音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.29 hob-No.34
2024年9月18日 更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
29 34 1763 d 4 -  -  - - (1) A 第1楽章から第2楽章にかけての調性と強弱の対比。
       1 d Adagio
       2 D Alleglo
       3 D Menuet Moderate
       4  D  Presto assai
第1楽章はdであるが、第2-4楽章は、Dであるので、実質Dの交響曲と捉えてみたい。dの調性のAdagioで終わるが、終結部に近くなる、テンポが多少遅くなり、しんみりと終わる。その後第2楽章が突如、明るくD調で強奏で開始される。この対比がすばらしい。この交響曲の白眉である。ちょうど、北陸新幹線で雪の多い新潟県から、太平洋側の群馬県へ抜けた青空の雰囲気。
 Allegloは小ソナタであるが、展開部が短いながらも管と弦との掛け合いがある。再現部の後半では、vn.のアコーギクがあり小編成ならでは即興的で細かい音色が聴き取れる。
 Menuetのtrioでは、管のsoloと弦のピチカートの伴奏があり後の様式の芽生え。Prestoはソナタ形式でないが、無窮動に近い主題ながら根底には、何かユーモアも感じさせる。中間部では弦のsoloもあったり、短いながらもcodaがあって盛り上がりがある。
 ドラティ盤はAdagioのテンポが、かなりゆっくり。Allegloの出だしが、ややゆっくりで強奏でない。フィッシャー盤と比較して対比が余りない。フィッシャー盤の方を断然、勧めたい。
 同じ調性dで順番通りに聴きそびれ当初はNo.26(通しNo. 42)を聴いていた。No.26は「ラメンタチオーネ」の俗称があり名曲解説全集にも掲載がされている。No.26よりも前の作曲になるが、断然こちらの方が聴き応えがある。俗称がないのが残念。もしあったら、この頃の名曲として推薦したい。
 全体を通して聴いてみて、第1楽章はd-molであるが単に、第1と第2楽章と通常の楽章の順番と組み替えただけでも、これほど違うのかとビックリする。主調はD-durの交響曲として聴いていても遜色はなし。
 今後の作曲では、第1楽章に緩徐楽章を持ってその後、速いテンポでの楽章が入るパターンはまだある。しかし最初に短調を持ってくる方法は、もやは殆ど見られない。副楽長へ就任し様々な交響曲のパターンを試行錯誤している作曲者の姿が想像される1曲。
(2019年12月30日追記 タグとして2010年12月18日とする)
2010年12月24日 ディビス盤を聴取。Adagioのテンポは、ドラティ盤と同じ様な感じ。 楽器編成は変わらないが第1楽章は弦楽器のみで演奏。それに対して第2楽章の明るいD調の調性と、弱音から一気に大きな音に変わった対比の見事さはフィッシャー、ドラティ盤と同じ。
 第2楽章ではob.が2本であることが良く分かる。同じ旋律が多いが音程が異なる。フィッシャー盤でもこの違いは分かるが、ディビス盤ではこの違いがさらにはっきりする。ライブ録音による影響かもしれない。
2011年3月21日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。Adagioでの楽器の使い方では、殆ど管楽器は登場しない。強弱の指定箇所がかなり多く、1小節内にも細かい指定箇所もある。フィッシャー盤はvnの奏法が独特であると思った。この曲にも限らないが、最初の第1主題は「p」の指定であるが、第1vn.は「pp」の様に途切れるように引いている。
 第2楽章はそれに対して、はつらつとして明るい音色。1小節内の細かい強弱の指定は第1楽章でも記載をした。第2楽章でも同じ様な箇所がある。T32−22と、T87、88はフィッシャー盤では独特な音色。前記ではアコオーギクと記述をしたが、やはり音色に工夫をした奏法になっていると推定。ob.のsoliの箇所が多く弦との掛け合いも多い。
 Menuetのtrioでフィッシャー盤はピチカートと記載をした。しかしスコアではピチカートの指定はない。(スタカートの指定のみで通常の弓で弾く)しかし管のsoloを引き立てており理に適っていると思う。ob.の旋律が目立ち気味であるが、hr.が1/4拍子遅れて入ってくるのが興味深い。
  Finaleは、聴き初めてのロンド形式が登場。単一主題で、繰り返しをしながら、Dとd調の対比がある。強弱の対比が大きな聴き所の一つである。特にFinaleは、弱奏の部分でsoloを巧みに採用していて、この対比がすばらしい。断然フィッシャー盤を薦めたい。
 それに対してドラティ盤は、Adagioの繰り返しを忠実に守っているため、演奏時間が10:59にもなっている。
 ディビス盤はAdagioの繰り返しあり。Finaleは全て繰り返しの指定が全てある。しかし3者の演奏は、最後の部分の繰り返しは採用していないが、これも理に適っていると思う。この頃の隠れた名曲としての作品でランクは、やはりAとしたい。
2015年3月8日 追記。ゴバーマンを聴取。Adagioはテンポをやや、遅めに落として弦楽器のしかも第1vn.を中心に動く。しかしときではあるが、第2vn.が独自の動きを絡める。冒頭の主題から第2vn.は、対旋律の様にk刻む部分も印象的。管楽器はあくまで伴奏に徹している分、弦楽器に厚みのあるゴバーマンの特徴を活かした楽章。
 第2楽章のめまぐるしく動く旋律の中で、T32の第1,2vn.のアコオーギクは、フィッシャー盤ほど目立たず。Finaleは管楽器のユニゾンを重視していない曲だと思う。その分、弦楽器のTuittiがメインとなり、弦楽器で配置に特徴のある特徴を活かした名演。
2017年2月14日 T.ファイ No.34を聴取。No.40から引き続いて聴取する最初の短調の曲。第1楽章はAdagioの遅いテンポ。No。40から引き続いて2曲目にあなるが緩除楽章の中では、あまりテンポを微妙に変えていないようだ。
 一方、第2楽章の冒頭の第1主題。ここでも上行して行く旋律が登場。No.40の第1楽章と同様に1小節の4分音符の動機の中でもクレッシェンドを加えている。この動機の扱い方はこの楽章では共通して採用。
 第3楽章ManuetのTrioの部分。ob.から半小節遅れてhr.が登場する。この微妙に遅れは、弦楽器の音量が大きいと聴き取り取り難い。フィッシャー盤と同様にファイ盤も、弦楽器の音量を落としているので、管楽器の音色の違いがよく分かる。Trioの繰り返しで弦楽器のパートの一部はピチカートで引いている。この解釈はフィッシャー盤でも採用していたが、理にかなっている。

2018年6月11日 34番 ホグウッド The Academy of Ancient Music を聴取。ホグウッド盤は、大半は聴取しているが、2〜3曲 未聴取が残っていた。その中の1曲のひとつ。
ホグウッドの奏者数は、下記の「毎日クラッシック」 ハイドン106の交響曲をつぶやく でNo.20の部分で記載がある。それによると弦に関しては、以下の通り。
4:4:1:1:1

古楽器はもちろんであるが、弦に関しては、va.以下は全て1名。このため弦はvn.を中心として、他のパートはsoloとなりクリアに聴こえる。ただし初期の頃はこの人数で良いかもしれないが。No.75までにこのCDは入っているので、中期から後期に関しては、奏者数が多くなっていると思う。


http://gospels.cocolog-nifty.com/classic/2012/12/10620-3902.html

ところで、No.34は、まだ初期の頃なので恐らくvn.は4名体制だったと推定。この曲の聴き所のひとつは、Adagioで短調のゆっくりしたテンポとその後に続く、速いテンポで長調との対比。No.25にも共通している部分はある。しかしNo.25は長い序奏。一方、No.34は、あくまで第1楽章は教会ソナタ風の形式で短調の独立した楽章になっている。
 第1楽章 Adagioは、2つのvn.パートが中心となり、va.以下は殆ど伴奏になっている。裏を返せば、vn.を中心とした聴き所になる。第1楽章以外を、ここでは記載したい。Finale  Puresto assai は、単一主題による、ロンド形式で繰り返しが全てある。
 T29から中間部で短調となある。冒頭からfで快活に飛ばしてきた雰囲気から、一旦、がらりと暗い雰囲気が一瞬変わる。この変わる対比が効果的。第1vn.が高音域を担当し、他のパートは伴奏に徹しているので、vn.が引き立つ。弦の各パートが小編成のため分離感が良く、この時期の頃の演奏スタイルを踏襲している典型だと思う。
 2019年3月8日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 34番を聴取。聴き始めて主調が短調で始まる最初の曲。第2楽章以後は、全てD-Durなので、第1楽章は、d-molの長い序奏と行く解釈で自分なりにして来た。指揮者によっては、第1楽章の繰り返しを忠実に守るが、メルツェンドルファーでは繰り返しはない(それでも7:11のタイムになっているので、テンポは遅い方だと思う)
 時折テープヒス音が目立つ。第2,3楽章も同様。Fianleは、作曲順番に聴き始めて、ロンド形式が始めてとなる。ダイナミックレンジレンジが狭く時折、歪がある。ヒス音もかなりあり、録音の点でかなり悪い。このため全体的な印象が余りなし。
 
2019年8月4日 34番 ヘルムート ミュラー=ブリュール ケルン室内管弦楽団を聴取。d-molの緩叙楽章から始まるが、実質、D-durの交響曲の位置づけと考える。第1楽章から第1楽章の、テンポと音色の対比が一番の聴き所。第2楽章 T24から16分音符のトレモロになる箇所がある。 元々この第2楽章の冒頭から、16分音符の刻む様な旋律は最初からあったが、この箇所から、高音域で第1,2vn.で、エネリュギッシュに展開、盛り上がっていく。ここまでは冒頭からの緩叙楽章をの雰囲気が中心だったので対照的。T32から1オクターブ下降する装飾音を含む旋律。フィッシャー盤では、この箇所をポルタティメント風に引いていた。ブリュール盤は、他の指揮者と同様に通常通り。
 2024年9月8日 ドラティ盤 No.34を聴取。井上著「ハイドン106の交響曲を聴く」では、恐らく最初に書いた短調の交響曲と記載がある。この中では短調の傑作を書くのは、もう少し後となっているが私にも頷ける。アントニーニに関連した Haydn 2032 サイトでこれまでに録音済のリストが掲載されている。2032年に向けて半分以上録音済であるが、この曲については、まだ未録音になっている。
疾風怒涛期の短調の録音は結構、既に録音が済んでいる。中期から後期にかけての交響曲はまだ、残っているのは多いが、短調の曲に関しては元々、数が少ない。アントニーニの短調の交響曲は、まだ余り残っていない。No.34は、どの交響曲と組み合わせて録音するところか気になる。No.52は既に、No.108、No.52、No.44と短調の曲が複数入っている第19集として発売予定になっている。
No.32、No.37、No.38 はまだ残っているので、このあたりとカップリングされるのか? 後期のザロモンセット当たりは、まだこれからの曲もあるが、初期の交響曲を収録順番の最後に持ってくるのは、短調の曲としては余りふさわしくないと私は思う。No.34は緩徐楽章で短調で開始するが、No.83や95の様にFinaleは長調で明るく締めくくる。アンコール風の最後の曲に持ってくるのも考えられるが、元々の演奏時間が長いこともあり少し無理だと感じる。
 通常の交響曲で第2楽章が緩徐楽章の場合、菅楽器が全て休むパターンが、初期から中期の初めにかけては多い。しかしこの曲は第1楽章に緩徐楽章があるので、菅楽器が最初から入っている。16分音符が中心となった第2主題。T34の部分から、vn.から低弦に行き渡る。この部分でもvc.とbass.とfg.の3種類の楽器の音色がよくわかる。何度か低弦に音色についてドラティ盤に関して記載をしてきた。弦楽器の奏者はホグウッドの1名ずつよりも多い。複数以上のvc.とbassの奏者がいて、fg.がユニゾンとなる場合、聞こえにくいケースもある。しかしドラティ盤に関してはどの箇所もよくわかるのはありがたい。