通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽
章
数 |
fl |
fg |
trp |
cl |
timp |
cmb |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
41 |
38 |
Echo |
1767 |
C |
4 |
- |
1 |
- |
- |
- |
(1) |
A |
echoの雰囲気。全楽章の均整が取れている。 |
|
|
|
1 |
C |
Alleglo di molto |
|
|
|
2 |
G |
Andante molto |
|
|
|
3 |
C |
Menuet&torio、Alleglo |
|
|
|
4 |
C |
Finale、Alleglo di molto |
|
2010年12月31日 ディビス盤を聴取。ディビス盤は、作曲順にCDが収録されている。この「曲からジャケットの色も今までと変わり、The storm & stress 時代の突入。1766年 3月に楽長のヨーゼフ・ヴェルナーが没し、ハイドンが副楽長から楽長へ昇格。一つ前のNo.28までと異なり、作風が一段と輝くを増している。もしHob−No.の順番で聴いていたら、37と38とは、驚くほどの差が感じる。実際、約10年の開きがある。
後半の2楽章は、ob.が驚くほど活躍するが、前半は、それほど目立たない。(第2楽章は管楽器は休み)Andanteで第2vn.の位置は通常通り左側。第2vn.は弱音器を付けているが、第1vn.との音量の差が、今までの2種の演奏と比較して差が余りないのも原因か?通称名のecho(こだま)の効果は余り聴こえて来ない。(弱音器を付けていない可能性あり)
Menuetでは、今までにも何度か記載をしていたが、ob.と弦のユニゾンが効果的。trio.でob.が華々しく活躍するがユニゾンと対照的。ライブ録音のためか、後半の楽章では、ob.を目立たせるために弦がやや控えめになっている。曲としてのランクはAで変わらず。soloのobは、レガート風に軽やかだったり、スタカーット風に鋭かったり、演奏自体も晴れやかに飛び跳ねて活躍するのが一番の聴き所。3者の中では、やはりフィッシャー盤と推薦したい。 |
|
2013年4月29日 追記。ホグウッド盤を聴取。今まで聴き通してきたとおり、ホグウッド盤では、trp.とtimp.は入っていないためやや、やわらかい感じ。提示部の終わりごろ(T60あたり)でスコアでは、「f」指示のままであるが「p」からクレッシェンドで盛り上がって、終結。再現部も同様。
第2楽章のAndanteのvn.の配置は通常通り。両端の楽章が明るい雰囲気で、音量が大きく楽器編成も多い。これとは対照的なのがよく分かる。trp.とtimp.が入っていないのもかからず、やはり対照的。
Finaleのob.の活躍は、この演奏は弦楽器の奏者数がやや少ないのか、Tuittiでは、やや迫力に欠ける。しかしその分、細かいところが聴き取れる。ハイドンは、ob.協奏曲を作曲していない(まだ、新たに発見される可能性があるかおもしれないが) もし、ob.協奏曲が発見されたら、そのFinaleは、この様になったと思う。この曲を聴き終わって真っ先にob.奏者へ拍手が送られたと思う。ライブで聴いてみたい。
これまでの聴取記録で、この交響曲に関して、3者が大きく異なると記載をした。このホグウッド盤でも同様に、4者が全て異なる印象。ランクは、やはりAの価値があると、あらためて認識。
1771年頃〜1773年頃は、短調の交響曲が登場する。(それまでは、1曲しか短調の交響曲がない)この時代から、新たな展開が始まるのは、多くの学者等が提唱している通り。それまでに作曲された約35曲を取り上げた場合、どれを推薦するか? 私なら、これを第一に挙げたい。 |
2016年6月2日 ブリュッヘンOrchestra of The Age of Enlightenment を聴取。古楽器であるが、ホグウッドよりも編成が大きいと思う。第1楽章のテンポは、ホグウッドよりもゆっくり目。第2楽章のラメンタチオの旋律は、ob.と第2vn.が受け持つ。ブリュッヘンは、第2vn.はかなり控えていて、ob.を目立たせている。他の演奏家にも共通すると思うが、この楽章のT57までは、hr.は登場しない。T58から、急に雰囲気が変わったように、全体に厚みがある様にhr.が登場するのはブリュッヘンでも効果的。
第3楽章のMenuetの後半の繰り返しについて。Finale終楽章の思わせる雰囲気。通常のMenuetは、Trioを挟んで、前半と後半は、ほぼ同じ演奏スタイル。しかしブリュッヘンは、後半のMenuetの登場から長い休止を挟んで、かなりゆっくり目のテンポで登場。Menuetの最後はppで終了する。最後のFinaleに向けて、ゆっくりしたテンポで前半の雰囲気と大きく頃なる解釈は初めて聞く。しかし全体的に、ブリュッヘンならではの、個性や特徴は余りないと思った。
|
2016年12月28日 T ピノック No.38を聴取。Finaleの盛り上がりが一番の聴き所だと思う。Ob.のsoloはもちろんのポイントだが、それ以外にも色々な旋律が登場する。T21からの経過部の動機は、展開部でも少し登場し、再現部でも再登場。この楽章は得てしてob.ばかりに聞入ってしまうが。この部分は対位法的にも注目に値する。(短い動機が半小節ずつ遅れて登場)ピノックの演奏は、各弦のパートが鮮明。奏者数は多くなくTuittiでの迫力は今ひとつだがその分、各パートが鮮明で聴き応えが多い。展開部と再現部の繰り返しを採用しているので、演奏時間も長く堪能できる。
同じ調性のNo.58のFinaleとも、速いテンポで華やかな点から似ている雰囲気がある。こちらの方は、ob.が主体であるが各弦を中心としたパートの動きが複雑で聴き応えがある。それに対してNo.58の方はTuittiでの迫力を重視し多くの聴衆を意識した曲。数年先の曲ではあるが、同じ作曲で同じ調性でもがらりと構成が異なる。ハイドンの交響曲を聴き通していく中で、様々な指揮者を聴いてきた。演奏の解釈を通して、各曲の微妙な面白さ、聴き応えが少しでも分かり掛けてきたような気持ちに少しなった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー |
2019年3月20日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 38番を聴取。俗称は付いているが、どちらかといえば余り注目がされない方の曲のひとつ。第1楽章の雰囲気は、数年先のNo.48の冒頭の雰囲気を予測される。No.48ほどの派手さはないが、打楽器群がこちらも入る。Tuittiの箇所も多く旋律が多彩で、弦のパートを中心に高低と強弱の差が大きいのは共通している雰囲気。メルツェンドルファーの演奏では弦楽器は抑え気味で、打楽器分が前に出ている。打楽器群はやや右側に位置し、右側のhr.と同じ様な位置。打楽器群の位置を中央や左側に分ければ、ステレオ間は広がり、さらに迫力があると思うが残念。管楽器のob.はここでは余り目立たず。
第2楽章で「エコー」の俗称の元になる2つのvn.の掛け合いは普通。前半と後半の繰り返しがないため、3:53で終了。第3楽章 Menuet Trio の部分でob.のSOLOが開始となる。Finaleの予兆もあり、ここで派手にあるかとも予想するが、他の指揮者と同様に余り目立たせない。
Finaleの冒頭。この主題はNo.22のFianleの冒頭にも似ていると思うような下降旋律。(参考までに2つの主題を並べてみた) 調性と拍子は違うが休止を挟む下降する雰囲気は似ている。しかしNo.38の方は、T1からスタッカートの指示がある。その後スラーがあるなど僅か2小節の中でも微妙な違いがある。
T41からのob.のsoloは、意外にも少し控えめな録音。ここからT51までob.の長いsoloがあるが、常にスタッカートに近い奏法で通している。その後T52-T53の下降するスラーの柔らかい音色と対比的。打楽器群も第1楽章ほどではなく控えめ。ob.を目立たせてはいるが、あたかもob.協奏曲の様に前面に登場させていないのは意外な感じ。前半と後半の繰り返しは忠実に守る。後半部分の繰り返しの展開部の終結部分では、ob.の短いカデンツアがあるが自然な雰囲気。全体的に各楽章での録音のバラツキを感じる。
Obのsoloがあり、クレジットに奏者の名前があると良いが記載なし。 |
2019年8月6日 38番 ヘルムート ミュラー=ブリュール ケルン室内管弦楽団 を聴取。この曲はFinaleに向けて、あたかもob.協奏曲の様に展開していく。その分、前半の2つの楽章は、ob.は通常通りの役割になるのと対照的。第1楽章の冒頭の主題。得てして、第1vn.の跳躍ある旋律が耳に入ってしまう。しかし、第2vn.、va.のシンコペーションにリズム(ハイドンはNo.1の交響曲の第1楽章からしばしば採用)も重要。vn.の対向配置を生かせば、この旋律も目立つが。ブリュールの場合は余り目立たず。
第2楽章で弱音器をつけた第2vn.も、音量の変化が少ない。(弱音器の効果が余りないように聴こえる)後半のob.の活躍は自然な雰囲気。Tuittiの中で、少しob.を目立たせている。
(タグとして2019年8月6日とする) |
2019年8月17日 26番 ニコラス ウオード The Northern Chamber Orchestra を聴取。この曲は録音の数が多く自分のレビュー数も多い。最近だと、N クレーマーのレビューが印象的。(譜面あり)
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1058.html
上記のレビューは、モダン楽器のライブ録音であるが、強弱の対比の鋭さ。通奏低音にcmb.ではなく。 オルガンを使用するなどユニークな演奏だったの印象的。ウオードの方は、モダン楽器で奏者が少なめ。今まで余り冒頭のシンコペーションの動機について記載をなかったが。第1小節目がD音で重音になっている。D音は、vn.の開放弦の音程で、開放弦と非開放弦の2つに分かれて演奏するのか? この当たりは、他の指揮者ど同様だが、余り分からない。 |
2020年10月25日B スピルナー Heidelberger Sinfoniker No.38を聴取。偶然かあるいは、何かの意図があるのか。このCDには同じ調性のC調がすべて4曲になっている。No.38は自筆楽譜がなく、打楽器群は入る演奏と入らない演奏の2種類に大別できる。ホグウッドは打楽器群が入らない。スピルナーの合も打楽器群が入らない。
もし打楽器群が最初から入っていると、C調でTuittiからはじまる、派手な雰囲気から入る。しかし打楽器群が入らないので、冒頭からこじんまりとした雰囲気。逆に奏者がやや少ない編成を生かした、あくまで室内楽団のスタイルでもある。No.63と違って、冒頭からcmb.が入っている。
均整のとれた曲のひとつで最後は、ob.が華々しく活躍するのが特徴。多くの指揮者は、Finaleのob.の活躍をメインにしている雰囲気。ホグウッドでも打楽器群は入らないものの、ob.はやや目立たせている。
一方スピルナーの場合、ob.を殆ど目立たせない。あくまでユニゾンとしてob.がメイン。Ob.のsoloの箇所はさすがに少しは目立つが、それでも伴奏する弦楽器がメインの雰囲気は以外。曲によってはこの様な解釈もあるかもしれない。
ニックネームに由来にもなった第2楽章のエコーのい部分。第2vn.の弱音域の音は第1vn.と対比されて効果的。提示部とその後半(展開部+再現部)は、それぞれ忠実に繰り返しあり。低実の後半。さらに展開部と再現部の前半の部分。この2つの部分では弦楽器は全てsoloになっている。短い第2楽章であるが、曲の真ん中の部分で、soloの箇所が入っていることになる。繰り返しがあっての意外な展開。曲全体が打楽器群が入らないので、そもそも室内楽的に終始、さらに第2楽章はsoloを多用するなど、曲全体を室内楽的に通している特徴の印象。 |
38番 Derek Solomons, L'Estro Armonico デレック・ソロモンス レストロ・アルモニコ
2021年12月8日 38番 Derek Solomons, L'Estro Armonico を聴取。各楽章のレベルに多少違うのは同様。特にこの曲に関しては、第1楽章の冒頭から終わりまで、録音レベルが極端に低く音が不明瞭。このため聴取が十分にできない。
|
|
|
|
|
|