の駆け抜けるように終わるスタイル。このあたりの雰囲気は、もうすでに疾風怒涛期以降の作品を思わせる。
 それに対して、第1楽章の展開部が長く調性と音色の多い変化。第2楽章の弱音器を使用したvn.が開始する中、No.43の第2楽章にも共通するような旋律と音色の対比。このあたりは、怒涛期の時期の典型を思う。前半の1,2楽章と後半の3.4楽章は雰囲気が大きく変わり、特徴の変化も興味深いのは、No.52にも類似していると思う。No.52の部分でも触れたが、このCDの3曲の中では、交響曲の分水嶺のような感じ。

 お抱えの楽団がハイドンの作曲スタイルの基本の考えをすでに承知した上で、エステルハージ侯爵などの関係者があたかも毎回、1曲ごとに微妙な旋律や音色などを味わって合っている雰囲気。他の著作でも触れているようだが、第2楽章で「これは訓練された耳の持ち主のためのものだ」の記述がある。疾風怒涛期だけとは限らないが、第2楽章の緩徐楽章の大半は、弱音器を使用したvn.から主旋律が開始され、管楽器は最初は休む。途中から管楽器が入り、後半はtuittiで管楽器の音色が加わり雰囲気が明るくなる。   
特にこの第2楽章は、冒頭から2つのvn.は同じ音程のユニゾンでかなり低い音域で動く。途中から加わる高音域の管楽器や、再現部以降の音域が高くなり音量が増え、音色の変化が楽しめる曲として、私は、No.47の第2楽章とともに、好きな楽章の一つになっている。
 先日、聴取した ロバート・ハイドン・クラークRobert Haydon Clark コンソート・オブ・ロンドン の管楽器の位置が通常とは変わっていた。一方、このグッドマンの管楽器の配置は通常通り。各パートが鮮明に聞こえる良い演奏として、私は推薦したい。




 42番 Derek Solomons, L'Estro Armonico  デレック・ソロモンス レストロ・アルモニコ

2022年11月27日 42番 Derek Solomons, L'Estro Armonico  デレック・ソロモンスレスト レストロ・アルモノコを聴取。
 第3集の1曲目。最初の解説と楽曲の解説は第1、2集と同じ。井上著「ハイドン106の交響曲を聴く」にも記述があり何度か、この曲で触れた点。第2楽章の一部で「これは余りにも特別の耳のためのものだ」の件。当初、私は展開部のT101あたりだと推定していた。アントニーニのレビュー。展開部のT101の譜例あり。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1210.html

 ところが、ライナーノートの武石みどり著の中で、提示部の3小節を削除し、その分、短くなったと記載がある。展開部の一部だと思っていたが、提示部となるとまた事情が異なってくる。自分なりに、提示部のどの箇所になるか、推定しているに、T48あたりではないかと思った疾風怒濤期の緩徐楽章は、色々な形式で書かれているが、この曲も興味深い。弱音器を使用したvn.は多くみられる共通した特徴である。


それに加えて、この曲は冒頭のvn.のかなり低い音域の動機と、高音域の旋律との組みあわせ。その間となる中音域の動機が抜けている雰囲気で、音程の跳躍を生かしていると思う。vn.が中心ではあるが、低音のva.とvc.+bass.の役割も大きい。3名ずつのvn.奏者と異なり、低音の楽器は各1名で計3名のみ。第1、2集と異なりcmb.が入っていない。第2楽章ではfg.も加わらないと思うので、ユニゾンでの弦楽器の各パートの音色が楽しめる。弦楽器のみからT49で管楽器が入ってくる箇所はNo.47などと同様の特徴だと思うが、弦楽器と管楽器の対比は奏者によって色々と楽しめる。