音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.30 hob-No.72
2024年2月15日 更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
30 72 1763 D 4 -  -  - - (1) A 4本のhr.は様々な活躍
       1 D Alleglo
       2 G Andante
       3 D Menuet Moderate
4 D Finale:Andante c VariazionーPresto
4本のhr.による初めての曲。当初は72番に分類されていた様に、かなり後に分類されていた模様。約2年先の31番(ホルン信号)と比べると、楽器の編成、扱い方、音色、楽章構成などと比較すると、こちらの方がもう少し新しい作品に聴こえる。実際、当初の70番台の交響曲と比較しても全く遜色はない。70番台の遜色がないため、当初からNo.72とされて来たのか? もう中後期のシリーズと大差がない。
 No.31と同様に4本のhr.を生かしているが、solo(バスも含む)が随所に聴かれ、楽器や音色が終始楽しめる。フィッシャー盤は、hr.の配置が幅は広がっていて、各パートの掛け合いがおもしろい。特にMenuetのtrioでは、エコーの様な効果がある。楽器編成のもうひとつの特徴として、D調で初めてtimpを入れている。timpも随所で、独自の動きが目立つ。hr.は木管のsoloとしても活躍するが、強奏ではtrp.の代わりとしても活躍。hr,の活躍は様々である。
 圧巻はFinaleの6曲の変奏曲。聴き始めてのFinaleの変奏曲が登場。各楽器のsoloが楽しめる。(bass.のsoloもあり)変奏は、やや形式的ではあるがその分、楽器の音色で十分にカバーしている。個人的には、通しNo. 29(hob No.34)よりも評価を高くしたい。
 ドラティ盤は、cmb.が入る。楽器編成はフィッシャー盤よりも大きいが、hr.の配置が狭く聴こえる。Finaleも各パートを聴かせるためか全般的にゆったりとしたテンポ。様々なhr.の活躍堪能するならフィッシャー盤を取りたい。No.34と同様に俗称がないのが残念。もしあったら、この頃の名曲として推薦したい。
(2019年12月30日追記 タグとして2010年12月19日とする)
2010年12月25日 ディビス盤を聴取。D調でもtimp.が入っている例はあるが、4本のhr.がメインのためか控えめ。ディビス盤では、hrの位置はドラティ盤と同じ左側。2本と4本の違いは、フィッシャー盤ほどの差がない。 
 第2楽章はfl.の独断場に近いが、展開部を中心に、vn.のsoloがある。(このあたりは、しっかり聴かないと見落としやすい。) hr.が休み、その分fl.以外は管楽器は休みのため、あたかもfl.協奏曲にも匹敵。
 Finaleは変奏曲のためAndanteのテンポで終始。ライブ録音のためか、cb.のsoloでは、かなりvn.の音量とテンポを落として引き立たせている。ライブ録音では、やや苦しい所かもしれない。
2011年3月22日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。 スコアを見て楽器編成で一番の興味を持った。第1楽章では、全くfl.は登場しない。このため、ob.の持ち替えで可能かと通常は思う。第2楽章はfl.の独断場であり、弦とfl.以外はない。このため、ついついob.が持ち替えで演奏しているかと思ってしまう。第3楽章も第1楽章と同様にfl.の登場はなし。しかし、Finaleで全ての楽器が登場し持ち替えは不可能。
 もう少しスコアをチェックしてみたら、第1楽章の最初の箇所で、fl.のパートが「休み」の記載があった。持ち替えの指定ではなく、fl.は第1楽章は休みの記述である。楽器の使い方でもFinaleでは、後半には全ての楽器 (ob.とfl.が一緒に演奏)の登場もある。
 元々、この交響曲は、初めて4人のhr.奏者を必要としていた。これ一つをとっても、大がかりな編成であったのであろう。それに加えて、fl.も単独で必要とした点は見逃せない。(聴き通してみて、持ち替えでないのが、初めてのケースであったと思う)
 No.6-8(朝、昼、晩)のシリーズは、協奏交響曲のスタイルであった。この交響曲も同様であろう。作曲順番に聴き通してみて協奏交響曲のスタイルにFinaleで変奏曲の形式を採用したのは、初めての手法である。 No.6-8では、各奏者の見せ所はそれなりに取り入れている。しかしそれ以上に、奏者の腕の見せ所をアピールするには、この変奏曲がぴったりであったろう。これを初めて取り入れた曲と解釈したい。
 フィッシャー盤はAllegloのテンポを忠実に守っているが、hr.奏者が速いテンポの中でも卒なくこなしている。奏者の技量には感服する。
 ドラティ盤は元々フィッシャー盤と比較してテンポが遅い。全体的にゆったりとしたテンポは前記した。4人のhr奏者の力量には影響しないと思うが、このテンポの差は著しい。Finaleも同様。
 ディビス盤はドラティ盤とフィッシャー盤の中間のテンポ。Finaleのcb.のsolo.は前記した様に、かなりこの部分だけテンポを落としているが、(スコアにはテンポの変化の指定はなし)じっくりと聴かせてくれる。その後に第5変奏では、2人のob.の登場となる。ライブ録音も手伝ってか、ob.の独壇場が満喫できる。
 もし作曲順番でなく通常の通しNo.の順番で聴いてみたら、約15年前の作曲と言うこともあり、古いスタイルで異様に感じてしまうと思う。No.70番台の曲では4人のhr.奏者は必要とする曲はない。しかし作曲順番で聴いてみると、様々な発見がありこの後にも大きな影響を持っている。(fl.の単独使用、Finaleの変奏曲など) 70番台の曲ではなく、1760年代前半に作曲されたと解釈して欲しい。この点からもAランクは変わらず。
2018年6月12日 72番 ホグウッド The Academy of Ancient Music を聴取。4人の奏者のhr.は左右に2名ずつ離れて配置しステレオ的な広がりが十分。No.34で弦の奏者の数について記載をした。恐らくこの曲でもva.以下の奏者は一人ずつではないかと思った。
 Finaleでhr.を含むva.以外のsoloの箇所がある。第2変奏でvc.が主旋律を変奏するが、この部分ではbassは音量を落として伴奏に回る。伴奏でのbassはsoloの様に聴こえる。一方、続く第3変奏は、bassがsoloになる。この部分では、vc.がbassよりも低い音域で伴奏に徹する。ここでは伴奏のvc.がsoloの様に聴こえるようだ。 この曲はNo.6〜8シリーズの様に、協奏曲風で随所にsoloがある。特にFinaleは、va.以外のsoloのsoloの箇所がある。最後は速いPrestoのテンポで終わるものの、最初のAndanteのテーマからは、この演奏ではゆっくり目のテンポは理にかなっていると思った。
2018年6月14日 72番 ロイ・グッドマン ハノーヴァー・バンド を聴取。この指揮者は初めて聴取。モダン楽器で第2vn.は右側に位置。この曲以外にNo.10と71が収録されている。作曲順番によりNo.72から聴取。緩叙楽章も含めてcmb.が入るが、低弦と同じ旋律も一部はあるが、Menuetなどは装飾で独自の動きがあるようだ。
 4人のhr.の奏者は2名ずつ左右に位置。先日、聴取したホッグウッドも左右に分かれていたが、こちらの方がさらに4名の細かい配置まで分かる。録音のダイナミックレンジが広い。第1楽章の最後で、4人のhr.奏者の中で、第2hr.の低音域まで明白に聴き取れる。第1楽章の繰り返しで、展開部と再現部の繰り返しはホッグウッドと異なり採用せず。緩叙楽章での提示部は繰り返しの後半で旋律の一部に装飾あり。 Finaleのテンポはホッグウッドと同様に、ややゆっくり目。Bassを含む各パートの分離感などが鮮明。録音の良さもあって、お勧めとしたい。
2019年3月9日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 72番を聴取。4人のhr.初めて入る曲。第2楽章以降は、fl.の独奏が入るが第1楽章は休み。(第3楽章以降はob.と一緒に演奏する箇所があり、fl.はob.との持ち替えはできない)
4人のhr.の入りは全て右側。殆ど離れていない。Timp.は最初から入っているが余り目立たず。第1楽章の最後の部分(T134)で4人のhrが分かれて演奏するが、手持ちのスコアとは異なる。timp.の旋律に近い雰囲気。No.31に類似するが、Fianleの最後は盛り上がってし終わる。No.31は第1楽章の冒頭でhr.の主題が回帰するように締めくくった。元々スコアにはfinaleの最後ではこの冒頭の主題は回帰しない。しかし第1楽章の終わりと同じように回帰をさせるためにあえて、この部分を変えた可能性もある。(調性は同じ)
 第2楽章は、soloのbass.とfl.の独壇場。fl.の奏者が、CDのケースに懐かしい 氏名が掲載されている。「Wolfgang Schulz」 No.6〜8もfl.がsoloが楽器として登場するが、flの奏者の記載はない。この楽章のテンポはかなり遅い方になる。録音のNo.6〜8にも共通するが、solo楽器のfl.は、極端に強調され(息継ぎ音が、かなり聴こえる)、vn.のsoloよりも近い位置に聞こえる。音源が不自然な感じ。
 Fianleは聴き始めて変奏曲の形式が始めて登場。テンポは他の指揮者と同様に遅め。各変奏曲で登場する楽器は、簡単にまとめてみた。

第1変奏:fl.
第2変奏:vc.
第3変奏:vn.
第4変奏:bass.
第5変奏:ob.+2hr.
第6変奏:Tuitti
以下 coda


第1変奏のfl.は、第2楽章と同様に極端の音源が近い。第2変奏のvc.は、bass.の位置とは異なり、かなり右側に位置。一方、第4変奏のbass.は中央やや右側に位置。SoloとTuittiでの対比が悪い。この曲はNo.6〜8と同様に、各楽器のsoloとTuittiとの対比。協奏交響曲風に、溶け合いがポイントの一つになる。良い録音が必要とされると思う。しかしメルツェンドルファーの場合は録音が、かなり悪いので印象が低くなる。
 2019年10月5日 72番 B ドラホシュ Nicolaus Esterhazy Sinfoniaを聴取。を聴取。このCDはNo.93.95と一緒にカップリングされ第1曲目になっている。作曲年代は1763年とされ、No.31などと同じ頃に4本のhr.を使用。同じCDの中で3曲がセットになっていると、作曲年代が大きく異なる。他の2曲とも作曲のスタイルなども大きく異なることが予測される。全集の中でこのカップリングだと、いささか違和感あり。No.31と同様のスタイルなので、この作曲時期と一緒に聴取すると逆に違和感がない。
 No.31の時は、4人のhr.奏者は左側に分かれていないものの、自然な雰囲気の録音でよい印象な点を記載した。(下記のブログ)
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1236.html

この演奏も同様で、4名のhr.は左側。No.31と同様にhr.はある程度、固まって配置はされているようだが。第1楽章のAllegroはかなりテンポが速め。第1〜4人までの奏者は、中央から左側に割合に分かれてうまく聞こえる。特に第3楽章のMenuetの部分。第2楽章ではhr.は全く登場しないが、第3楽章の冒頭から他の交響曲と同様に、Tuittiでhr.が加わる。T3で第3-4hr.がsoliとなる。その後、同じ旋律が第1-2hr.にT4で引き継がれる。この部分でもT4の第1-2奏者は、位置が異なっていること。しかもT4でさらに音量を落として、エコー効果をかけている。この手法は他の指揮者でもしばしば見られる手法。ドラホシュの場合も同様。
 Finaleの変奏曲は第1楽章の速めのテンポに対して、ややゆっくり目。第4変奏のbass.のsoloも、No.31のFinaleと同様に右側の端で、自然な音量と雰囲気。各変奏の間で、必要に応じて適宜な間合いが入る。このタイミングもうまいと思った。R グッドマンの演奏も、良い演奏のひとつだと思うが。ドラホシュも場合もこれに匹敵すると思った。

 2024年2月14日 72番 J クランプ Johanees klumpp Heidelberger Sinfoniker を聴取。1枚目の第2曲がNo.72。このオケは4本の類似の作品でNo.31がまだこの時点では発売されていない。恐らく最後の4枚組の中になると思う。No.72はホーボーケン番号では70番代になっている。作曲順番でなく収録順番で聴取した場合、かなり作曲年代の後の一つにまぐれてしまうと、どうしても作曲年代の差、特にsoloの箇所が随所にある。分かりやすさがありながらも、70番代の曲と比較すると、明らかに雰囲気が異なるの。このため収録に関しての意図が明白でいないと他の収録の曲との兼ね合いが難しい。
  同シリーズは T ファイから始まった同楽団での全集を完結させるという趣旨がはっきりしている。このためNo.72を含め、類似作品にはNo.13、No.31などが考えられる。No.31は別な作品の回したためかもしれない。No.31はNo.28〜31までの中の一つで作曲年代が確定。1枚目の収録順番はNo.16、72、12、13。残りの作曲の関係なりを考えると1763年頃の作品の一つの解釈になる。
 4名のhr.の奏者は左側からNo.1、No.2、No.4、No.3に左右対称で離れていて位置。左右のパートがきれいに分かれていて楽しめる。第3楽章のTrio の最初の部分。弦楽器は全て休み、菅楽器のob. fg.(1名に注意)、4名のhr.この箇所では弦楽器が休むので、菅楽器とhr.の位置関係が興味深い。今までの録音では、No.1、2とNo.3,4の位置関係が、今ひとつ、分かり難かった。しかしこの演奏では録音の良さもあって、前半のT33〜36はNo.1,2のパートのユニゾン。(同音ではない) 後半のNo.37〜40はNo.3,4のユニゾン。この2グループの違いが、中央にある管楽器の中で広がっていてよくわかる。T41〜44の第1、2hr.に引き続き、No.45からは全てのパートが異なる旋律を吹くのも印象的。
 No.16はvc.のsoloのみだった。No.72のFinaleはvc.以外にbass.のsoloも入る。bass.は中央に位置することがよくわかる。No.6〜7のシリーズに回帰したような楽しめる雰囲気。もはや中期から後期の変奏曲はこれほど随所にちりばめたsoloの掛け合いは、なくなってしまう。エステルハーザという奏者や楽器の限られた中での作曲でありながら、これほどの変化に富んだ作曲スタイルは交響曲では消えてしまう。幸いにも録音という媒体のおかげで様々な奏者により、好きな時に好きな場所で演奏を聴くことができる。ハイドン自身、当時は、エステルハーザの中である意味、封印されてしまうことも許容していた可能性もある。宮廷の数度にわたる火災で自筆楽譜が消失し、作品によっては詳細な記録が途切れてしまった。それに対して、我々は録音によりレビューができることありがたいと感じる。
 なお指揮者によっては、打楽器群が入る演奏がある。この録音では打楽器のtimp.は入らない。このため、なおさら4人のhr.を含めた各パートの掛け合いがよくわかる。同じ頃の作曲年代に通して収録していることもあり、timp.を省いたのは良い解釈と思う。