音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.27 hob-No12
2025年4月26日 更新 

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
27 12 1763 E 4 -  -  - - (1) D 小規模のソナタ形式で全楽章が終始
       1 E Adagio
       2 e Alleglo
       3 E Presto
4
Eの調性は少ない。主調がE調であるのは唯一の曲。小規模のソナタ形式で全楽章が終始する。第2楽章のAdagio(e調)の主題は、 モーツァルトのfl.四重奏曲第2楽章に類似。弦のみで演奏。楽器の使い方や音色には工夫は余りなし。第2楽章は展開部と再現部が繰り返し演奏される。フィッシャー盤では、再度の繰り返しのときに、vn.soloによる装飾音がある。
 ドラティ盤はどの楽章も比較的ゆったりとしたテンポで、cmb.が目立つ。第2楽章の装飾音は合奏に留まる。
(2019年12月30日追記 タグとして2010年12月16日とする)
2013年3月9日 追記。ホグウッド盤を聴取。第2楽章 Adagioは、弦のみで、細かい動きと強弱の対比が聴き所。古楽器のためか細かいところまで聴き取れる。しかし全体的に元々ランクが低いために、ホグウッド盤としての、コメントはなし。
2015年3月4日  ゴバーマン盤を聴取。Alegrettoでは2つのvn.は、ほぼ同じ動きをすることもありゴバーマンの特徴が出ない。第2楽章は展開部と再現の繰り返しがない。しかし全体的に元々ランクが低いために、ゴバーマン盤としてのコメントの追加が特になし。
2018年4月29日 ハンス・ロスバウト指揮のバーデン=バーデン南西ドイツ放送交響楽団のNo.12を聴取。2曲目となるためか録音の音源にも少し慣れる。1961年6月の録音。
No.19でも気になっていたが、ダイナミックレンジが少ない中ではあるが緩叙楽章での音源の対比が特徴のひとつであるが思った。No.19と同様に第2楽章は弦楽器のみ。
 管楽器は休むために弦楽器のみの中、各パートの音の分離、Tuittiで強弱がポイントの一つになってくる。音の分離に関してはモノラルの音源のため、どうしても、この演奏では不足してしまう。しかし強弱に関してはモノラルの音源は余り関係がない。第2楽章にシチリアーノ風の主題は、最初に第1vn.のみでpで提示される。その後T2の後半で f で悲壮感を伴うように強調。この当たりの第1vn.のみではあるが強弱が比較的目立つ。Tuittiの箇所では、T24からの小終結部当たりがその例。T24では第1、2vn.のみが主旋律引く。その後、T25で全ての弦のパート f のユニゾンとなる。ユニゾンでの強弱の対比が古い録音ではあるが逆に、この演奏の特徴であると思った。この類似の箇所は、2楽章の最後でも、同様で悲壮感を漂わして、f で占めくくるのも印象的。2曲聴いたのみであるが、モノラル録音ならではの、ある意味ユニゾンを含めた強弱を生かした演奏が印象のひとつと思った。
2018年6月20日 パトリック・ガロワ(Patrick Gallois)指揮のシンフォニア・フィンランディア 12番を聴取。4曲のシリーズで最後になる。最近ロスバウトの曲を聴いたが、ガロワは録音が新しいことは有利。(下記のブログを参照)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-893.html

冒頭の主題は例によって短い動機で構成される。T1から弦の各パートはスラーの表示のユニゾンとなる。しかしT9からスッタカートで切れ目のあるアクセントとなり展開していく。この音色の対比が明白。またその後に続く経過部も、スラーとスッタカートと明確に分けている。スラーとスッタカートでない部分は、ノリントンのようにノンレガートの様な音色。
 初期の交響曲では楽器の数は限られ、この楽章でも管楽器のsoloの箇所は殆どなく、弦楽器が中心になっている。しかし随所で1小節の中でも、細かい指示がある。自前の楽団があってこそ、この様な細かい演奏が可能であったと思う。
井上著の最初の部分でも少し触れられているが「岩城 宏之 楽譜の風景」で「フレーズの入り方などモーツアルトやベートーベンを比べて、はるかに複雑」とある。この第1楽章などはその典型ではないかと思った。ガロワの演奏は細かい部分が良く分かる。
  
 2019年3月7日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 7番を聴取。作曲順番から通して聞くとNo.40に続くことになる。No.40と比較してMenuetを各3楽章・楽器編成は同じだが、こちらは流れを重視した、小規模な室内楽的な雰囲気。 第1楽章でp ガロワ は、冒頭の柔らかいスラーを伴う第1主題とT9からのスタッカートを伴い対比について記載をした。メルツェンドルファーの場合は明確な対比は余りない。


http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-939.html

第2楽章は弦楽器のみだが、No.40と比較して、第1vn.が主体となって動き、他の弦のパートの対比が余りない。シチリアーノ風の主題だが強弱の対比があるものの、元々ランクを低くしていたこともあり印象は余りなし。録音は普通。
(タグとして2019年3月7日とする)
 2020年1月31日 12番 ジョヴァンニ・アントニーニ イル・ジャルディーノ・アルモニコ を聴取。初期の交響曲のmjwskf一つだが、冒頭から短い動機の中でスラーとスタッカートの微妙なニュアンスが随所にある。下記の自分のブログで P ガロワ でも(第1楽章の冒頭の譜面あり)微妙な表現に記載をした

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-939.html

アントニーニの場合は、古楽器のためもあるいかもしれないが、弦楽器のキレ味の良さがさらに明白になった感じ。最後の楽章のFinaleもスラーを伴う8部音符が中心の短い動機。No.60.No.70と違って最初からcmb.が通奏低音の様に控えめに入っている( R グッドマンの様に、中央寄りで大きめに入っていないのとは対照的)
提示部の途中 T44の部分で第2vn.から16分音符のトレモロになっていく。この切れ味もスラーとは対照的。3つしかなく比較的短い曲でありながら、曲の随所で旋律が微妙に変わっていく。うまく表現していると思った。
 12番 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団

2019年3月7日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 7番を聴取。作曲順番から通して聞くとNo.40に続くことになる。No.40と比較してMenuetを各3楽章・楽器編成は同じだが、こちらは流れを重視した、小規模な室内楽的な雰囲気。 第1楽章でp ガロワ は、冒頭の柔らかいスラーを伴う第1主題とT9からのスタッカートを伴い対比について記載をした。メルツェンドルファーの場合は明確な対比は余りない。


http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-939.html

第2楽章は弦楽器のみだが、No.40と比較して、第1vn.が主体となって動き、他の弦のパートの対比が余りない。シチリアーノ風の主題だが強弱の対比があるものの、元々ランクを低くしていたこともあり印象は余りなし。録音は普通。

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 2020年6月29日 12番 ジョヴァンニ・アントニーニ イル・ジャルディーノ・アルモニコ を聴取 

12番 ジョヴァンニ・アントニーニ イル・ジャルディーノ・アルモニコ 追記 youtubeより

CDの方は、2020年1月にアップすみ。

その後、Youtubeの方に映像があったので追記する。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1299.html


その後、Youtubeの方に映像があったので追記する。

https://www.youtube.com/watch?v=g_i2ysfCG2k

上記のレビューで、弦のキレについてを中心にコメントした。映像の音声も同様。ここでは、奏者の細かい視線に興味があった。このシリーズでは指揮者のアップは随所にあるが、各奏者のアップも随所にある。大きなホールで多数のカメラを使用していないので、画面が大きく変わったアップなどの画像の変化は少ない。しかし主旋律を受け持楽器を常に考えて、画像を振り分けているのは他の番組とも共通。
 もともと、初期の交響曲でもsoloの箇所が少なく3楽章のみ。第2楽章は弦楽器のみなので、楽器自体の種類も少なく、奏者のアップなどは限られる。奏者の中で主旋律を受け持つ第1vn. は5人。後方(右側)に3名の奏者がいる。その内 後ろの女性は ライナーノートによると 日本人 AYAKO MATSUNAGA がいる。(その後、ネットで調べてみたら、海外でソリストとしても活躍、来日公演もあるようだ)
 日本人は少ないので、もともと目立っている中、演奏中は殆ど譜面を見ている。指揮者の動きをみるため顔を上げる余裕は殆どない。一方、左側(ステージ側)にいる男性は、譜面を殆ど見ない。大半はアントニーニの方を向いて視線は指揮者に向いている。暗譜で弾いているかのようだ。後方の列にいながらも、第1vn.を支えている雰囲気。CDだとこの当たりは分からない。映像でこそ、逆に面白みがあった。
  2020年8月12日 12番 John hsu  Apollo Ensemble を聴取。初めて聴く指揮者と奏者。No.12以外にNo.64とNo.44が収録されている。古楽器で弦sの奏者はライナーノートによると3:3:1:1:1.低弦が名ずつ。それに対して、各vn.は3名になっている。vn.は対向配置で収録。
 テンポは中庸で変化も余りない。残念なことに、時によって、僅かだがプチプチ音の雑音が時折入る。(80年代半ばにCDが出始めだころ、この様な雑音が時折入った記憶がある音と同じ雰囲気) 各楽章は全て繰り返しを採用。低弦でfg.も1名になっている。Tuittiでも低弦のfg.が明白に聞える。
 モノラルを含め音源がかなり古くても、一定の雑音やあるいはレンジが狭いなどの制限がある場合は致し方ない。しかし1995年の比較的新しい録音。雑音が不定期に入ることで聴くの支障があるため、評価を下げざるを得ない。
 ドホナーニ ウイーンフィル 第12番
2021年 5月28日 ウィーンフィルの自主制作によるハイドンの交響曲集3枚組を入手。録音時期と指揮者が異なるが最近の慣例に従い収録順番から聴取する。下記のハイドン音盤倉庫にもレビューがある。

https://haydnrecarchive.blog.fc2.com/blog-entry-30.html


それぞれの交響曲は、例によって個別で随時記載をしていく。このシリーズの最後にまとめての記載となる予定だが、装丁の中のライナーノートの写真や記載内容が充実していると思う。
 最初の交響曲はNo12のドホナーニ。 録音年月日は1990年ムジークフェライン。vn.は通常配置。最初から右側にcmb.が控えめに入っている。
 最近は、アントニーニの古楽器による小編成の切れが印象にあった。これに対して、モダン楽器で比較的大きい編成になる。会場にもよるためか、残響がかなり大き目。弦の奏者が多く厚みのある音色。
シチリアーノ風の主題の第2楽章は、強弱の対比が聴きどころのポイントの一つ。アントニーニの場合は、Youtubeのライブ映像にもあったが、弦の弓の動きを効果的に使用し、強弱の音色をうまく表現していた。ドホナーニの強弱の対比は、それに対して余りない雰囲気。例えば、第2楽章の提示部の後半の部分。管楽器はすべて休むので、弦楽器の音色が中心で各パートの動きが聴きどころの一つになる。強弱の対比が興味深い。T19あたりから第1vn.が旋律を主導するように弱奏で引いていく。その後、T25から「f」のTuittiで対比させる部分。アントニーニの場合は、この対比が印象的だった。これに対してドホナーニの場合は対比が少ない。
 ライブ録音ではあるが、ウイーンフィルのハイドンの録音は比較的少ない。(上記のブログにも記載されている)この日のプログラムについても興味がある。2枚目に聴取予定のアーノンクールの場合は、インタビューを含め同じ日に2曲が収録されている。少なくとも2曲があることから、メインプログラムあるいは、それに近いものとしてハイドンの曲になっていると推定。それに対して、その他の録音に関しては、1曲ずつしか収録されていない。監修者の意向にもよりかもしれないが。(当日の演奏会の全プログラムが入手できたら参考になるが)
 私の推測だが、ハイドンの曲自体の収録が少ないウイーンフィルであることから、ハイドン以外の他の曲がメインプログラムになっていたと思う。ハイドンの初期の交響曲の一つがこの録音になっている。中期や後期の交響曲とも異なることから、おそらくプログラムの前半の一つになっていると思う。プログラムの前半の位置づけだと考えると、たとえが悪いかもしれないが、ある意味この曲が「前座」に位置付けられてしまう。3枚のCDの構成からすると、この曲だけを単独で考えた場合、同じオケでも指揮者が異なることもあり、最初の1枚目の1曲目ということになる。どうもこの曲に関しては「分が悪い」雰囲気だと個人的に感じた。 
 2023年9月16日 12番 R グッドマン ハノーヴァバンド Roy Goodman The Hanover band を聴取。No.9から引き続く。第1楽章の短く区切る旋律は印象的。3楽章で終わりFinaleは殆ど切れ目がないままコンパクトに終わる。その間の第2楽章は、シチリアーノ風の動機で休符の箇所が多い。休符の箇所が弦楽器の各パートによって微妙に異なる。たとえば、冒頭からのT3の部分。低弦は8分休符が入り遅れて入ってくる。グッドマンの演奏は、緩徐楽章は概してテンポが遅め。その分、各パートの休符の箇所などがよくわかる。3楽章しかない短い交響曲。しかしながら微妙な掛け合いなども随所にあり。聴き所が多い曲の一つと、改めてこのCDを通じて認識した次第。

 2024年2月15日 12番 J クランプ Johanees klumpp Heidelberger Sinfoniker を聴取。この後はNo.13が続く。これらの2曲は自筆楽譜が初期の頃でも現存し1763年が確定。 3つの楽章で両端の第1、第3楽章はかなりテンポが速め。その間に挟まれるように中間の第2楽章はテンポが遅め。第2楽章の冒頭のT2の部分。第1vn.跳躍する部分で僅かながら、スラーあるいはポルタティメント風に弾いている。極端な味付けのあるような雰囲気までは行かないが、過去に聴取して来た中では、ここまで表現している演奏には遭遇しなかった。この楽章は管楽器は全て休みで弦楽器のみ。第1vn.以外は冒頭から主旋律を演奏し、他のパートは全て伴奏側に回る。このため冒頭のこの旋律をどのように演奏するかは、この楽章の大きなポイントの一つになる。類似箇所のT12や展開部最初のT28の部分も同じような解釈。
 この後に、短いながらもFinaleがさらに続く。しかも第1楽章と同様にテンポが速い。この曲自体は全部で3楽章。第1,3を合わせての演奏時間は約7:50。第2楽章は 8:47・第2楽章は両端楽章よりも時間のデータでみると長い。第1、3楽章はE-dur の同じ長調。第2は e-mol の短調。長い短調の楽章がありながらも、その後に明るい活発な速いテンポの楽章で終結する。3楽章のみで全体的には概して短い曲。対比させようとした第2楽章の印象は、第3楽章の勢いによって消されてしまう雰囲気と感じた。
 2024年8月3日 ドラティ盤 No.12を聴取.。アントニーニは第4集に収録されている。最近では J クランプの最新盤でもレビューした。最近は、この2者を中心に比較をしながらレビューをしている。その前にドラティは全集を完成している。その後、追随する2者とも比較をするのにも、No.12は最適な曲の一つ。アントニーニは第2楽章のYoutubeでの画像が興味深いと記載した。弦楽器のみで管楽器は全て休み。vn.は弱音器を付けない。冒頭のシチリアーノ風の第1主題は、強弱の音量の差が大きい。弱音器を使用しないvn.の弓の使い方などが聴き所のひとつとなっていた。
 アントニーニは、弦をコマより少し離れた位置で、旋律によって、弓をいっぱい動かして音を出したり。一方、弱奏の部分は、弓の動きを極度に抑えて、しかも弓の角度なども調整しながら弦の音色をうまく表現している。(下記のレビューを参照)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1899.html

 一方、J クランプは、Youtubeの映像はないが、両端の速いテンポの楽章とは対照的に、第2楽章はテンポを抑えている。また冒頭の動機の後半で、スラ―の部分で僅かながらポルタティメントの様な、音色を加えている印象などを記載した。

(下記のレビューを参照)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1903.html

 上記の2つのレビューに関して、ドラティの演奏は、これらとは全く無縁の様な雰囲気。「楷書」の表現をしばしば使用してきた。この第2楽章も、録音のせいか、全体的にやや音量が大き目。(これまでNo.1〜11まで通して聴いた中でも共通する特徴)強奏の部分は、あたかも、速いテンポの両端楽章のtuittiの音量にも匹敵するような雰囲気。私としては、もう少し、緩徐楽章では、やや音量を抑えて欲しいと思った。
しかし音量が大きい分、逆に、弦楽器のみで表現している奏者の多いイメージがさらに高まる雰囲気。緩徐楽章でも両端楽章と同様に通奏低音のcmb.は常時入っている。(かなり右側)しかしcmb.は入っていても、音量はあくまで抑えて弦楽器を引き立てているのも好印象。第1楽章の展開部の一部などは、cmb.は独自の旋律を受け持つのとは対照的。

202547日 マンフレート・フス 12番 を聴取。No.50から引き続くが、しばらく期間があく。cmb.は全ての楽章に入っている。No.50のレビューでも書いたが、アントニーニの弦の切れのある音色とは対照的。またライヴの様に、各パートの動機の微妙な音色などを細かくストレートに表に出しているのとは対照的な表現。ハイドンの交響曲に関して、何度か繰り返して聴取しないと微妙な特徴が分かり難いような表現だと思う。

 ハイドン音盤倉庫にはNo.12に関して、第2楽章はオペラからの引用の兼ね合いもあり、以下のようなコメントがある。

 

「フスは原曲の「アチデ」を世界初録音した当事者だけに思い入れも一入でしょう。」

 

確かに、第2楽章は両端の第13楽章と異なり、長調に挟まれた調性。cmb.は入るが弦楽器のみの音量もあり、第2楽章は聴き所だと思う。

 

 No.50と同じ会場の録音。No.50ob.soloが極端に目立ったのに違和感があったが、No.12は、弦楽器、管楽器のsoloの箇所がない。このため、各パートの音量のバランスは一般的。ただし、やはり残響が多く、ホールの中央で聴いている雰囲気。クランプやファイの演奏の様に、指揮者のそばで聞いている音源ではない。
(2025年4月7日追記 タグとして2025年4月7日   とする)

 2025年4月24日 12番 鈴木秀美 OLC を聴取。
 C.P.E バッハを含む4曲が収録されている。最初から4曲目までは vc.協奏曲、シフォニア2曲が収録。最後の4曲目にNo.12となっている。日本語のライナーノートにはNo.12を含む C.P.E バッハ のつういての記述がある。初期の交響曲であるがNo.12を最後にもってきた収録の目的が、指揮者本人及び 飯森豊水の解説文書が、詳細に記載されている。ハイドンと C.P.E バッハ とは生涯を通して、直接、一度も会うことはなかった。相互の敬愛する関係にあった。ハイドンはC.P.E バッハ に最も影響を受けた作曲家であることを明言した。C.P.E バッハはイギリスのマスコミによって批判を受けた時に、彼(ハイドン)を弁護した。従来の一般の文献ではC.P.E バッハ から学んだことは1750年代の修業時代とされていた。1750年代のウィーンではまだ C.P.E バッハ の楽譜が殆ど流通していなかったことなども含めて1760年代後半ら70年代 前半とする説になっている。

 冒頭の1曲目がvc.協奏曲。その後の3曲も、vc.の独奏は殆どないが、鈴木は指揮者して中央の指揮台に立たず。vc.の奏者と指揮者をかねている。OLCで vc.協奏曲含む、独奏と指揮者を兼任た場合、私の推測では、やや右側の中央に指揮者が位置していた。しかしこの演奏は右端に位置している。ライナ―ノートの写真でも中央よりやや右側の正面に位置。Vn.は対億配置でなく通常配置。Vc.が中央のやや右側奥にいると、管楽器を含む他の奏者は、vc.の奏者が見にくい。また背後から見ることなる。このため一番、見やすい場所として選択したと思う。OLCは今まで対向配置だったのとは対称的。Vn.の対向配置としての聴き所は減ってしまうがそれほど違和感はない。

C.P.E バッハ シンフォノア wq, 183/3 F―dur 初めて聞いた。第1楽章はハイドンNo.9 の第1楽章の経過部に出てくるような共通点がある雰囲気。ハイドンのNo.9の作曲年代1750年代の後半録音。一方 C.P.E バッハの作曲年代1775―76年とされているので、ハイドンより後になる。初期のハイドンの交響曲はこの当時は筆写譜でも余り流通していなかったと思うので、 C.P.E バッハ がNo.9 を見て作曲したとは考えにくいと思う。

3曲目のWq.183/1 D-dur も初めて聴取した。2曲目と3曲目に共通するが コンチェルトグロッソの様式なので、随所でaolo が入る。鈴木自身は No.12を最後に持って来た理由として No.12 の第2楽章を聞いて、C.P.E バッハと そっくり と記述した。 なぜかNo.12は 自作のオペラからの引用についての記載はない。具体的に どの箇所が類似しているのかは、一度、聴いただけでは私は分からなかった。 しいて上げれば 183/1 第3楽章 Presto で、短い種類の複数の動機が 短い周期で変わる点なのか?  IMSLP には C.P.E バッハ のスコは掲載されていない。 バッハ一族の中では、現代でも余り人気がない作曲家なのか?  初期の交響曲でOLCは、cmb.は入らないことが多いと思う。しかしNo.12に関しては、 C.P.E バッハ との関係もあり、右側に通奏低音のようにcmb.が常時入っている。
 No.12より前の曲は、vc.の独奏箇所が随所にあった。vc.独奏と指揮者を兼ねているので、聴衆はついつい中央右側のvc.の奏者を中心に見ていたと思う。しかしNo.12は、vc.の独奏の箇所は全くない。初期の頃の一般的なハイドンの交響曲の一つになる。当日、もし私がその場所にいた場合、vc.の独奏をやめて、No.12のときのみ、中央の指揮台に立って演奏した方が違和感がないと思った。ただ、4曲目に指揮者が立った場合、vc.奏者は1名になってしまう。初期の交響曲とは言え、ホグウッドなどと違って OLCは vc.は2名の奏者としていた。追加のvc.の奏者を配置することになる。そうなると最後の曲のみ指揮者が中央で演奏することは現実的でなかったかもしれない。

 このCDのトータルの収録時間は58:32。通常の収録時間よりはやや短い。当日の演奏プログラムの詳細は分からないが。アンコールでC.P.E バッハ などの演奏があったら聞いてみたいと思った。曲間の拍手は全てカットされている。
OLC の過去のCDは 発売がかなり前になり タワーレコード でも入手は難しい。このため中古の購入が多い。過去に入手したCDは、一度、他人が所有したものになる。たまたまライナーノートの最後の部分に指揮者のサインがマジックで書いてあった。サインの日付が 2007年2月24日になっている。 No.12のCDは第18集で2005年10月の収録。サインの日付から当日のサイン会と考えると、第23集  No.49 の演奏会で販売されたCDになる。当日のサイン会も気になった。