通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽
章
数 |
fl |
fg |
trp |
cl |
timp |
cmb |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
33 |
22 |
哲学者 |
1764 |
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4 |
- |
1 |
- |
- |
- |
(1) |
D |
ob.の代わりにE.Hを使用。 |
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1 |
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Adagio |
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2 |
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Presto |
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3 |
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Menuet |
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4 |
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Presto |
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2010年12月26日 ディビス盤を聴取。各楽章が同じEsであること。やや冗長な感じに終始する印象は変わらず。 |
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2013年3月26日 追記。ホグウッド盤を聴取。聴取しているハイドンの交響曲で唯一管楽器としてeh .が入る。この音色は今までの3者の演奏と比較して、音色が目立たず。特にMenuetのtrioは弦楽器ば伴奏で、管楽器が旋律を受け持つ。この部分でも、こじんまりと聴こえる。
4つの楽章の中ではFinaleが一番、面白い。テンポがよく調性も細かく、変わっていて快活に進む。このFinaleの主題は、この後にもある通しNo.41 hob-No.38の主題にも類似。こちらの方は、あたかもob.協奏曲のように華やかに進む。それに対して、このNo.22に関しては管楽器の活躍は余りになく、しかもeh.の登場。 テンポは同じPrestoでも、柔らかい雰囲気が特徴。
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2015年3月20日 追記。ゴバーマン盤を聴取。
かなり遅いテンポの第一楽章。一方Presto のテンポや、ゆっりめなので、楽章の切り替えによるテンポの差が余りない。 |
2017年6月2日 ラトル City of Birmingham Symphony Orchestra No.26 を聴取。最近ファイの初期から中期の交響曲を通して聞いてきたため、インパクトのある印象を受けた直後だけに、どの程度の差があるのか気になるところ。モダン楽器で編成は大きい方。冒頭のAdagioのテンポは中庸。展開部と再現部の後半の繰り返しは採用せず。
繰り返しの後半では、多少の装飾はあるがテンポや楽器の振り替へなどは余りない。提示部のほとんど全ての箇所で4分音符の刻むような旋律が登場する。提示部の最初のT46の部分。ここではこの4分音符が全く登場せず、しかも「p」の指定。ファイなら少しテンポを落として微妙なニュアンスを強調するかもしれない。一方、ラトルの演奏は通常通りの解釈。最近のファイのインパクトのある印象に感化された感動がまだ残っていて、ラトルの演奏では特に印象が少ない。 |
2018年10月6日 22番 ニコラス ウオード The Northern Chamber Orchestra を聴取。NAXOS シリーズのハイドン9番目。No.22以外にNo.29とNo.60がカップリングされている。この指揮者と演奏団体は初めての聴取。録音は1992年。ライナーノートには使用楽器については、余り書いていないようだがモダン楽器と推定。メンバーはノートでは24人と記載されている。最近のホームページを見ると弦の人数は下記の通り。
第1+第2 vn.:6、va:2、 vc.:2.Bass1
奏者の数はかなり少ない。Ob.の代わりのイングリッシュホルンは中央やや右側に位置。2名のhr.は左側。vn.は対向配置でない。
第1楽章の冒頭で弦楽器は弱音器のpの伴奏。それに対して、主旋律のhr.は、f で登場するが2人のパートの動きが比較的良く分かる。テンポは概して中庸。展開部と再現部の繰り返しで、後半での装飾は特になし。cmb.は緩叙楽章を除いて大体入っている。 |
2019年1月2日 22番 ニコラス・クレーマー(Nicholas Kraemer)指揮のBBCフィルハーモニック(BBC Philharmonic)を聴取。下記のブログにもレビューが記載されている。事前の情報を入手しなければライブ録音であることが全く分からない。楽章間のノイズも含めて最後の拍手以外、聴こえて来ない。vn.は通常配置。hr.は左側。一方、唯一の交響曲で入る eh.は中央のやや左側。今回はオークションで入手。
http://haydnrecarchive.blog130.fc2.com/blog-entry-1537.html
モダン楽器で弦の奏者は中規模程度と推定。冒頭から左側2名のhr.が目だって登場。8分音符の弦の伴奏と対照的。弦はスタッカートの表記であるのも効果的。(hr.の2分音符のhr.の旋律と対比) 4つの楽章は全て同じ調性。通して聞くと少し苦しい点がありかもしれない。第1楽章の最後の1小節で唯一と思う付点のリズムがある。(このリズムは冒頭から最後の1小節前まで登場しない) 冒頭から主に8分音符の刻む旋律が終始しているので、最後を締めくくるのは、いささか意外な雰囲気になる。この旋律が次につながる第2楽章のブリッジになっていると思う。第2楽章は第1楽章と違ってシンコペーションを含む色々なリズムと旋律がある。
元々、この曲の評価を余り高くしていなかった原因のひとつに調性の変化が少ないこと。冒頭のリズムや旋律が殆ど同じで変化が少ないことを上げていた。しかしこの演奏を聴いてみると第2楽章に向けての序奏的に最初はあると解釈すれば、合点がいくかもしれない。クレーマーの演奏は、レビューにも記載がされているように内声部のハーモニーの美しさの的を得ていると思う。
Finaleでは冒頭のvn.からの旋律を経て、T2からhr.が登場。ちなみの冒頭のこの第1主題は、No.38のFinaleにも似ていると思う。Hr.は柔らかく演奏。目立たないがeh.の和音も華を添えていると思う。しばらくの経過を経てT12での2人のhr.は、ここでsoliとなっているが、かなり目立って登場。T2との弱音と旨く対比されている。今までこの曲の評価を余りあげることがなかった。しかしこの演奏で評価を上げることになると思う。 |
2019年1月28日 22番 N マリナー アカデミー室内管弦楽団 を聴取。イングリッシュ ホルン(eh)が入る、ハイドンの唯一の交響曲。今まで余り良い評価を上げていなかったが、最近クレーマーの演奏を聴いて見直した経緯がある。この演奏はライブだったが良い録音。
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1057.html
一方 マリナーの方は1975年のスタジオ録音。ライナーノートによると再発売のCDではあるが、No.73を除いてデジタル処理がされている記録がある。
冒頭の第1楽章は、今まで余り気づかなかったが、2つのvn.は弱音器を使用するようになっている。弱音器を含むvn.と管楽器群がどのように対比するかも興味深いところ。今まで聴いて来た中ではどちらかといえば、めったにない eh.
が登場することもあり、弦楽器群が余り目立たない方だと思った。このマリナーの演奏は弦楽器が結構目立っているしかし要所では、管楽器にもバトンタッチ。
Finaleクレーマーの演奏では、T12で2本のhr.が目立つことを記載した。マリナーの場合は通常通り。第1楽章と同様に弦楽器のパートが結構入っていて、小編成ではあるが弦の各パートの分離感が高いのが印象的。 |
2019年3月12日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 22番を聴取。ドラティー、 フィッシャーなど最初の頃に聴取した演奏では曲自体の特徴が余り分からず、評価を上げていなかった。N クラマー BBC交響楽団の演奏を聴いて改めて面白い発見があった経緯もある。ひとつ前 No.23と比較してob.の代わりにeh.が入る唯一の曲。メルツェンドルファーの場合は、中央よりに位置するが、分かれてまでの定位感のある配置までは分からない。N マリナーの演奏を最近聴いた中で、冒頭では2つのvn.は弱音器を使用していることを記載した。 マリナーの場合は、弦楽器が主体で動くが、要所では感が曲が登場し弦と管とのバランスの良さを書いた。
一方、メルツェンドルファーの方は、冒頭から弦の音量がかなり大きい箇所がある。管楽器とのバランスが余りよくなく、vn.の弱音器の特徴が余り分からない。
録音はダイナミックレンジは狭い。Fianleではさらにレンジが狭くなり歪が目立つ箇所が多い。LPからの復刻だった場合、Finaleに近くなると内周歪が大きくなる可能性がある。過去に他の曲でもFinaleで特に歪が目立ったケースがあった。この曲にも当てはまる。録音の点でも評価を下げざるを得ず。なお曲の途中で別バージョンのAndante graziosoが収録されている。間に緩叙楽章が挟まるので5楽章になる。途中に入っていても違和感はない。 |
2019年7月16日 22番 ジョヴァンニ・アントニーニ イル・ジャルディーノ・アルモニコ を聴取。第2集でNo.26から聴取する。下記のブログにもレビューがある。
https://haydnrecarchive.blog.fc2.com/blog-entry-1315.html
ブログの内容と、自分なりの感想は殆ど同じ。第1集では弦楽器が主体で、管楽器はかなり控えめであった。しかしNo.22に関しては、冒頭から管楽器が主旋律を受け持つこともあり、弦楽器はその分、控えめに徹している。2名のイングリッシュホルン(eh.)は、オーボエ奏者と同じ。近接音が多めだがナチュラルホルンの位置は、
eh. よりもやや奥側に位置しているのが良くわかる。
第1楽章の最後の部分、今まで聴取して来た大半の指揮者は、f で力強く終わることが多い。しかしアントニーニの場合は、p で柔らかく終わっている。過去のレビューではfで終わると、N クラマーの演奏の様に、最後の最後で付点のリズムで締めくくることで、冗長的な楽章から決別した雰囲気になる。しかし p
で柔らかく終わると、第1楽章はあくまで、第3楽章の序奏でなく単一の長い楽章の雰囲気に終始。
一方、Finaleは管楽器は、控えめに回っている。T2からのhr.は音量を落とし、弦楽器を支えている。しかしその後に続いて、管楽器の hr.
や eh. は、soloの箇所は必要に応じて活躍。他の指揮者と同様にsoloとTuittiとのバランスも良好。
第1集からブックレットの写真は楽しみになっている。第1集にも写真の撮影者に関してMagnum Photo(写真の団体名称)が記述してあった。この団体に所属するこのCDに記載のクリス・スティール=パーキンスについて。少し調べてみると日本との縁が多くあり、日本人の妻としているようだ。来日も多くどおりでジャケットに日本での撮影している部分が多いのも興味深い。メインテーマの IL FILOSOFO に関連してか? 英語の見出しの一部には「A KAREIDOSCOPE of HUMAN EMOTIONNS」となっている。KALEIDOSCOPEは英語で万華鏡を意味する。一部の写真は万華鏡のように、少し変わった角度で撮影しているのも興味深い。 |
2020年6月30日 22番 ジョヴァンニ・アントニーニ イル・ジャルディーノ・アルモニコ を聴取。下記のアドレスにYOUTUBEの映像がアップされている。CDのレビューはすでにアップ済。
https://www.youtube.com/watch?v=3rG3UvAEjE8
演奏自体は、CDとも大差は私にはないように思える。第1楽章の終わりで柔らかく少しテンポを落とす点なども同様。
もともとこのyoutubeではライブ映像だけである。その中でこの映像では、演奏開始前から、奏者の登場から収録されているのもありがたい。コンサートマスターが最初に、自分の楽器の調弦をはじめその後、各パートに回っていく。その際にコンサートマスターが同じ位置にいなく、状況によっては他の奏者の近くまで行って、調弦の微妙な音合わせをしている映像などは興味深い。
管楽器はイングリッシュホルンになるが、楽器の形状は通常のob.と外見は余り変わりない様子。しかし一回り大きく音色も異なる。hr.奏者のトレモロ奏法や、吹き出し口に右弦で手をいれている仕草などもうまくとらえられている。
この後、次の曲に備えて調弦が最初と同様に開始する。2曲目はNo.46で1曲目とは調性ががらりと変わる。管楽器もob.に通常に戻る。調弦の間、管楽器の持ち替えやhr.のクルック取り換えなども見たかったが、こちらの映像は余り分からなかったのが少し残念。
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2021年5月25日 Z メータ 第22番を聴取。第1曲のNo12から引き続き聴取。同じ録音会場だが、録音にやや差があるようだ。レンジが少し狭く、残響がさらに多くなっている。管楽器の音の定位感が良くわかり難い。逆にこの残響の多さと低位感がわかり難いことが音色の特徴にもなっていると思う。
もともと、この曲はすべて同じ調性。第1楽章から緩徐楽章から始まることもあり、評価が最初は低く感じている曲の一つだった。しかし第1楽章は、速いテンポの第2楽章の長い序奏のような役割と自分なりに考えると興味が沸く。管楽器でハイドンが交響曲では唯一、使用している eh. の音色による影響もある。hr. の管楽器とともに、冒頭から落ち着いた柔らかい雰囲気をいかに表現するかが、指揮者や演奏者の役割になっていると思う。
この曲に関しては冒頭から管楽器の音色に、楽団特有かもしれないが、とても柔らかい音色が特徴。eh.とhr.それぞれ強弱の音色の変化が多い。冒頭から同じような旋律とテンポであるにも関わらず、管楽器の音色の変化が印象的。第1楽章は提示部と展開部+再現部の後半、それぞれ繰り返しがない。第1楽章が短い分、繰り返しのある第2楽章とも対比されて、うまくバランスが取れていると思う。
Finaleも第1~3楽章の音色の変化をそのまま踏襲。T12のhr.の柔らかい音色を受けて、T14のEHも最初は弱く、柔らかい音色。T16では管楽器が一緒に、弦楽器とともに、溶け合っている部分は、それまでの弱奏とも対照的。この曲全体を通して共通していると思うが、「f」の部分でも極端に音量を強調することがない。従来の他の指揮者は、「弱奏」と「強奏」の対比を重視していることが多い。これとは全く無縁な解釈。指揮者の解釈はもとより、録音と楽器の音色による印象の影響が多いと思った。
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22番 鈴木秀美 OLC オーケストラ・リベラ・クラシカ
2022年2月5日 22番 鈴木秀美 OLC オーケストラ・リベラ・クラシカ を聴取。このCDは間にボッケリーニのvc.協奏曲が入っている。以前、No.15などを含むCDと同じような曲の構成。(下記の自分のブログにレビューあり)
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1423.html
このCDは3曲目にNo.64が入っている。ライブ録音でアンコールが仮にあっても、収録されないパターンと思う。国内盤なので例によって最初に作曲者自身、後半に飯森豊水の解説がある。前半の解説の中でNo.22「第1楽章の冒頭ではhr.が ff 、弦楽器群が弱音器を付けての p という、きわめて奇妙なバランスが要求されており、しかも弦楽器がユニゾンで始める。低音のラインは、楽章の終わりまで8分音符を刻み続ける」と記載がある。最初にこの曲を聞いたとき、4つの楽章はすべて同じ調性。第1楽章は楽器こそ、交響曲では唯一使用されるeh ではあるが、バスラインの単調さがあり、物足りない印象を記載した。
確かに8分音符が大半のバスラインで、低弦同志の分離も殆どない。ざっと聴き通すと、ややつらい印象があった。 Eh が通常のob.よりも5度低いこと。第1vn.でさえ、第1ポジションより高い音が殆ど出てこない。曲を生き生き響き聞かせることは簡単ではないが、作曲上のリスクを冒してでも、ハイドンがこの楽器を使いたかったと考える記述があった。確かに高い音域は殆ど、vn.にも出てこないし、元々 Es-durという調性もあって響きを効かせることは難しいと思う。
逆に考え方を変えると、元々、響きを生き生きと生かすことが難しい分、音の強弱を中心にアクセントをつける方法もある。冒頭の弱音器とhr.の強弱の対比について、触れられたように、この演奏では最初は冒頭から hr. が盛大に活躍する。しかし冒頭のみ この ff を生かしているようだ。展開部の一部でhr.は少し音量を上げるが、冒頭ほど活躍しない。終始、vn.は弱音器を付けているので、強弱の調性も難しい。その分、管楽器に強弱の役割が高くなる。hr.はもとより、eh も強弱をうまく、つけていると思った。例えば、T19から提示部の終わりにかけて。弦楽器は音量を抑えることが難しいなか、管楽器のhr.と eh は音量を、冒頭と異なり大きく抑えているのは印象的。
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22番 オルフェウス室内管弦楽団 2024年1月12日追記
2024年1月3日 オルフェウス室内管弦楽団を聴取。オルフェウスは、一部のCDは入手しているが、まだそろっていない。今回、No.22を含むCDを入手。1曲目から聴取。このCDは No.63、No.80が収録されている。ハイドン音盤倉庫にもレビューあり
https://haydnrecarchive.blog.fc2.com/blog-entry-118.html
冒頭の第1楽章から思ったより遅めのテンポ。テンポは第2、第3楽章も同様。第1楽章の管楽器のEH、hr.は、やや大きめに入っている。vn.は弱音器を付けているためか、かなり控えめな音量。それに対して、第2楽章の最初から弦楽器が大き目の音量で入る。このため、伴奏側になる管楽器の音が意外に目立たない。第3楽章まで遅めのテンポだったのと対照的に、Finaleはかなり速いテンポ。
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2024年2月19日 22番 J クランプ Johanees klumpp Heidelberger Sinfoniker を聴取。No.22としての特徴は、今回2点を取り上げる。
(1) 交響曲で唯一登場するeh.の扱い方
(2) 全て同じ調性の楽章となる中、最後は以下に、変化に富むように仕上げるか?
Eh.は冒頭からもうひとつの管楽器のhr.と対等のような扱い。hr.とeh.はそれぞれ左右に、やや広がって左右対称になるような位置づけ。第1楽章は、低弦、特にbasss.は、殆ど4分音符で、分散動機の様な役割。No.13は4人hr.ではあるが、必要な箇所では敢えてhr.を目立たせる可能性を指摘した。しかし実際には、特にhr.の目立った扱いはなし。それに対してNo.22の方は、特に第1楽章でhr.を含めて管楽器がかなり活躍。冒頭から主旋律が管楽器になること。hr.は、速いテンポや短い動機の演奏は困難なことから、旋律としての表現に制限があること。楽章全体の大半、弦楽器と菅楽器を常に対比さえようとしていること。管楽器と弦楽器が合わさる、いわゆるtuittiの箇所は、最後しかないこと。このような状況からも、菅楽器が独自に振る舞っている特徴がある。このため、菅楽器の音量は通常よりも、大きく扱っている理由があると考える。2つのvn.は弱音器を付けているので、なおさら、菅楽器の音色が引きたつのもその要因のひとつ。
第1楽章は、音量が概して小さめ。最後の部分以外は、小さい音量の中でも音量の変化も少ない。このため録音はレンジの広さが要求される。例によって近接音が多いい録音はこの解釈が理にかなっている。
Finaleは冒頭のテンポよりも速いのはもちろんだが、拍子も異なる。hr.は、第1楽章以上に、4分音符が連続する箇所が多く演奏が難しくなる。ライナーノートでは「ありふれんばかりに熱狂的に変わる」と記述がある。第1楽章と違って、hr.を含む、全てのパートが掛け合いながらテンポを少し変えながら、様々に飛び回る雰囲気。最初の冗長的にも近い、ゆったりとした様相が全くない。各楽章の調性は同じ。同じ調性の中で、どのように各楽器が飛び跳ねるように演奏するかがポイントになる。速いテンポの中でナチュラルhr.はうまく臨場感を出しながら演奏している印象。
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2024年8月27 日 ドラティ盤 No.22を聴取、106の交響曲の中で唯一、EH. が使用される交響曲。ドラティは最後のCDの33枚目の付録として セカンドバージョンが収録されている。第1楽章は、vn.は冒頭から弱音器を使用。弦楽器の音量も p の記載で、冒頭のhr.の動機は、ff で記載がある。弦楽器はユニゾンで、伴奏側に回るので、hr.が主旋律を受け持つ。たまたま、このNo.22は、6枚目のCDの第1曲目にあたる。No.21から聴取すると、CDを入れ替わることになるので、各CDの音量の差が気になることもある。全集なので録音の「ばらつき」は少ないかもしれないが。アントニーニの No.6の序奏の冒頭の部分。レンジがかなり広い録音。CDの最初の収録曲になるので、アンプのボリュームに位置をどの部分に合わせたらよいのか、迷うこともあった。(下記のレビュー)
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1817.html
No.22は緩徐楽章で、弦楽器は弱音器。通常は、伴奏側の弦楽器の音量を落とし、主旋律を担当するhr.は、「そこそこ」の音量になると推定される。ドラティの演奏では、冒頭のhr.とeh.の音量がかなり大きめ。結構、2つのパートが派手に入っている。伴奏側の弦楽器も、弱音器を付けているが、かなり大きめ。
しかしその分、T14からのhr.の p で記載の持続音の部分。弦楽器に埋もれてしまう可能性もあるが、この録音では明白に分かる。
この後に続く、第2楽章の弦楽器、菅楽器の音量は、過去の通常と同じような雰囲気。一つ前の第1楽章は、菅楽器のhr.とeh.の音をマイクでかなり音を拾って強調しているのとは対照的。第3,4楽章も同様。 通して聴取すると、冒頭の管楽器の音量のバランスが悪いと思った。
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