音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.36 hob-No30
 2024年9月8日 更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
36 30 アレルヤ 1764 C 4 -  -  - - (1) C Menuetの最終楽章でtrioの2部形式。
       1 C Adagio
       2 G Andante
       3 C Finale:Tempo di Menuet piu tosto Alleglletto
4
名曲解説全集では補完に掲載。(→その後、もう一度、調べてみたら掲載はなし。)第1楽章にアレルヤの旋律が用いるために、この俗称が付く。C調だがtrp.とtimp.はなし。(特に第1楽章は祝典的な雰囲気であるが)Andanteはfl.の活躍がやや目立つがsoloを引き立てるまでには、至っていない。Menuetのtrioでは、fl,と弦のユニゾンが心地良い。trioは長く2部形式になっている。(最終楽章で終了するためか?) 3楽章で終わることもあり 第3楽章はMenuetのcodaが付いているものの、聴き通してみても迫力に欠ける。
 ドラティ盤はcmb.の音が目立ち過ぎてやや耳障り。その分Menuetを中心に、低弦とは違ったチェンバロの独自の装飾が良く聴き取れる。
(2019年12月30日追記 タグとして2010年12月25日とする)
2010年12月27日 ディビス盤を聴取。Finaleのテンポはフィッシャーやドラティ盤と違って速め。
2011年3月28日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。スコアを見ながら聴いて見ると、本来の第1主題は副題となった「アレルヤ」の旋律であろう。しかし最初からは、第1vn.からは登場しないので目立たない。提示部から展開部へ進むに連れて、この旋律が次第に目立ってくる。再現部からは最初の第1主題は、もはや影を潜め本来の「アレルヤ」の旋律で華々しく終わる。一度聴いただけでは、この細かい旋律までは理解がし難いと思う。
 なお井上著では、Allegloでは2本のhr.の変わりに4本のtrp.が用いられて、華やかさが増していると記載があった。私が聴く限りhrは2本のままでtrp.がさらに加わっていると思う。
 ドラティ盤はオリジナルの解釈を尊重したのかtrp.の使用はなし。フィッシャー盤と比較して高音域で、やや華やかさが欠ける。AndanteとMenuetではcmb.の華やかさを再度、確認。ドラティ盤は、trioの部分は続けて演奏している。Menuet主部の2回の繰り返しがない。旋律の違ったtrioが中間部にある。このため演奏時間が短くなっている。この楽章で終えることもあり、Menuetの主部は2回の繰り返しがあった方が聴き応えがあると思う。
 フィッシャー盤の楽器編成はドラティ盤と同じ。Andanteの後半でflの短いカデンツアがある。Menuetのテンポは速めであると前記した。Finaleを意識するためか。trioの使い方はドラティ盤と同じ。ランクはCで変わらず。
2013年4月11日 追記。ホグウッド盤を聴取。trp.とtimp.の使用がないので、やわらかい雰囲気。アレルヤの旋律が、最初は目立たないのだが、少しずつ展開部から再現部にかけても、はっきりとしてくるのがこの曲のポイントであると思う。ホグウッドの演奏は各パートが細かく聴こえている。この旋律が、どのパートを受け持っているのかを、細かく聴いて行くのが醍醐味のひとつ。 
 hob-No.ー31のFinaleの最後の部分で、管楽器のトリルの点を記載した。注意深く聴いてみると、この第1楽章でも同様。展開部と再現部は作曲者の指示に従い、ホグウッドは忠実に守っている。繰り返しのときは各パートに装飾音を加えている箇所が多い。これと同じ判断でトリルに変えたと推定。最初の部分と比較して、華やかさが加わり効果的。
2018年10月9日 30番 ニコラス ウオード The Northern Chamber Orchestra を聴取。フィッシャー盤はhr.の代わりにtrp.が入っていた。こちらは通常通りhr.のまま。全体的に近接音がやや多い。その分、各パートの動きは良く分かる。これが幸いしてか第2楽章は奏者が元々少ないことも相まってfl.のが華やかに活躍。
  今までの演奏だとFinaleは、Menuetの延長だと思い今ひとつだと思う曲の印象だった。しかし再度、聴取し直してみるとtempo di Menuet,piu tosto allegro 表記となっている。通常のMenuetとは異なりロンド形式の一種に近い。第2楽章では柔らかい雰囲気の奏者としてfl.が登場した。第3楽章の中間部でfl.が高音域で第2楽章と同様に華やかに活躍する。その後はfl.は登場しない。楽器の交代が曲想の変化によって微妙に役割を変えている。この演奏を通して改めてfl.の役割分担について考え直す機会となった。cmb.は緩叙楽章を含めて常時、入っている。繰り返しは忠実に守るが、繰り返しの後半での装飾等は特になし。
2019年3月15日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 30番を聴取。3楽章全体を通してテンポは概して少し遅め。第2楽章でT8からfl.のsoloが入る。スコアではスラーの箇所が任意の点線になっている。ここでは下降するときは、スラーにそれ以外の箇所はスタッカートになっている(特にT18の部分)展開部では再びfl.が活躍する。ここでは殆どの箇所でスタッカートの様に、緊張感が増えて提示部と旨く対比させている。 録音も緩叙楽章を中心にヒス音が少し目立つ。
 2019年12月23日 30番 ジョヴァンニ・アントニーニ(Giovani Antonini)指揮のバーゼル室内管弦楽団を聴取。自筆楽譜が存在し「ハイドン106の交響曲」では、trp.を含む、各種の版があると記述がある。アントニーニは、trp.は入らず。ブログを開設した当初この曲に関しては3楽章で、しかもMenuet のような感じで終わることもあり、今ひとつ物足りない印象でランクを下げた経緯がある。
その後、最近 N ウオード の演奏を聴取して、楽器の音色の効果的な使い方の面白さ。スコアでは単に第3楽章は  Finale:Tempo di Menuet piu tosto Alleglletto と明記されていることから、あくまでFinaleの Menuetでのテンポを見直した。その結果あくまで3楽章で書き上げた曲として意識をし直すと、それなりに、また面白さが変わったと思う。
 他の曲と同様に、古楽器特有の弦楽器のキレを生かした好演は変わらず。第1楽章のT20の部分。冒頭の主題から経過して、段落し調が変わる。1オクターブ離れた2つのvn.は弱音になり、スタッカートの様に切れのある指示の指定がある。この箇所でも、冒頭からの強弱の対比が明確でvn.は sul ponticello 奏法のような雰囲気でうまく表現。
 Finaleは演奏箇所によって、管楽器のob.、fl、hr.をうまく使い分けた演奏形式の様式だと思う。それぞれの管楽器の音色が古楽器を生かして効果的。3つの楽章しかないが、それぞれの楽章の特徴をうまく表現していると思った。
 

30番 ジョヴァンニ・アントニーニ バーゼル室内管弦楽団コ 追記 yotubeより 2020年7月5日 追記


https://www.youtube.com/watch?v=Gy8FQWdmg5Q

No.79からの聴取。曲としての特徴は同じ雰囲気。No.26の時も 記載をしたが、弦楽器の弓の使い方でf の部分は必要の応じて、上げ弓、下げ弓をうまく使い分けている。
 2020年9月20日 30番 ニコラウス・アーノンクール ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスを聴取。No.30はtrp.を含む打楽器群が入る演奏と入らない演奏がある。アーノンクールは打楽器群が入る。冒頭からの打楽器群は音量は控え目。
 T57からの再現部でアレルヤの旋律が登場するが提示部と違って弦楽器が入らない。ここでは打楽器群も入るがあくまで音量を落とし柔らかく演奏。この楽章の最後の方では盛り上がるのとは対照的。レガート奏法の音のふくらみはNo.8と同様に随所に聞こえる。
 ウェブ アニメータ2022年7月22日 30番 鈴木秀美 OLC オーケストラ・リベラ・クラシカ を聴取。このCDは間にモーツァルト vn.協奏曲 No.3が入っている。このシリーズはライヴ録音が前提となっているので、収録順番に聴取することはもちろんだが、選曲や、収録順番なども考慮してレビューをする必要がある。過去のCDでは、hr.を含む低弦の厚みなどについて記載をした。 以下はNo.26のレビュー 

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1405.html

ライナーノートにも記載をされているが、この曲に関しては、やや低弦の厚みを減らし、高音域にシフトしている。確かに、多少ではあるが、少し低弦の厚みを抑えている雰囲気。ハイドンのvc.に関して、No.15のレビューで奏者の数を、曲によっては減らしていること。vc.ではvc.の独奏箇所で、弱奏ではオケの伴奏も弦はsoloになることを記載した。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1423.html

実際の当日の演奏会は、映像がないので詳細は不明だが。このNo.30の一部にも、弦のパートで一部は solo で演奏しているかもしれない。具体的には、T18〜20の vn.のパート。fl.のsoloの呼応する部分。私にはsolo のように聞こえる。
 
2024年2月24日 30番 J クランプ Johanees klumpp Heidelberger Sinfoniker を聴取。3楽章で終わる交響曲。しかも Menuetto に類似した形式のFinaleなので、ある程度の予備知識がないと、消化不良に終わる懸念にもなりそうな曲のひとつ。第1楽章の繰り返しで終わる箇所の直前の部分T74からhr.は本来、休符の箇所である部分。クランプの演奏ではこの部分を補筆するように音を加えて、クライマックスになるようなっている。しかし全体的な印象は、No.28、29と同様に余りない感じ。

 2024年9月4日 ドラティ盤 No.30を聴取。No.28〜29.はfl.が入らない。No.29でfl.奏者の解雇の説があったが、こちらの曲は初めから入っている。またこの後に続くNo.31も府が入る。同じ時期の作曲でNo.72も当たり、これもfl.が入っている。fl.の解雇の問題は、このあたりの時期に関連するかもしれない。
 ドラティの演奏はcmb.は常に緩徐楽章を含めて入っている。また適宜の装飾がある。しかし繰り返しにあたる部分での装飾の追加などはないようだ。FinaleのT17からの部分。スコアでは、低弦部の記載がない。しかしcmb.が入っている。
 ハイドンの交響曲ではfl.は、主に緩徐楽章で活躍する。ob.の代わりに登場することもある。No.30は3楽章のからなり、最後はTempo di Menuet piu tosto Alleglletto
で、テンポの速い楽章ではない。 Menuetto の繰り返しの様に、ついつい聞き流してしまうが、終わりの方は小さいながらもcoda の様な独自な旋律が登場する。中間部では弱奏となり、第2楽章にもsolo のように活躍したfl.が再度、登場する。調性、テンポ、強弱に応じた 楽器の使い分けが上手いと思う曲のひとつ。ドラティは弦の奏者が比較的多く、初期、中期の作品でも、弦の音に厚みがtuittiの箇所でも、菅楽器の音が埋もれることは少ない。この曲も同様。