通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽
章
数 |
fl |
fg |
trp |
cl |
timp |
cmb |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
32 |
23 |
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1764 |
G |
4 |
- |
1 |
- |
- |
- |
(1) |
D |
Prestoでピチカート終了の意外さ。 |
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1 |
G |
Alleglo |
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2 |
C |
Andante |
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3 |
G |
Menuet |
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4 |
G |
Presto assai |
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2010年12月26日 ディビス盤を聴取。Menuettoでは、vn.とob.(常に常にユニゾン)と低弦が、はっきりと役割分担で分かれ常にカノン風に保っている。ob.のユニゾンが目立つ。この手法は通しNo.42(Hob−No.-38)の第2楽章にも、この後、用いられる手法。その先駆けであるかもしれない。
作曲者自身は、エステルハージ侯爵のお抱え楽団に所属しているとは言え、自分のスタイルで作曲ができる。この時期は以前の作曲家の作風を自分なりに取り入れ工夫をしていった。このスタイルも終楽章の終わり方一つにも現れていると思う。 |
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2013年2月23日 追記。ホグウッド盤を聴取。第1楽章のob.の各パートの動きが面白いと記載をした。小編成のためか、この細かい動きが聴き取れる。ob.は第3楽章楽章では常にユニゾンでになっているが、ホグウッドでは、かなり目立たせている。
Finaleは後半の繰り返しを採用。ピチカートで終了しているが、同じ終わり方なので、何か「仕掛け」なりが欲しいところと思った。 |
2015年3月11 日 追記。ゴバーマン盤を聴取.
第1楽章は管楽器のob.が随所で活躍する。従来までの録音は、比較的余り目立たないと思ったが、この録音ではかなり大きく入っていてユニゾンの効果も他の曲と比べて高い。T4で登場する短い動機がいたるところで活躍する。T24からの第2vn.の下降する旋律。比較的長い展開部のT65から2つのvn.との掛け合いなども良く分かる。
一方、第2楽章 Andante は管楽器は全て休み。弦楽器のみで低弦楽器との掛け合いがポイント。ここでも va.を含む各パートが良く分かれて聴き取れる。普段はva.の独自の動きは少ないがここでは比較的、役割が高い。
続く第3楽章は、ob.ユニゾンと低弦楽器などの掛け合いがポイントだが、ここでも思ったよりユニゾンでよく分かる。最後のFinaleは流れるように強弱との音量の対比がポイント。後半の繰り返しは採用。各楽章でそれぞれに異なる聴き所を持つ曲であることを、このゴバーマンを聴いて再認識。ランクは元々Dとしていたが何回か、じっくりと聴き直すと味のある作品。一度や二度を聴いただけでは、この曲の良さは分からない。聴衆の曲に対する思いのレベルを試すような作品だと痛感。
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2019年3月11日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 23番を聴取。この曲から通常の編成になる。No.21〜24は自筆楽譜が存在し、1764年に集中的に作曲されているようだ。4曲それぞれ異なった雰囲気だと思う。最初のNo.23はどちらかといえば、実験的に書かれているようでva.以下の低弦が独自の動きの箇所も多い。
第1楽章はob.が必要に応じて活躍する。指揮者によってはob.の特徴を、どこまで出すかが興味のあるところ。意外にもメルツェンドルファーでは、ob.は余り前面には出ていない。井上著「ハイドン106の交響曲を聴く」のなかで、このNo.23の第1楽章は「ハイドンの技法の熟達が見られる」と記述がある。時折、一瞬ではあるが調性を変え強弱の対比などがあり、何度か聴いていく中で面白みが分かってくる曲のひとつ。
第2楽章は弦のみだが低弦が活躍する。音の分離感は不明瞭なことが多いが、va.は左側でもvc.より中央に位置しやや奥側になる。提示部以外に展開部と再現部の繰り返しを採用。Finaleはピチカートで終わる。展開部と再現部の繰り返しを採用するが小休止の後に、展開部の冒頭に戻ってくる。後年の終わらないような仕掛けはないので、いささか物足りないのはどの指揮者も共通。 |
2019年8月15日 23番 ニコラス ウオード The Northern Chamber Orchestra を聴取。初期の交響曲で井上著でも「型通りに作られた」と記述ある。確かに、自分なりの評価も、元々、この曲に関しては低く特徴が見出し難い。ウオード自体での特徴も余り見出せず。 |
2020年12月12日23番 鈴木秀美 OLCを聴取。このシリーズでの発売順番は、確か2枚目になるようだ。同奏者のレビューはNo.6〜8とNo.43を聴取している。レビューとしては3枚目になる。過去のレビューでも共通点として記載しているが、録音状態が私には合いにくい。全て古楽器による演奏で奏者は過去にも記載した。弦の奏者は以下の通り。
4:4:2:2:1
このシリーズはライブ録音になっている。1枚のCDで1夜のライブを収録しているようだ。アンコールを含めると4曲あり最初にNo.23がある。2番目にvc.協奏曲(D−dur)がありメインの曲のような雰囲気(元々、指揮者はvc.のsolo奏者でもある。)シリーズの最初の方に、vc.協奏曲を収録することで、今後の交響曲のシリーズを継続したい考えもあるのか?
No.23はこのプログラムの最初にもなるのか、ライブ録音もあり第1楽章の出だしのアンサンブルが少し乱れているようだ。この交響曲は、元々ランクを自分なりに余り上げていなかったが、数回聞いただけでは曲の細かい面白さが分かり難い。ちょうどNo.64の様に多くの奏者をスコアを見ながら聞いて行くに従い、微妙な細かいニュアンスが分かってくる曲の一つ。細かい部妙なニュアンスをどの様に表現してよいのか、自分なりに記載がしにくい。
幸いにもこのCDは国内版で日本語の指揮者自身が、ライナーノートのこの曲の特徴について記載がある。「第1楽章のフレーズが3小節かと思えば4小節と不規則での驚き。第2楽章は美しい旋律を奏でる上声部に低弦がちょっかいを出したりするやり取り。Menuet は2小節遅れの3声で作られてた整然と美しいカノン。そして軽快なFinaleにたびたび現れるフォルテは音楽の「くしゃみ」の様だ。じっとして聞いてはいられないような喜びを感じさせてくれる作品。」この様に記載されている。確かに一度や2度聞いただけではこの記載のあるような表現は、なかなか分からない。複数の奏者の全集を聴取しレビューを書いてきたが、最初の頃に評価を低くしていたのも自分なりに、この面白さが気づかなかったと思う。
第2楽章は初期の頃の交響曲の典型で弦楽器のみ。T42からの展開分の最初は、調性こそ提示部と異なるが、2声のvn.は同じ様に開始。呼応する低弦も提示部と同様にユニゾンで引いている。しかしT46から低弦のva.が分かれていく。T50では2声のvn.が分かれていき4声のパートが全て分かれている部分などスコアをみると興味深い。
このレビューの最初の方にも記載したが、録音は各パートの分離が分かり難い。第1.2vn.が左右に分かれているが、va以下の低弦も私の聴取環境では分離間が余りない。残響が比較的多いこともあり、左右の音の広がり感も不足気味。
ライブ録音だがこの曲の最後は、拍手がカットされている。ピチカートで静かに休止符を挟んで終わる。なおかつ繰り返しの指定がある。指揮者の判断によって繰り返しを採用するかどうかによって、曲の終わり方が聴衆にはある意味、掛け合いがある。実際この演奏では展開部と再現部の後半を繰り返していた。繰り返し後に休止符を挟んで静かに終わるため、聴衆も拍手のタイミングがとり難い可能性もあった。拍手のタイミング微妙なこともあり、カットされたのかもしれない。
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23番 J クランプ Johanees klumpp Heidelberger Sinfoniker
2024年2月20日 23番 J クランプ Johanees klumpp Heidelberger Sinfoniker を聴取。このブログを立ち上げてから、自分なりの各交響曲のランクを記載してきた。最初の頃は、自分の知識や、CDの聴取の数が少なかった。このため今、訂正しないままの交響曲のランクやそのコメントを見て、間違いかもと思った箇所(たとえば cmb.が入る必要性に関しては、奏者によって様々なので、曲としての比較には適さない)も見受けられる。一つ前のNo.22は「冗長的で同じ調性が続き‥‥」など、ランクを低く記載した。その後、ランクの変更や、コメントも訂正したい。しかし全ての見直しをするのも大変。また、訂正していながら、新たなCDを聴取するとまた、コメントが変わる可能性もある。一段落をして訂正するか、いっそのこと、ランクに関しては、削除をしてしまう考えがあっても。
No.23に関しては、この後のNo.24と比較すると曲としての特徴がつかみ難いとかねてから思っていた。No.23の私としては一番、最近にレビューした鈴木秀美 OLCのライナーノートがとても参考になった。No.21〜24は、それぞれの曲は共通した特徴が少なく、試行的な箇所が多い。一度聴いただけでは、つかみどころが分かり難いと感じていた。特に第1楽章は、まとまりが何となくつかみにくいと思っていた。その原因にライナーノートには「第1楽章のフレーズが3小節かと思えば4小節と不規則での驚き。」と記載がある。これを見て納得した。
以下は、自分のブログからの引用のサイト
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1360.html
上記のサイトからの一部、引用にはなるが、再掲もかねて、この曲の面白さを掲載する。
「第1楽章のフレーズが3小節かと思えば4小節と不規則での驚き。第2楽章は美しい旋律を奏でる上声部に低弦がちょっかいを出したりするやり取り。Menuet は2小節遅れの3声で作られた整然と美しいカノン。そして軽快なFinaleにたびたび現れるフォルテは音楽の「くしゃみ」の様だ。じっとして聞いてはいられないような喜びを感じさせてくれる作品。」
今回のNo.28〜31は、全て輸入盤で購入したので、邦訳がない。(以前、邦訳を購入したが、値段が上がる分に対して、小さな文字で邦訳分だけを印刷したものだけが加わったのみ。文字の大きさが小さく、しかも行間が詰まっているのでとても読みにくかった。)この経験もあって、その後は輸入盤のみの購入が続いている。話が少しそれてしまったが、No.23に関しては、上記のOLCのライナーノートの文言を中心にレビューをする。
弦楽器のみで演奏する第2楽章。OLCのレビューでは、展開部でT49低弦側に回るva.が分かり難いと記載した。クランプのvn.は、左側のva.が明確によくわかる。OLCの録音はcmb.とbass,は右側。それぞれが固まっている。そのために分かり難くかったかもしれない。それに対して、クランプの場合はva.のパートが明瞭であるのはありがたい。
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2024年8月28日 ドラティ盤 No.23を聴取。No.21からの4曲は、作曲年代が確定していて、4曲にも共通した特徴があるかと思ったが,そうでもないと思い返すこともある。No.21からNo.22をセットで聴取する。この2曲に共通するのは、調性こそ違うものの、4つの楽章が同じ調性で終始。それに対して3曲目のNo.23は、過去の通常の様に緩徐楽章は、異なっている。No.21とNo.22は、管楽器が比較的、独自で活躍する箇所が多い。それに対して、No.23は菅楽器の活躍の箇所は比較少なく、少し前の作曲年代の雰囲気。
しかし鈴木秀美 OLC のライナーノートの記載されているように、思わぬ所に仕掛けがある。
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1990.html
上記のレビューの中で「第1楽章のフレーズが3小節かと思えば4小節と不規則での驚き。」と記載がある。確かに冒頭の旋律からして、つかみどころがない、雰囲気から開始するし、時折の休符により、各旋律の出だしが微妙に異なる。 第1楽章は最近、聴取した J クランプは、展開部と再現部の繰り返しを採用。しかしドラティは繰り返しがない。仮にくり返しがあると、譜例の黄色に囲った低弦の旋律などが登場し再び、前に戻る楽しみがある。繰り返しがないのは、やや不満だと思う。
それに対してFinaleはスコアでは展開部と再現部は繰り返しの指示がある。弦楽器のピチカートで休符を挟んでの反復になる。鈴木秀美 OLC のレビューで、繰り返しがあった場合、拍手などのタイミングについて記載をした。繰り返しがあった場合、1小節余りの休符を挟んで、一旦、提示部の最初に戻ることになる。その後、休符を挟んで、この曲を終わることになる。繰り返しがあった場合、後年によく採用する「終わりそうで終わらない仕掛け」の手法にも少し通じる部分がある。ドラティは繰り返しを採用していないが、特に違和感はない。もっとも初演当時、No.21にも記載したように、歌謡曲の様に奏者や、エステルハーザ侯爵の関係者はこの曲を聴いていた。1小節余りの休符と繰り返しの関係まで、関心をもっていたのかどうかは分からない。
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