音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.43 hob-No35
2024年9月17日 更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
43 35 1767 F 4 -  -  - - (1) D Allegloの長い提示部。
       1 F Alleglo di molto
       2 B Andante
       3 Es Menuet & trio un poco Alleglleto
4 B Finale Presto
Allegloはhr.のやや独自の旋律があるが、全般的には同じ旋律で終始。提示部では第2主題の後、終結部が比較的長い。再現部では提示部と比較して、かなり展開がされている。
井上著によると、エステルハージ候がパリからの旅行に帰着した折に、帰国を祝って演奏されたとのこと。自筆楽譜が現存し1767年12月1日の日付が記載。
 提示部では、経過部にギャロップ風の旋律が登場し、展開部でも扱われている。展開部は第1主題を中心に転調があり緊迫感を高める。
 Andanteの旋律に大きな特徴はない方だが、ピチカートで突然終わる。フィッシャーのテンポは、Andanteよりもかなり速めで切れ味のある雰囲気。Menuetのトリオは弦のsolo。形式では工夫が見られ箇所はあるが、聴き通してみて印象が余りない。
 ドラティ盤は、Andanteがフィッシャー盤と比べてかなりゆっくり。終わりがピチカートでなく引いている。音色の変化や各楽器の細かい音は、フィッシャーの方が聴きやすい。
(2019年12月31日追記 タグとして2011年1月3日とする)
2010年12月31日 ディビス盤を聴取。Allegloのhr.の動きは活発で、曲の特徴をうまく捉えられている。ランクは当初Dとしたが、何回か聴き直すと、第2楽章以外は意外な発見がある。
2011年5月29日スコアを見ながら3者の演奏を聴取。Alleglo は全般的には同じ旋律で終始と前記をした。改めてスコアを見直してみると、提示部の小節数が60と比較的長く第2主題がはっきりしないこと。第1主題が属調でかなり長く登場している点からが、原因かもしれない。AllegloとPrestoの展開部の一部でvc.とbassの分離箇所がある。この当たりも注意深く聴かないと見落としがち。hr.の目立つ旋律があると記載をした。しかし一方展開部の最初の部分では、9小節にも渡って持続の和音を受け持つob.と共に管楽器もそれなりに役割を持っている。
  フィッシャー盤では例によってMenuetのTrioの部分がsolo。他の曲でも同様の奏法が多い。このTrioに限っては、もう少し後の時代で弦楽器のsoloが頻繁に扱われる。楽譜指定ではsoloの指定ではない。しかし理に適っていると思う。
 やはり全体をを通して聴いて見ると一番面白いのは、Finale。井上著もユーモアの傑作と記載がしてある。スコアでは、1小節内の中でも、細かい強弱の指定がかなりある。細かい強弱の変化が心地よいのがユーモアの雰囲気につながっていると思う。一つ前のNo.26と比べると3者の演奏は余り目立たない。ランク自体はDのまま。 
2013年4月28日 追記。ホグウッド盤を聴取。CDプレーヤーとCDソフトの相性が悪いのか、いつもの条件では聴取できず。やむを得ず、パソコンにて聴取。音源の広がり等が悪くて、細かいところまでは、聞き取れない。
 第1楽章の再現部の冒頭(T109)で、hr.が速いパッセージで吹く箇所がある。どのパートも「f]の指定であったがフィッシャー盤と同様に、ここではhr.を際立たせる。
 第2楽章のAndanteのテンポは、ホグウッドは忠実に守っている。vc.の役割が増えて(第1楽章でも、一部bassとの分離はあったが)、ここではvaと同じ箇所が多いが、独自の動きがある。むしろ、va.よりも、高い旋律を受け持つ箇所がある。楽器編成は弦のみで、それほどの特徴があるとは思わないが意外な発見である。 一番、面白いFinaleはここでも快活に動いている。
2015年4月2日 ゴバーマン盤を聴取。冒頭の第1主題から、2度低い第2vn.の旋律が鮮明に聞き取れる。この特徴は、ゴバーマンの一番初めの第1番の冒頭第1主題でも聞き取れる。このほかの曲にもいたるところに注意深く聴いてみると、この様な箇所が多くある。T17の経過旋律も、第2vn.が、16分音符で刻む旋律に支えられるために、第1vn.が引き立つ。T79からの展開部の真ん中当たりで、2つのvn.が呼応するかの様に、音程と旋律の対比を重ねながら、めまぐるしく転調する。ゴバーマンの演奏は、弦楽器の細かい動きが鮮明に聞き取れるのが特徴。
 第2楽章は一転して管楽器が全く登場せずその分、弦楽器のみがお互いのパートを旨く演奏することがポイントとなる。T5から第2vn.が単独で演奏する。一度、聞いただけでも、それほど特徴のある楽章とは思えない。しかし注意深く聞いてみると、1小節内にも細かい指定があり、提示部と再現部では微妙に異なる
 第3楽章 trioの部分でも主旋律第2vn.にあり、添えるように第1vn.が引いているのが良く分かる。
 Finaleは、主に、第1vn.が主旋律を受け持つ。しかし他の弦パートが、引き立てるからこそ、第1vn.が表に立つもの。ゴバーマンの演奏は、各パートの」鮮明があるために、この引き立ちも見事。
 ゴバーマンの演奏前までは、元々この曲自体をランクをDとしていた。しかし聴きこんで行くに従い、ランクを上げる価値が高い曲と思っていた。フィッシャー盤は、小編成でありながら、やや速めのテンポで、soloを時には取り入れたり、ボウイングも柔軟に採用した演奏。一方、ドラティは、テンポはやや遅めで楷書あるいは男性をイメージ。デイビス盤は遅めのテンポで、ライブ録音を活かして管楽器を多く取り入れて、ユニゾンの効果を活かした演奏。ホグウッドは、繰り返しと小編成で当時のエステルハージ楽団のスタイルをあくまで重視。(しかし作曲年代が下がるに従い、編成も少し大きくなるようだが)
 ゴバーマンの演奏は、全くこれまでとは異なる。録音数もこの曲は少ない方であろう。Daisy氏の録音リストでも僅か10曲。しかし通好みでもあるためか聴く価値は高いと改めて認識。
 2016年6月15日 ブリュッヘンOrchestra of The Age of Enlightenment  No35を聴取。ホグウッドの全集では既に聴いているが、ブリュッヘンは、また聴いていないため今回書く。ホグウッドの速めのきびきびとしたテンポとは対照的に全体的にゆっくり目。T4からの2本のhr。旋律はT110でも展開して活躍するがそれほど目立たず。ホグウッドでは速いテンポでT110では、速いペッセージで苦労をしていると思うが、ブリュッヘンでは遅いテンポのため余裕あり。長い展開部のT86から各弦のパートが掛け合うように展開していくエネルギッシュな部分も余り聴かれず。
 跳躍感のあるFunaleで、T17-20の1小節の間に、細かい強弱の指定がある。スコアでみると興味深いが、ブリュッヘンの演奏では余り対比がない。展開部と再現部の繰り返しは採用。一番最後の部分は、fの指定で終わらない。Menuetの再現でもテンポを遅くする解釈と同様、ブリュッヘンは独自の考えがあるかもしれない。


2016年12月30日 T ピノック No.35 を聴取。この曲は元々、当初は自分なりにランクを低くしていたが、ゴバーマンの弦の細かい分離感に開花されて、ランクを上げた経緯がある。第2vn.のパートが細かく動きながら、Tuittiで弦を中心としたパートの迫力などが聴き所の一つに変わった。
 ピノックの弦の配置は、何度も書いてきているように第2vn.は右側。第2vn.のパートが鮮明。第1楽章のHrの活躍が聴き所のひとつ。ブリュッヘンと異なり、Hr.が今まで聴いてきた中でも強調されている。冒頭のT3から(下図)から目立つ。この旋律は再現部のT109-111で活躍。No.6から作曲順に聴いてきた中でhr.のパートはそれほど強調はされていなかったと思う。しかし曲によっては、ツボを得たように各パートの旋律が聴き所になっている。
 2017年3月21日スピルナー No.35を聴取。No.6〜8シリーズと違って、時代が少し下がり通常の楽器編成に戻る。ハイドン音盤倉庫とクラシックとリュートの楽しみもレビューが記載されている。

http://haydnrecarchive.blog130.fc2.com/blog-entry-1535.html

http://micha072.blog.fc2.com/page-1.html

スピルナー盤で聞き始めて一番最初。こちらは、soloの部分は殆どない。要所で低弦や管楽器を生かしパンチのある個所が特徴。この曲も同様。
同じ自分のブログの下記のアドレスに、第1楽章のピノックのhr.のインパクトのある印象を記載した。スピルナー盤でも同様に引き立つ。
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-656.html
 緩除楽章は弦楽器のみ。No.6のファイ盤でも記載したが繰り返しの後半でピチカートを採用してる個所がある。再現部T117の個所も同様だが、繰り返しを採用して飽きさせない。Finaleも1小節単位の強弱を忠実に守りつつも流れを重視。No.6〜8と異なり、ファイの解釈を後継している印象。
 
2019年3月22日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 22番を聴取。No.26から引き続いて聴取。No.26でob.が前面に出ていたが、この曲では通常通りに戻り違和感は殆どない。

 第2楽章で スピルナー盤では、再現部T117の箇所でob.ピチカートの伴奏で引いている点を記載した。(下記のブログ)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-695.html

メルツェンドルファーでは通常通りで弓で弾いている。Menuet のTrioでは珍しく低音域の第2vn.の旋律を引き立てている。録音は割合に良いほうだと思うが、全体的に通しての印象は少ない。
 2019年8月18日 35番 ニコラス ウオード The Northern Chamber Orchestra を聴取。パソコンのクラッシュと新規更新。ホームページの設定を再度やり直すが、アップロードがうまくできない状況が続いている。井上著では、この自筆楽譜に関連して「ハイドンには珍しく完成した日付まで記載がある」と記述がある。さらに一度、聴いただけでは、無難に書かれている曲のひとつかもしれない。
しかし短いながらも展開される転調や動機などもかなりある。特にFinaleは、この頃の共通するように、短いながらも1小節単位に微妙な強弱の対比などが随所にある。冒頭の第1主題はTuittiの和音が単に続くように終わるが、短い動機が対旋律を伴って展開していく。T17の部分からは、1小節の中に第1vn.と他のパートで掛け合うところなどは心憎い。この部分でも低弦は、他のパートと同様に、しっかりと支えているのがウオードの演奏でも良くわかる。井上著にも記載していたようにFinaleが一番、面白い。
 
2021年2月28日 35番 ジョヴァンニ・アントニーニ イル・ジャルディーノ・アルモニコ を聴取。CD自体は早めに予約をし、1月下旬ころには入手すみ。その後、レビューを記載する予定だったが、パソコンのクラッシュ更新で時間がなかった。アントニーニの切れの良さは、過去に何度も記載をしてきた。 
 それにしても、このアルバムの構成は、よく練られている。 日本語の「別れ」をテーマなっている。販売元のナクソス ジャパンの紹介記事でも、35番の意義について記載がされている。過去に弦楽器を中心とした切れについて、何度もレビューをしてきたが。35番の冒頭も同様に味わえる。
この曲は、後期の頃と異なり楽器編成も少なく、演奏の機会も余りないと思うが。疾風怒涛期の頃と少し異なりNo.48の様に、この第1楽章は様々な動機がある雰囲気。動機の数こそ多いが演奏時間が全体的にも比較的短く、曲の構成も分かりやすいと思うので、入門としてもよいと思っている。T32の冒頭の16部音符。冒頭から16部音符は随所にあるが、この箇所では1小節の頭から、程なくして跳躍する切れの良さは印象的。切れが効果により、hr.とob.の和音的な動きが対照的。

no35t1t31-2.jpg

もうひとつ印象的な箇所は第3楽章のtrioの部分。ややゆっくりしたテンポのMenuet に対して、trio は、やや速め。音量は極度に落としているが、あくまでsoloではない。しかしその音色は弱音器をつけているかのように音色の変化がある。Youtubeでこの楽団を、何度か視聴してきたがこの時はスル・ポンティチェロ(sul ponticello)の奏法だった。vn.の奏法は詳しいことまでわからないが。この奏法のような気もする。




35番 ジョヴァンニ・アントニーニ イル・ジャルディーノ・アルモニコ Youtube

2021年12月4日 35番 ジョヴァンニ・アントニーニ イル・ジャルディーノ・アルモニコ Youtubeを視聴。CDの聴取はレビュー済。第3楽章 Menuet のtrioの部分。vn.の音色について。弱奏で音色が極端に小さくなり スル・ポンティチェロ(sul ponticello)の可能性をコメントした。Youtubeの映像を見ると、この奏法ではなく、少しコマより離して、弓を傾けているようだ。Sul Tasto (スル・タスト)の奏法か?

https://www.youtube.com/watch?v=0480NjNfp-Y

Finaleの冒頭の部分。休止符を挟む旋律の最初の部分。下げ弓により、弓をいっぱいに使用して切れの良い音を出しているのが映像でもよくわかる。
 
2021年12月5日 35番 Derek Solomons, L'Estro Armonico を聴取。No.38から引き続く。疾風怒濤期の6曲で短調が多い中での長調の曲。しかし随所に短調の部分もある。第1楽章の展開部は弱奏から始まるが、後期にも頻繁に登場する。低弦の分離パートがある。この奏者の演奏は、No.38にも記載したが、1名ずつ。展開部の冒頭のT61でbassから分かれているvc.が明白に聞こえる。その後の第1楽章の動機の受け渡しもよくわかる。
 しかしNo.39と同様に、各楽章の音量のばらつきが大きいような気がする。ある程度、レベルは統一して、各楽章間の音量の差、調性などの差を楽しみたい。しかし私にとっての聴取環境では、ダイナミックレンジは広く、各パートの左右や奥行き感はあるが、音量のレベルの差が気になり、印象が薄くなる。
 2024年9月12日 ドラティ盤 No.35を聴取。井上著「ハイドン106の交響曲を聴く」では自筆楽譜が存在し、日付まで記入がされていると記載あり。この中で一番面白いのはFinaleをある。他の楽章も聴き所はあるが、私としてもやはりFinaleが一番面白い。
過去のレビューでも ウオードのときに、1小節の中で強弱が記入されているなど興味深い(下記のレビューに譜例あり)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-2111.html

ドラティの演奏では、T17からの強弱は、極端には音量の差はつけていない。 ドラティは弦が木の奏者の数は比較的多いが、何度聞いても弦楽器と菅楽器のバランスが上手く整っていると思う。T39からのob.とvn.の16分音符の関係。得てして、この部分は、ob.が分かり難い。弦の厚みのある音の中でもob.のパートがよくわかる。
 このFinaleは休符が適度にある。冒頭の主題のT3からの部分。第1vn.は4分休符をはさみながら主題を提示。過去の何度かFinaleの面白さを記載してが、この例のように休符をはさみながら、微妙なタイミングで音の出だしが異なる。スコアを見ないと、このあたりは分かり難い。Finaleは繰り返しがあっても元々の小節数が短く、テンポも速いので一気に終わってしまう。提示部の最後の方のT50からのob.と弦楽器の掛け合いと微妙なズレ。どの奏者も当てはまるかもしれないが、改めてこの演奏でも曲の面白さが分かる。