音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.41 hob-No38
2023年7月29日 更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
41 38 Echo 1767 C 4 -  -  - - (1) A echoの雰囲気。全楽章の均整が取れている。
       1 C Alleglo di molto
       2 G Andante molto
       3 C Menuet&torio、Alleglo
4 C Finale、Alleglo di molto
C調でtrmp.とtimp.を含む祝典的な雰囲気の交響曲。Allegloの提示部は比較的短い。しかし展開部では各動機を用いてテンポの変化、強弱、休止の効果がなどが取り入れてある。再現部に向けての盛り上がりが見事。
 Andanteはecho(こだま)の名称にもなった様に、第1vn.と第2vn.が掛け合い。この当たりはNo. 29と同じ様な雰囲気。しかしこちらの方がより一層「エコー」の効果が聴き取れる。特に展開部の終わりの方で、伸びるような響きが印象的。フィッシャー盤では、No. 29と同様に、第2vn.は右側に位置していて、音の広がり感がある。
 Menuetではtrioでob.のsoloが活躍。それを受けてFinaleでは、あたかもob.協奏曲のように、盛り上がりを見せて締めくくる。timpがクレッシェンド的に扱われていて祝典的雰囲気以外に、より一層聴き応えのある味わいになっている。どの楽章をとっても均整が取れていてすばらしい。この頃でのお勧め交響曲としたい。
 ドラティ盤は、Andanteの第2vn.は定位置。(左側やや奥)第4楽章の展開部から再現部のリピートなし。ob.のsoloは控えめ。フィッシャー盤を勧める。
(2019年12月31日追記 タグとして2011年1月1日とする)
2010年12月31日 ディビス盤を聴取。ディビス盤は、作曲順にCDが収録されている。この「曲からジャケットの色も今までと変わり、The storm & stress 時代の突入。1766年 3月に楽長のヨーゼフ・ヴェルナーが没し、ハイドンが副楽長から楽長へ昇格。一つ前のNo.28までと異なり、作風が一段と輝くを増している。もしHob−No.の順番で聴いていたら、37と38とは、驚くほどの差が感じる。実際、約10年の開きがある。
 後半の2楽章は、ob.が驚くほど活躍するが、前半は、それほど目立たない。(第2楽章は管楽器は休み)Andanteで第2vn.の位置は通常通り左側。第2vn.は弱音器を付けているが、第1vn.との音量の差が、今までの2種の演奏と比較して差が余りないのも原因か?通称名のecho(こだま)の効果は余り聴こえて来ない。(弱音器を付けていない可能性あり)
 Menuetでは、今までにも何度か記載をしていたが、ob.と弦のユニゾンが効果的。trio.でob.が華々しく活躍するがユニゾンと対照的。ライブ録音のためか、後半の楽章では、ob.を目立たせるために弦がやや控えめになっている。曲としてのランクはAで変わらず。soloのobは、レガート風に軽やかだったり、スタカーット風に鋭かったり、演奏自体も晴れやかに飛び跳ねて活躍するのが一番の聴き所。3者の中では、やはりフィッシャー盤と推薦したい。
(その1)2011年4月22日スコアを見ながら3者の演奏を聴取。元々、Aランクとしていて、聴き所も的を絞っていた。スコアを元にもう一度、聴き直してみる。頂点に立つのは、ob.の独奏になるが、それまでに至る途中のob.の役割も興味深い。
 第2楽章では管楽器は休むので、前半のob.の活躍は第1楽章。提示部の最初の頃はob.は2人で吹いている。弦とのユニゾンが多く、2人の奏者も同じ旋律が多い様だ。楽器編成では最初から、C調ということありクラリーノあるいは、trp.が追加。この曲は第4楽章が「華」だど思うので、第1楽章は「小手調べ」と言う感じにも私にも受ける。
 第2楽章 Andante はecho 「こだま」の 語源にもなった様に第1と第2vn.の応答が特色。一応、気づいてはいたが、第2vn.は弱音器をつけている。第1vn.は弱音器でない演奏だと思っていた。スコアでも第1vn.は senza sord. 「弱音器を外して」 と スコアには記載がある。vn.のそれぞれの掛け合いの部分で、同じ音程の箇所もあり。かといって第2vn.は旋律が同じでも少し低めの音程だったりで、旨く echo の効果を出している。 フィッシャー盤では中間部のT50からの箇所で、同じ音程が2つのパートで異なる音色の対比がすばらしい。第1,2vn.が左右に分かれているので演奏効果も抜群。
 第3楽章のMenuetの主部ではob.は、余り目立たなくsoloはなし。しかしtrioでは、ob.はsoloの指定がある。フィッシャー盤では各弦が「p」の部分ではピチカートとなっている。この対比のためにob.は引き立つ。
 いよいよ第4楽章は、ob.の独壇場。しかし最初は2人が同じ旋律。その後、第2奏者から第1奏者に橋渡しをされながら、41小節目で漸くob.のsoloの登場となる。その後は、殆どあたかもob.協奏曲の様に締めくくる。フィッシャー盤では展開部と再現部の繰り返しがある。しかし展開部の途中で、ob.のカデンツアがあるが、繰り返し前後で旋律が異なっている。finaleはあたかもob協奏曲に徹しても良いと思うので、この異なった旋律も違和感なし。もう少し注目されても良いと思う曲だと思うが、残念ながら一般には知られていないので残念。.

 (その2) 2011年4月24日、引き続きドラティ盤を聴取。録音がやはり前になるのか、音の聴こえ方に対してフィッシャー盤よりも不満が残る。Andanteの第2vn.は右側にない。vn.同士の音の対比が目立たない。第1vn.も弱音器をつけているような感じで、第1,2vn.同士の音色の対比も少ない。Menuetのtrioでは、ob.の活躍は、それほど目立たず。
 注目のFinaleも、細かい音色が今ひとつ。展開部の途中の、obのカデンツアはなし。展開部と再現部の後半の繰り返しはないため、カデンツアの違いも味わえず。
 一方ディビス盤は、ライブ録音のためか、各弦の音よりも他のパートの音が細かく聴こえる。特にドラティ盤以上にcmb.は全体的に大きめ。細かく聴いて見ると、vn.のsoloの箇所もある。Andanteは、第2vn.は通常の左側奥に位置する。低弦がしっかりと伴奏についていて、vn.同士の掛け合いはフィッシャー盤ほどではないが。しかし細かい音色まで各パートまで聴き取れる。展開部と再現部の繰り返しがあり。第3,4楽章からはob.の活躍が始まるが元々、管楽器の音量Tuittiの箇所でもユニゾンでありながらも目立っているので自然な感じ。第2楽章以外にも繰り返しを忠実に守っていることもありトータルの演奏時間は20:54.特にFinaleは展開部と再現部の繰り返しを採用し、ob.のカデンツアもフィッシャー盤と同様に使い分けている。
 3者の録音の差をこれほど、顕著に示す例はないと思った。
2013年4月29日 追記。ホグウッド盤を聴取。今まで聴き通してきたとおり、ホグウッド盤では、trp.とtimp.は入っていないためやや、やわらかい感じ。提示部の終わりごろ(T60あたり)でスコアでは、「f」指示のままであるが「p」からクレッシェンドで盛り上がって、終結。再現部も同様。
 第2楽章のAndanteのvn.の配置は通常通り。両端の楽章が明るい雰囲気で、音量が大きく楽器編成も多い。これとは対照的なのがよく分かる。trp.とtimp.が入っていないのもかからず、やはり対照的。
 Finaleのob.の活躍は、この演奏は弦楽器の奏者数がやや少ないのか、Tuittiでは、やや迫力に欠ける。しかしその分、細かいところが聴き取れる。ハイドンは、ob.協奏曲を作曲していない(まだ、新たに発見される可能性があるかおもしれないが) もし、ob.協奏曲が発見されたら、そのFinaleは、この様になったと思う。この曲を聴き終わって真っ先にob.奏者へ拍手が送られたと思う。ライブで聴いてみたい。
 これまでの聴取記録で、この交響曲に関して、3者が大きく異なると記載をした。このホグウッド盤でも同様に、4者が全て異なる印象。ランクは、やはりAの価値があると、あらためて認識。
 1771年頃〜1773年頃は、短調の交響曲が登場する。(それまでは、1曲しか短調の交響曲がない)この時代から、新たな展開が始まるのは、多くの学者等が提唱している通り。それまでに作曲された約35曲を取り上げた場合、どれを推薦するか? 私なら、これを第一に挙げたい。
2016年6月2日 ブリュッヘンOrchestra of The Age of Enlightenment を聴取。古楽器であるが、ホグウッドよりも編成が大きいと思う。第1楽章のテンポは、ホグウッドよりもゆっくり目。第2楽章のラメンタチオの旋律は、ob.と第2vn.が受け持つ。ブリュッヘンは、第2vn.はかなり控えていて、ob.を目立たせている。他の演奏家にも共通すると思うが、この楽章のT57までは、hr.は登場しない。T58から、急に雰囲気が変わったように、全体に厚みがある様にhr.が登場するのはブリュッヘンでも効果的。
 第3楽章のMenuetの後半の繰り返しについて。Finale終楽章の思わせる雰囲気。通常のMenuetは、Trioを挟んで、前半と後半は、ほぼ同じ演奏スタイル。しかしブリュッヘンは、後半のMenuetの登場から長い休止を挟んで、かなりゆっくり目のテンポで登場。Menuetの最後はppで終了する。最後のFinaleに向けて、ゆっくりしたテンポで前半の雰囲気と大きく頃なる解釈は初めて聞く。しかし全体的に、ブリュッヘンならではの、個性や特徴は余りないと思った。

2016年12月28日 T ピノック No.38を聴取。Finaleの盛り上がりが一番の聴き所だと思う。Ob.のsoloはもちろんのポイントだが、それ以外にも色々な旋律が登場する。T21からの経過部の動機は、展開部でも少し登場し、再現部でも再登場。この楽章は得てしてob.ばかりに聞入ってしまうが。この部分は対位法的にも注目に値する。(短い動機が半小節ずつ遅れて登場)ピノックの演奏は、各弦のパートが鮮明。奏者数は多くなくTuittiでの迫力は今ひとつだがその分、各パートが鮮明で聴き応えが多い。展開部と再現部の繰り返しを採用しているので、演奏時間も長く堪能できる。
  同じ調性のNo.58のFinaleとも、速いテンポで華やかな点から似ている雰囲気がある。こちらの方は、ob.が主体であるが各弦を中心としたパートの動きが複雑で聴き応えがある。それに対してNo.58の方はTuittiでの迫力を重視し多くの聴衆を意識した曲。数年先の曲ではあるが、同じ作曲で同じ調性でもがらりと構成が異なる。ハイドンの交響曲を聴き通していく中で、様々な指揮者を聴いてきた。演奏の解釈を通して、各曲の微妙な面白さ、聴き応えが少しでも分かり掛けてきたような気持ちに少しなった。
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 2019年3月20日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 38番を聴取。俗称は付いているが、どちらかといえば余り注目がされない方の曲のひとつ。第1楽章の雰囲気は、数年先のNo.48の冒頭の雰囲気を予測される。No.48ほどの派手さはないが、打楽器群がこちらも入る。Tuittiの箇所も多く旋律が多彩で、弦のパートを中心に高低と強弱の差が大きいのは共通している雰囲気。メルツェンドルファーの演奏では弦楽器は抑え気味で、打楽器分が前に出ている。打楽器群はやや右側に位置し、右側のhr.と同じ様な位置。打楽器群の位置を中央や左側に分ければ、ステレオ間は広がり、さらに迫力があると思うが残念。管楽器のob.はここでは余り目立たず。
 第2楽章で「エコー」の俗称の元になる2つのvn.の掛け合いは普通。前半と後半の繰り返しがないため、3:53で終了。第3楽章 Menuet Trio の部分でob.のSOLOが開始となる。Finaleの予兆もあり、ここで派手にあるかとも予想するが、他の指揮者と同様に余り目立たせない。
 Finaleの冒頭。この主題はNo.22のFianleの冒頭にも似ていると思うような下降旋律。(参考までに2つの主題を並べてみた) 調性と拍子は違うが休止を挟む下降する雰囲気は似ている。しかしNo.38の方は、T1からスタッカートの指示がある。その後スラーがあるなど僅か2小節の中でも微妙な違いがある。
T41からのob.のsoloは、意外にも少し控えめな録音。ここからT51までob.の長いsoloがあるが、常にスタッカートに近い奏法で通している。その後T52-T53の下降するスラーの柔らかい音色と対比的。打楽器群も第1楽章ほどではなく控えめ。ob.を目立たせてはいるが、あたかもob.協奏曲の様に前面に登場させていないのは意外な感じ。前半と後半の繰り返しは忠実に守る。後半部分の繰り返しの展開部の終結部分では、ob.の短いカデンツアがあるが自然な雰囲気。全体的に各楽章での録音のバラツキを感じる。
Obのsoloがあり、クレジットに奏者の名前があると良いが記載なし。
 2019年8月17日 26番 ニコラス ウオード The Northern Chamber Orchestra を聴取。この曲は録音の数が多く自分のレビュー数も多い。最近だと、N クレーマーのレビューが印象的。(譜面あり)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1058.html

上記のレビューは、モダン楽器のライブ録音であるが、強弱の対比の鋭さ。通奏低音にcmb.ではなく。 オルガンを使用するなどユニークな演奏だったの印象的。ウオードの方は、モダン楽器で奏者が少なめ。今まで余り冒頭のシンコペーションの動機について記載をなかったが。第1小節目がD音で重音になっている。D音は、vn.の開放弦の音程で、開放弦と非開放弦の2つに分かれて演奏するのか? この当たりは、他の指揮者ど同様だが、余り分からない。
 2020年10月25日B スピルナー Heidelberger Sinfoniker No.38を聴取。偶然かあるいは、何かの意図があるのか。このCDには同じ調性のC調がすべて4曲になっている。No.38は自筆楽譜がなく、打楽器群は入る演奏と入らない演奏の2種類に大別できる。ホグウッドは打楽器群が入らない。スピルナーの合も打楽器群が入らない。
もし打楽器群が最初から入っていると、C調でTuittiからはじまる、派手な雰囲気から入る。しかし打楽器群が入らないので、冒頭からこじんまりとした雰囲気。逆に奏者がやや少ない編成を生かした、あくまで室内楽団のスタイルでもある。No.63と違って、冒頭からcmb.が入っている。
 均整のとれた曲のひとつで最後は、ob.が華々しく活躍するのが特徴。多くの指揮者は、Finaleのob.の活躍をメインにしている雰囲気。ホグウッドでも打楽器群は入らないものの、ob.はやや目立たせている。
一方スピルナーの場合、ob.を殆ど目立たせない。あくまでユニゾンとしてob.がメイン。Ob.のsoloの箇所はさすがに少しは目立つが、それでも伴奏する弦楽器がメインの雰囲気は以外。曲によってはこの様な解釈もあるかもしれない。
 ニックネームに由来にもなった第2楽章のエコーのい部分。第2vn.の弱音域の音は第1vn.と対比されて効果的。提示部とその後半(展開部+再現部)は、それぞれ忠実に繰り返しあり。低実の後半。さらに展開部と再現部の前半の部分。この2つの部分では弦楽器は全てsoloになっている。短い第2楽章であるが、曲の真ん中の部分で、soloの箇所が入っていることになる。繰り返しがあっての意外な展開。曲全体が打楽器群が入らないので、そもそも室内楽的に終始、さらに第2楽章はsoloを多用するなど、曲全体を室内楽的に通している特徴の印象。
 38番 Derek Solomons, L'Estro Armonico  デレック・ソロモンス レストロ・アルモニコ

2021年12月8日 38番 Derek Solomons, L'Estro Armonico を聴取。各楽章のレベルに多少違うのは同様。特にこの曲に関しては、第1楽章の冒頭から終わりまで、録音レベルが極端に低く音が不明瞭。このため聴取が十分にできない。