音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.39 hob-No29)
2024年9月8日 追記

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
39 29 1765 4 -  -  - - (1) C Andanteの第2vn.の掛け合い。
       1 Alleglo di molto
       2 Presto
       3 Menuet allegretto
4 Presto
Hob−No.-28〜31は自筆楽譜が現存し作曲年代が確定している。中野著「ハイドン 復活」の最後の方に、交響曲の一連の作曲年が、過去の学者の研究の一覧で掲載されている。Hob−No.の順番であるが、もう一度見直してみた。 自筆楽譜が当初から現存しているのは、これまで聴いて来た中で3割程度しかない。
 第2楽章Andanteのvn.の掛け合いが面白い。第1と第2が交互に演奏する。フィッシャー盤は第2vn.,がこの楽章だけ、通常との配置とは異なり右側に位置している。ステレオ感の広がりがあり第2vn.の細かい動きが聴き取れる。 モーツァルトの初期から終期までの交響曲の様な、第2vn.の独自の動きはハイドンでは余りない。しかしこの第2楽章のみは、かなり目立つ。
 個人的には モーツァルトは第2vn.は独自の動きが多いこともあり右側を好む。しかしハイドンの場合は、現代良く用いられる配置の左側で良いと思う。 (2019年1月19日追記 この第2vn.の配置については、難しい論点であると思う)

 ob.が2本であるが、soloとは違って2本が掛け合いながら進行するのは目立つ。音作りにはそれなりの工夫が多少はある。しかし全体を通して、さらりと書かれている雰囲気。Menuetのtrioは短調だが異様な雰囲気。主旋律が聴こえてこない。他のパートであったのが、削除されたのか? ドラティ盤も第2vn.をAndanteのみは右側に位置する。
(2019年12月30日追記 タグとして2010年12月28日とする)
2010年12月30日 ディビス盤を聴取。楽器編成が fl を欠いていること。第2楽章では、第2vn..は通常と同じ左側。vn.同士の掛け合いは余り目立たないが、低弦との対比はその分ある。
 現代音楽作曲家福田陽のホームページ(リンクのページにアドレスを記載)によると、Menuetのtrioについて記述。パートがあったのを削除したと自分なりには記載をした。ここでも本来fl.のパートが主旋律を受け持っていたが、何らかの理由で解雇となり欠如したとのこと。Menuetの主部ではob.が活躍しており、fl.との持ち替えがtrioではできない。trioではハイドン自身がcmb.で指揮をとり、fl.の代用をしたのではないか?の記述。この方法は私なりにも納得できる。
2011年4月8日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。フィッシャー盤では、ディビス盤ほど、管楽器が目立たないためob.の音色は標準的。
 しかしそれよりも、やはりAndanteの掛け合いが面白い。これは前記をしたように第1と第2vn.の掛け合いが特徴。フィッシャー盤では、やはり何度か、慎重に聴いてみたが、第2vn.は右側に位置している。この後の聴取記録 通しNo.41 Hob-No-39 「echo」 )のAndanteも同様に 第2vn.が右側に臨時的に配置をしている。掛け合いを重視する音色ではフィッシャー盤では、第2vn.を通常の左側の奥から、右側手前の当時の楽器の配置にしている。(対向配置) 掛け合いを重視する場合は理に適っていると思う。
 ただし実際の演奏会をもし見た場合、第1楽章は通常通りに配置(第2vn.は左側奥)で聴いてみて第2楽章のみ演奏者が急遽、移動することになる。第3楽章では、また元の第1楽章と同じ配置に戻る。この手間とか、雰囲気が変わるのは一長一短だと思うが。
 それは別に置いても、この掛け合いは注目に値する。フィッシャー盤では、スコアでは指定がないようだが、codaに近い箇所では各パートのsoloの箇所がある。soloが所によってあるのは、やはり実際の演奏会に行ってみてこそ、分かる箇所が多く醍醐味があると思う。
  楽器編成が縮小された第2楽章に対して、第3楽章Menuetは管楽器が復活。trioの異様な雰囲気は前記したとおりだが、福田氏のホームページの様にfl.の解雇問題は興味がある。ただし一点、少し気になる点がある。fl.奏者が、この曲の中でtrioのみの演奏箇所だったのかどうか? 
(2012年1月6日追記) 現代の演奏だと弦楽器の奏者は、エステルハージ楽団よりも多いのが一般的。聴きにくるために、観客は入場料を払って来る。楽章間でわざわざ弦楽器の一部のパートを、第2楽章だけのために変更するのは、余り価値がないと推定される。しかし初演の頃の小規模で私的な楽団だったら、楽章間の演奏配置の変更は、それなりのちょっとした面白みがあったかもしれない。
 Menuetの主部でob.が活躍するために持ち替えは不可能。そうなると他のパートでもfl.の活躍があっても良いと思う。しかしこのtrio箇所以外は、fl.の活躍する部分はなさそう。元々、弦が主体の旋律が多く管楽器は付随的な箇所が多い。(第1楽章は活躍があるが soloの記載はなし) 今ひとつ、疑問が残るのが感想。
 Finaleは第1,3楽章と同じ楽器編成。しかし殆ど弦のユニゾンが重視されている。全体的に聴き通してみて、やはり第2楽章の掛け合いが印象的。ドラティ盤は、フィッシャー盤よりもテンポが中庸。楽器の配置も通常通り。ディビス盤も同様。第2楽章の弦の掛け合いが一番の聴き所と思う点から、フィッシャー盤を一番に取りたい。
2013年4月5日 追記。ホグウッド盤を聴取。Andanteでの2つのvn.の掛け合いが聴き所であるが配置は通常通り。
2018年10月7日 29番 ニコラス ウオード The Northern Chamber Orchestra を聴取。No.22から引き続く。No.29にも少し記載をしたが、総勢25名ではあるが、弦の配置人数がNo.22で記載したとおりだと、初演当時の宮廷の人数と殆ど同じ。(中野著 ハイドン交響曲では、この当時 vn.は4〜6人だが、va. vc. Bassは1名ずつ)

 第2楽章の2つのvn.の掛け合いが聴き所のひとつしたが対向配置でないので残念。Finaleもtuittiの箇所では2つのvn.がユニゾンで引く箇所が多い。対向配置ならバランスが良いが。テンポが中庸だが流れるように心地よく進んでいく。モダン楽器と思うが演奏規模が適切で、初演当時の演奏をモダン楽器で再現されている好演と思った。
2019年3月18日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 29番を聴取。この曲からhr.は通常の2名。hr.はあくまで旋律の補強の役割が多い。第1楽章を中心に、一部ob.のsolo またはsoliに近い箇所がある。No.27にも記載をしたが、ここでもob.が目立つ。個人的にはユニゾンの箇所では、ob.はTuittiでの補強の役割。弦楽器に対しては、Tuittiでも控えの役割だと思う。しかし概してob.がTuittiでも弦を通り越して前面に出ている雰囲気。しかしそれでも再現部の冒頭での管楽器のユニゾンの箇所。提示部の類似箇所では、ob.のみだったがt108ではob.とhr.のユニゾンになっている。ハイドンはしばしば再現部でも提示部とは異なり、旋律、強弱、調性など様々に変えている。このT108の箇所では、ob.は控えめに周り、hr.を前に出している。

 第2楽章は弦楽器のみ。Va.以下の低弦の旋律は、殆どユニゾンで同じ箇所が多い。それに対して、2つのvn.の掛け合いが興味深いが、通常配置のためか、掛け合いが余り目立たない。第2vn.は中央よりもやや、右側まで広い範囲で配置をしている感じ。2つのvn.が、かなり広い範囲であるのに伴い、va.以下の低弦が、vn.の押される可能性もある。しかしメルツェンドルファーの録音は、今までどの場合でも、大半は低弦の音量が押さえられることがない。この当たりは旨く録音で調整しているのかも。
 Finaleは、今までの3つの楽章と比較して管楽器が持続音を受け持つ。管楽器は控えめに回りその分、弦楽器の細かい旋律が分かりやすい。各楽章の特徴に応じて録音の方法も、使い分けているのかも。
 2024年2月23日 29番 J クランプ Johanees klumpp Heidelberger Sinfoniker を聴取。一つ前の第28集は4曲がセットでありながら、それぞれの曲に独自の特徴があり、これをどのように聞き分けるかがポイントになっていた。No.29には、元々、作曲された時点で、どちらかと言えば、さらりと書き上げた印象に私は見受けられる。
 緩徐楽章こそ第1、2vn.の掛け合いで一種のステレオ効果を持たした特徴はある。第1,4楽章で2つのvn.パートがユニゾンで共通した動きの箇所が多い。限られた動機を、少しずつ小出し、あるいは展開、変形していくのがハイドンの特筆だと思う。しかしこの曲に限っては、どうもこのような特徴を殆ど見いだせない。繰り返しの後の装飾も余りない点をひとつ前のNo.28にも記載した。この曲も同様。No.28と同様に全体的な印象が薄く、クランプとしての特徴も余り見いだせないと思った。

 2024年9月3日 ドラティ盤 No.29を聴取。緩徐楽章では、ドラティでは随所に、cmb.が装飾的に活躍する。この曲もそのひとつで、T16〜17の部分はcmb.が高い旋律で活躍。井上著にも「低弦部の第2主題の方が面白い」と記載がある。
 第1主題は、2つのvn.が掛け合うが、この後にNo.38の第2楽章のスタイルにも類似しているかも。No.29の方は、2つのvn.は掛け合うが、第2vn.は弱音器を付けていない。また同じ音量なので、エコーの様な効果は想定していない。むしろ、2つのvn.をユニゾンで扱うように、低弦との対比を重視したような構成と思う。

第3楽章 Trioの部分の旋律は不明瞭。過去のレビューに以下のサイトにfl.奏者の解雇について記載があった。

https://www.masque-music.com/haydn/haydn1b.htm

上記の記述の中で、Trioの主旋律は、ハイドンがcmb.で弾いていたことを指摘。当時、エステルハージ楽団にはcmb.奏者はいなかったと思う。ハイドンがもし奏者として演奏していたのなら、第1vn.あるいは第2vn.の奏者となる。このTrioの調性は e-mol(ホ短調)この調性で、どのような動機をvn.で弾いたのか。Trioの最初の部分はわずか10小節。後半の中間部は10小節でその後、Trioの最初の部分が続き10小節で計30小節。最初の10小節で、e-molの旋律を配置するのにも、かなり短いので代わりの旋律を挿入するのは難しいと思う。
調整こそ違うが一つ前のNo.28のTrioの旋律はどうか? 第1vn.のみだが、これをfl.パートとして移調して使用してみる。長さ的には、それほど違和感がなさそう。No.28の伴奏する旋律とNo.29とも合いそうな気がする。

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