音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.41 hob-No38
2024年12月14日 更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
41 38 Echo 1767 C 4 -  -  - - (1) A echoの雰囲気。全楽章の均整が取れている。
       1 C Alleglo di molto
       2 G Andante molto
       3 C Menuet&torio、Alleglo
4 C Finale、Alleglo di molto
C調でtrmp.とtimp.を含む祝典的な雰囲気の交響曲。Allegloの提示部は比較的短い。しかし展開部では各動機を用いてテンポの変化、強弱、休止の効果がなどが取り入れてある。再現部に向けての盛り上がりが見事。
 Andanteはecho(こだま)の名称にもなった様に、第1vn.と第2vn.が掛け合い。この当たりはNo. 29と同じ様な雰囲気。しかしこちらの方がより一層「エコー」の効果が聴き取れる。特に展開部の終わりの方で、伸びるような響きが印象的。フィッシャー盤では、No. 29と同様に、第2vn.は右側に位置していて、音の広がり感がある。
 Menuetではtrioでob.のsoloが活躍。それを受けてFinaleでは、あたかもob.協奏曲のように、盛り上がりを見せて締めくくる。timpがクレッシェンド的に扱われていて祝典的雰囲気以外に、より一層聴き応えのある味わいになっている。どの楽章をとっても均整が取れていてすばらしい。この頃でのお勧め交響曲としたい。
 ドラティ盤は、Andanteの第2vn.は定位置。(左側やや奥)第4楽章の展開部から再現部のリピートなし。ob.のsoloは控えめ。フィッシャー盤を勧める。
(2019年12月31日追記 タグとして2011年1月1日とする)
2010年12月31日 ディビス盤を聴取。ディビス盤は、作曲順にCDが収録されている。この「曲からジャケットの色も今までと変わり、The storm & stress 時代の突入。1766年 3月に楽長のヨーゼフ・ヴェルナーが没し、ハイドンが副楽長から楽長へ昇格。一つ前のNo.28までと異なり、作風が一段と輝くを増している。もしHob−No.の順番で聴いていたら、37と38とは、驚くほどの差が感じる。実際、約10年の開きがある。
 後半の2楽章は、ob.が驚くほど活躍するが、前半は、それほど目立たない。(第2楽章は管楽器は休み)Andanteで第2vn.の位置は通常通り左側。第2vn.は弱音器を付けているが、第1vn.との音量の差が、今までの2種の演奏と比較して差が余りないのも原因か?通称名のecho(こだま)の効果は余り聴こえて来ない。(弱音器を付けていない可能性あり)
 Menuetでは、今までにも何度か記載をしていたが、ob.と弦のユニゾンが効果的。trio.でob.が華々しく活躍するがユニゾンと対照的。ライブ録音のためか、後半の楽章では、ob.を目立たせるために弦がやや控えめになっている。曲としてのランクはAで変わらず。soloのobは、レガート風に軽やかだったり、スタカーット風に鋭かったり、演奏自体も晴れやかに飛び跳ねて活躍するのが一番の聴き所。3者の中では、やはりフィッシャー盤と推薦したい。
(その1)2011年4月22日スコアを見ながら3者の演奏を聴取。元々、Aランクとしていて、聴き所も的を絞っていた。スコアを元にもう一度、聴き直してみる。頂点に立つのは、ob.の独奏になるが、それまでに至る途中のob.の役割も興味深い。
 第2楽章では管楽器は休むので、前半のob.の活躍は第1楽章。提示部の最初の頃はob.は2人で吹いている。弦とのユニゾンが多く、2人の奏者も同じ旋律が多い様だ。楽器編成では最初から、C調ということありクラリーノあるいは、trp.が追加。この曲は第4楽章が「華」だど思うので、第1楽章は「小手調べ」と言う感じにも私にも受ける。
 第2楽章 Andante はecho 「こだま」の 語源にもなった様に第1と第2vn.の応答が特色。一応、気づいてはいたが、第2vn.は弱音器をつけている。第1vn.は弱音器でない演奏だと思っていた。スコアでも第1vn.は senza sord. 「弱音器を外して」 と スコアには記載がある。vn.のそれぞれの掛け合いの部分で、同じ音程の箇所もあり。かといって第2vn.は旋律が同じでも少し低めの音程だったりで、旨く echo の効果を出している。 フィッシャー盤では中間部のT50からの箇所で、同じ音程が2つのパートで異なる音色の対比がすばらしい。第1,2vn.が左右に分かれているので演奏効果も抜群。
 第3楽章のMenuetの主部ではob.は、余り目立たなくsoloはなし。しかしtrioでは、ob.はsoloの指定がある。フィッシャー盤では各弦が「p」の部分ではピチカートとなっている。この対比のためにob.は引き立つ。
 いよいよ第4楽章は、ob.の独壇場。しかし最初は2人が同じ旋律。その後、第2奏者から第1奏者に橋渡しをされながら、41小節目で漸くob.のsoloの登場となる。その後は、殆どあたかもob.協奏曲の様に締めくくる。フィッシャー盤では展開部と再現部の繰り返しがある。しかし展開部の途中で、ob.のカデンツアがあるが、繰り返し前後で旋律が異なっている。finaleはあたかもob協奏曲に徹しても良いと思うので、この異なった旋律も違和感なし。もう少し注目されても良いと思う曲だと思うが、残念ながら一般には知られていないので残念。.

 (その2) 2011年4月24日、引き続きドラティ盤を聴取。録音がやはり前になるのか、音の聴こえ方に対してフィッシャー盤よりも不満が残る。Andanteの第2vn.は右側にない。vn.同士の音の対比が目立たない。第1vn.も弱音器をつけているような感じで、第1,2vn.同士の音色の対比も少ない。Menuetのtrioでは、ob.の活躍は、それほど目立たず。
 注目のFinaleも、細かい音色が今ひとつ。展開部の途中の、obのカデンツアはなし。展開部と再現部の後半の繰り返しはないため、カデンツアの違いも味わえず。
 一方ディビス盤は、ライブ録音のためか、各弦の音よりも他のパートの音が細かく聴こえる。特にドラティ盤以上にcmb.は全体的に大きめ。細かく聴いて見ると、vn.のsoloの箇所もある。Andanteは、第2vn.は通常の左側奥に位置する。低弦がしっかりと伴奏についていて、vn.同士の掛け合いはフィッシャー盤ほどではないが。しかし細かい音色まで各パートまで聴き取れる。展開部と再現部の繰り返しがあり。第3,4楽章からはob.の活躍が始まるが元々、管楽器の音量Tuittiの箇所でもユニゾンでありながらも目立っているので自然な感じ。第2楽章以外にも繰り返しを忠実に守っていることもありトータルの演奏時間は20:54.特にFinaleは展開部と再現部の繰り返しを採用し、ob.のカデンツアもフィッシャー盤と同様に使い分けている。
 3者の録音の差をこれほど、顕著に示す例はないと思った。
2013年4月29日 追記。ホグウッド盤を聴取。今まで聴き通してきたとおり、ホグウッド盤では、trp.とtimp.は入っていないためやや、やわらかい感じ。提示部の終わりごろ(T60あたり)でスコアでは、「f」指示のままであるが「p」からクレッシェンドで盛り上がって、終結。再現部も同様。
 第2楽章のAndanteのvn.の配置は通常通り。両端の楽章が明るい雰囲気で、音量が大きく楽器編成も多い。これとは対照的なのがよく分かる。trp.とtimp.が入っていないのもかからず、やはり対照的。
 Finaleのob.の活躍は、この演奏は弦楽器の奏者数がやや少ないのか、Tuittiでは、やや迫力に欠ける。しかしその分、細かいところが聴き取れる。ハイドンは、ob.協奏曲を作曲していない(まだ、新たに発見される可能性があるかおもしれないが) もし、ob.協奏曲が発見されたら、そのFinaleは、この様になったと思う。この曲を聴き終わって真っ先にob.奏者へ拍手が送られたと思う。ライブで聴いてみたい。
 これまでの聴取記録で、この交響曲に関して、3者が大きく異なると記載をした。このホグウッド盤でも同様に、4者が全て異なる印象。ランクは、やはりAの価値があると、あらためて認識。
 1771年頃〜1773年頃は、短調の交響曲が登場する。(それまでは、1曲しか短調の交響曲がない)この時代から、新たな展開が始まるのは、多くの学者等が提唱している通り。それまでに作曲された約35曲を取り上げた場合、どれを推薦するか? 私なら、これを第一に挙げたい。
2016年6月2日 ブリュッヘンOrchestra of The Age of Enlightenment を聴取。古楽器であるが、ホグウッドよりも編成が大きいと思う。第1楽章のテンポは、ホグウッドよりもゆっくり目。第2楽章のラメンタチオの旋律は、ob.と第2vn.が受け持つ。ブリュッヘンは、第2vn.はかなり控えていて、ob.を目立たせている。他の演奏家にも共通すると思うが、この楽章のT57までは、hr.は登場しない。T58から、急に雰囲気が変わったように、全体に厚みがある様にhr.が登場するのはブリュッヘンでも効果的。
 第3楽章のMenuetの後半の繰り返しについて。Finale終楽章の思わせる雰囲気。通常のMenuetは、Trioを挟んで、前半と後半は、ほぼ同じ演奏スタイル。しかしブリュッヘンは、後半のMenuetの登場から長い休止を挟んで、かなりゆっくり目のテンポで登場。Menuetの最後はppで終了する。最後のFinaleに向けて、ゆっくりしたテンポで前半の雰囲気と大きく頃なる解釈は初めて聞く。しかし全体的に、ブリュッヘンならではの、個性や特徴は余りないと思った。

2016年12月28日 T ピノック No.38を聴取。Finaleの盛り上がりが一番の聴き所だと思う。Ob.のsoloはもちろんのポイントだが、それ以外にも色々な旋律が登場する。T21からの経過部の動機は、展開部でも少し登場し、再現部でも再登場。この楽章は得てしてob.ばかりに聞入ってしまうが。この部分は対位法的にも注目に値する。(短い動機が半小節ずつ遅れて登場)ピノックの演奏は、各弦のパートが鮮明。奏者数は多くなくTuittiでの迫力は今ひとつだがその分、各パートが鮮明で聴き応えが多い。展開部と再現部の繰り返しを採用しているので、演奏時間も長く堪能できる。
  同じ調性のNo.58のFinaleとも、速いテンポで華やかな点から似ている雰囲気がある。こちらの方は、ob.が主体であるが各弦を中心としたパートの動きが複雑で聴き応えがある。それに対してNo.58の方はTuittiでの迫力を重視し多くの聴衆を意識した曲。数年先の曲ではあるが、同じ作曲で同じ調性でもがらりと構成が異なる。ハイドンの交響曲を聴き通していく中で、様々な指揮者を聴いてきた。演奏の解釈を通して、各曲の微妙な面白さ、聴き応えが少しでも分かり掛けてきたような気持ちに少しなった。
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 2019年3月20日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 38番を聴取。俗称は付いているが、どちらかといえば余り注目がされない方の曲のひとつ。第1楽章の雰囲気は、数年先のNo.48の冒頭の雰囲気を予測される。No.48ほどの派手さはないが、打楽器群がこちらも入る。Tuittiの箇所も多く旋律が多彩で、弦のパートを中心に高低と強弱の差が大きいのは共通している雰囲気。メルツェンドルファーの演奏では弦楽器は抑え気味で、打楽器分が前に出ている。打楽器群はやや右側に位置し、右側のhr.と同じ様な位置。打楽器群の位置を中央や左側に分ければ、ステレオ間は広がり、さらに迫力があると思うが残念。管楽器のob.はここでは余り目立たず。
 第2楽章で「エコー」の俗称の元になる2つのvn.の掛け合いは普通。前半と後半の繰り返しがないため、3:53で終了。第3楽章 Menuet Trio の部分でob.のSOLOが開始となる。Finaleの予兆もあり、ここで派手にあるかとも予想するが、他の指揮者と同様に余り目立たせない。
 Finaleの冒頭。この主題はNo.22のFianleの冒頭にも似ていると思うような下降旋律。(参考までに2つの主題を並べてみた) 調性と拍子は違うが休止を挟む下降する雰囲気は似ている。しかしNo.38の方は、T1からスタッカートの指示がある。その後スラーがあるなど僅か2小節の中でも微妙な違いがある。
T41からのob.のsoloは、意外にも少し控えめな録音。ここからT51までob.の長いsoloがあるが、常にスタッカートに近い奏法で通している。その後T52-T53の下降するスラーの柔らかい音色と対比的。打楽器群も第1楽章ほどではなく控えめ。ob.を目立たせてはいるが、あたかもob.協奏曲の様に前面に登場させていないのは意外な感じ。前半と後半の繰り返しは忠実に守る。後半部分の繰り返しの展開部の終結部分では、ob.の短いカデンツアがあるが自然な雰囲気。全体的に各楽章での録音のバラツキを感じる。
Obのsoloがあり、クレジットに奏者の名前があると良いが記載なし。
 2019年8月6日 38番 ヘルムート ミュラー=ブリュール ケルン室内管弦楽団 を聴取。この曲はFinaleに向けて、あたかもob.協奏曲の様に展開していく。その分、前半の2つの楽章は、ob.は通常通りの役割になるのと対照的。第1楽章の冒頭の主題。得てして、第1vn.の跳躍ある旋律が耳に入ってしまう。しかし、第2vn.、va.のシンコペーションにリズム(ハイドンはNo.1の交響曲の第1楽章からしばしば採用)も重要。vn.の対向配置を生かせば、この旋律も目立つが。ブリュールの場合は余り目立たず。
 第2楽章で弱音器をつけた第2vn.も、音量の変化が少ない。(弱音器の効果が余りないように聴こえる)後半のob.の活躍は自然な雰囲気。Tuittiの中で、少しob.を目立たせている。

(タグとして2019年8月6日とする)
 2019年8月17日 26番 ニコラス ウオード The Northern Chamber Orchestra を聴取。この曲は録音の数が多く自分のレビュー数も多い。最近だと、N クレーマーのレビューが印象的。(譜面あり)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1058.html

上記のレビューは、モダン楽器のライブ録音であるが、強弱の対比の鋭さ。通奏低音にcmb.ではなく。 オルガンを使用するなどユニークな演奏だったの印象的。ウオードの方は、モダン楽器で奏者が少なめ。今まで余り冒頭のシンコペーションの動機について記載をなかったが。第1小節目がD音で重音になっている。D音は、vn.の開放弦の音程で、開放弦と非開放弦の2つに分かれて演奏するのか? この当たりは、他の指揮者ど同様だが、余り分からない。
 2020年10月25日B スピルナー Heidelberger Sinfoniker No.38を聴取。偶然かあるいは、何かの意図があるのか。このCDには同じ調性のC調がすべて4曲になっている。No.38は自筆楽譜がなく、打楽器群は入る演奏と入らない演奏の2種類に大別できる。ホグウッドは打楽器群が入らない。スピルナーの合も打楽器群が入らない。
もし打楽器群が最初から入っていると、C調でTuittiからはじまる、派手な雰囲気から入る。しかし打楽器群が入らないので、冒頭からこじんまりとした雰囲気。逆に奏者がやや少ない編成を生かした、あくまで室内楽団のスタイルでもある。No.63と違って、冒頭からcmb.が入っている。
 均整のとれた曲のひとつで最後は、ob.が華々しく活躍するのが特徴。多くの指揮者は、Finaleのob.の活躍をメインにしている雰囲気。ホグウッドでも打楽器群は入らないものの、ob.はやや目立たせている。
一方スピルナーの場合、ob.を殆ど目立たせない。あくまでユニゾンとしてob.がメイン。Ob.のsoloの箇所はさすがに少しは目立つが、それでも伴奏する弦楽器がメインの雰囲気は以外。曲によってはこの様な解釈もあるかもしれない。
 ニックネームに由来にもなった第2楽章のエコーのい部分。第2vn.の弱音域の音は第1vn.と対比されて効果的。提示部とその後半(展開部+再現部)は、それぞれ忠実に繰り返しあり。低実の後半。さらに展開部と再現部の前半の部分。この2つの部分では弦楽器は全てsoloになっている。短い第2楽章であるが、曲の真ん中の部分で、soloの箇所が入っていることになる。繰り返しがあっての意外な展開。曲全体が打楽器群が入らないので、そもそも室内楽的に終始、さらに第2楽章はsoloを多用するなど、曲全体を室内楽的に通している特徴の印象。
 38番 Derek Solomons, L'Estro Armonico  デレック・ソロモンス レストロ・アルモニコ

2021年12月8日 38番 Derek Solomons, L'Estro Armonico を聴取。各楽章のレベルに多少違うのは同様。特にこの曲に関しては、第1楽章の冒頭から終わりまで、録音レベルが極端に低く音が不明瞭。このため聴取が十分にできない。

 No.39から引き続く。2021年に過去のレビューをしていたが、CDの再生不良の箇所が一部あり、途中で終わっていた。再度、別なCDを入手し、2024年12月1日に聴取する。2021年のレビュー時には、第1楽章を中心に録音レベルが下がり、レンジも狭く不明瞭。第2〜3楽章は、それほど不良の箇所はないようだった。今回も、やはり同じような録音状態。オリジナルの音源あるいはCDの製作の段階で、既にこのCDは不良のものが多いのかもしれない。
 打楽器群が入り、冒頭からにぎやかな曲だが録音が悪いため、不満。Finaleのob.について。最近だと ドラティの演奏で、T12から最初は伴奏側に回るob.がポイントと記載した。
下記のレビューに譜例あり。

http://mistee01.blog118.fc2.com/?tag=38%E7%95%AA

T12からの部分は、打楽器群の音を抑えてT90から soloで登場する前の前兆としての役割がポイントだった。録音がよく各パートの動きも明白なので、上記のレビューのようにこの曲が面白いと記載した。
  ソロモンスの方は、他の指揮者と同様に近く、T12からの部分でob.は目立たないのは残念。再現部の終わりのT74の部分。繰り返しの後半は、他の指揮者と同様に、ob.即興は入っている。(ブログ記述 2024年12月3日)

 No.39から引き続く。2021年に過去のレビューをしていたが、CDの再生不良の箇所が一部あり、途中で終わっていた。再度、別なCDを入手し、2024年12月1日に聴取する。2021年のレビュー時には、第1楽章を中心に録音レベルが下がり、レンジも狭く不明瞭。第2〜3楽章は、それほど不良の箇所はないようだった。今回も、やはり同じような録音状態。オリジナルの音源あるいはCDの製作の段階で、既にこのCDは不良のものが多いのかもしれない。
 打楽器群が入り、冒頭からにぎやかな曲だが録音が悪いため、不満。Finaleのob.について。最近だと ドラティの演奏で、T12から最初は伴奏側に回るob.がポイントと記載した。
下記のレビューに譜例あり。

http://mistee01.blog118.fc2.com/?tag=38%E7%95%AA

T12からの部分は、打楽器群の音を抑えてT90から soloで登場する前の前兆としての役割がポイントだった。録音がよく各パートの動きも明白なので、上記のレビューのようにこの曲が面白いと記載した。
  ソロモンスの方は、他の指揮者と同様に近く、T12からの部分でob.は目立たないのは残念。再現部の終わりのT74の部分。繰り返しの後半は、他の指揮者と同様に、ob.即興は入っている。
 2024年9月28日  38番 ドラティ盤を聴取。ホーボーケン番号順に聴取しているので、作曲年代が「ちぐはぐ」となる。どのあたりで区切りをつけてよいか微妙な所。井上著「ハイドン106の交響曲を聴く」はホーボーケン番号順に掲載がされているが、No.38から一区切りをつけて、第3章 「大忙しの楽長」となっている。ひとつ前のNo.37は、かなり以前の作曲。それに対してNo.38は、かなり後の作曲になる。No.37と比較すると、打楽器群が入り、ob.のsoloの箇所が随所に登場するなど、聴き所が多いので、区切りをつけるにはちょうどよいタイミングだと思う。
 このブログを立ち上げた頃は2010年の頃。ドラティ、フィッシャー、デイビス盤の3者を比較する所からスタートした。当初はこの3者の比較しかできないことが多く、他の奏者との比較も殆どできなかった。その当時のレビューでドラティ盤では、 「ob.のsoloが目立たなくフィッシャー盤を勧める」と記載をした。その後、ホグウッド盤の打楽器群が入らない演奏なども聴いてみると、比較の対象が増えてくる。T ファイ の後継となった スピルナーの演奏では、ob.のsoloが余り目立たないなど、様々なスタイルを経験した。
改めて、ドラティ盤を聴いてみると、ライヴ録音でない丁寧な演奏を忠実に守っているような雰囲気を感じる。アントニーニのYoutubeのライヴ映像の様に、菅楽器のsolo の部分などは、どうしてもレンジの狭さも加わり、今ひとつ、soloと tuittiとのバランスが悪くなってしまう。同じ曲でYoutubeとCDとを比較してみると、No.6〜8のように、solo の音色や音量は、よくわかる。しかしtuittiの中で各パートのsoloの細かい音色までは、分かり難い箇所がある。特にYoutubeの場合は、CDと比較して限界があるように感じる。
 それに対して、ドラティは集中的に同じ奏者の同じ会場で録音を完成させた。このため、曲ごとの比較が分かりやすい。ホグウッドなどは、初期の頃と中期以降の奏者の数を変えている。アントニーニも、全てではないが、中期からは、Basel室内管弦楽団を中心に奏者を増やしている。それに対してドラティは、初期から後期まで同じ奏者の数の様だ。手元のライナーノートには、奏者の氏名などが記載されていない。実際の奏者の数が記載されていればもありがたいのだが。初期の交響曲、たとえば一つ前のNo.37は、明らかかに作曲年代はNo.38と比較してかなり前になる。同じ奏者数なので、初期の頃の交響曲と後期の頃の交響曲とが全て同じ録音になってしまう。元々弦の奏者の数が多いので、後期の交響曲は、tuittiの箇所でも違和感がない。しかし初期から中期の交響曲は、今ひとつ作曲年代と比較して音量の差がない。このあたりについては、一長一短の解釈さと思う。
 
 ハイドンはob.協奏曲は作曲していない。106の交響曲の中で、これほど、ob.が活躍する曲は、恐らくこの曲が唯一であろう。第3楽章のTrioの部分でob.がsoloとして活躍する。Trioの箇所で、菅楽器がsoloとして活躍するのは、中期の頃の交響曲ではしばしば登場するパターン。初演のときに、エステルハーズィ候の関係者が聴いた時。音楽的の知識な豊富が人たちばかりだったと思うので、Trioのob.の箇所は、過去の聴いて来たスタイルを踏襲した印象のみだったかもしれない。しかしFinaleでob.があたかもob.協奏曲の様に次第に活躍する。
 このFinaleをスコアで見てみると、思ったよりも仕掛けがあると思う。冒頭の主題は、「P」の音色から始まる。Tuittiの大音量ではない。この手法をみて、モーツァルトのNo.31のFinaleを思い出す。 Menuetto はない3楽章だが、Finaleでモーツァルトは、聴衆を驚かすような仕掛けであえて大音量のtuittiでは開始しなかった。No.38は、va.とbass.が入っているが、主旋律は第1 2vn.のみとなっているのは共通。T8でtuittiとなり、この時に関係者は、いつものtuittiのFinaleがようやく登場したと安心したと思う。
しかしT13でまた冒頭の様に弱奏にもどってしまう。T13から1拍めでob.が既にsoloで 低い音程(c) 弱音で入っている。Timp.も同じ様に入っているが、こちらは控え目。T13のob.はこの後に続くT41からのsoloに入る前の予兆あるいは、小手調べの様な雰囲気。得てしてob.の駆けまわるようなsoloの音色が注目されがち。しかしT13からのob.の予兆箇所。Finaleは単一主題だと思うが、T22からの弦楽器の各パートの対位法的な動き。スコアをみると、意外な仕掛けがある曲の一つだと思う。ドラティの演奏は右側に打楽器群は入っている。しかし極端に打楽器の音を入れていない。その分、各パートの動きはvn.は対向配置でないが、よくわかる。
 初演を聴いたエステルハーズィ候は、このFinaleを聴いて、どの様な印象を持ったのか?第1楽章は通常の交響曲と大差はない。弦楽器のみの第2楽章は第2vn.は弱音器を付けたエコー効果。第3楽章  Menuetto は通常の雰囲気。しかし最後のFinaleはあたかもob.協奏曲のように華やかに終わる。数10曲の曲を初演の時から聴いてきて、今までとはまったく違った経験を味わったと思う。
 2024年12月1日 38番 ソロモンス。No.39から引き続く。2021年に過去のレビューをしていたが、CDの再生不良の箇所が一部あり、途中で終わっていた。再度、別なCDを入手し、2024年12月1日に聴取する。2021年のレビュー時には、第1楽章を中心に録音レベルが下がり、レンジも狭く不明瞭。第2〜3楽章は、それほど不良の箇所はないようだった。今回も、やはり同じような録音状態。オリジナルの音源あるいはCDの製作の段階で、既にこのCDは不良のものが多いのかもしれない。
 打楽器群が入り、冒頭からにぎやかな曲だが録音が悪いため、不満。Finaleのob.について。最近だと ドラティの演奏で、T12から最初は伴奏側に回るob.がポイントと記載した。
下記のレビューに譜例あり。

http://mistee01.blog118.fc2.com/?tag=38%E7%95%AA

T12からの部分は、打楽器群の音を抑えてT90から soloで登場する前の前兆としての役割がポイントだった。録音がよく各パートの動きも明白なので、上記のレビューのようにこの曲が面白いと記載した。
  ソロモンスの方は、他の指揮者と同様に近く、T12からの部分でob.は目立たないのは残念。再現部の終わりのT74の部分。繰り返しの後半は、他の指揮者と同様に、ob.即興は入っている。