通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽
章
数 |
fl |
fg |
trp |
cl |
timp |
cmb |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
25 |
14 |
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1762 |
A |
4 |
- |
1 |
- |
- |
- |
(1) |
c
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Andanteでのvn.vc.の終始ユニゾン。Finaleの対位法的な手法 |
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1 |
A |
Alleglo molto |
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2 |
D |
Andante |
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3 |
A |
Menuetto alegretto |
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4 |
A |
Alleglo |
Alleglo moltoの第1楽章はA調の明るさを生かした親しみやすい主題。(モーツァルト交響曲No.33の第3楽章に似ている) Andanteでは、soloとして活躍はないがvc. がvn.の旋律を常にユニゾンで引くのは、初めての試み。各弦のパートが細かく聴き取れる。管楽器が全て休むので、弦楽器が如何に聴かせてくるかがポイント。注意深く聴いてみると、va.と低弦とは常に同じ旋律で引いている。
Allegloでは第4楽章の主題のフーガ風にパートを変えながら進行する。fl.が一部でも入っていたらさらに聴き応えがあったと思う。
ドラティ盤ではAndanteでのcmb.の装飾音が目立つ。Menuettoのテンポが遅く、Andanteに近い。
(2019年12月30日追記 タグとして2010年12月14日とする)
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2010年12月22日 ディビス盤を聴取。聴き通して久々のシャープ系の長調が登場。第2楽章のAndanteは、vc.とvn.のユニゾンが聴き所であるが、管楽器が休みの中それほど目立たず。cmb.はドラティ盤ほど装飾音もなし。
一番の聴き所はFinaleで低弦との対比法的な動きは目を見張る。聴き所のポイントでは第2楽章のAndanteとしたが、FinaleのAllgloの対位法的な手法が一番であると訂正したい。 |
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2013年3月3日 追記。ホグウッド盤を聴取。
Andanteのsolo vc.は、思ったより目立たない。Finaleの対位法も、小編成のためかよく聴き取れる。 |
2013年3月23日 追記。ホグウッド盤を視聴。trp.とtimp.は入らず。僅か1小節の主題が、第1楽章のいたるところで展開されるのは、この演奏でも同様。しかし、小編成の分、初期の交響曲で、迫力を期待するのは、打楽器が入っていないこともあり、少し期待はずれ。
第2楽章のvc.の演奏は、繰り返しの部分は、装飾音が入り、聞き飽きさせない。
(タグとして2013年3月23日とする) |
2015年3月2日 ゴバーマン盤を聴取。第2楽章のAndanteで、vc.のSoloは、それほど目立たず。聴き応えのあるFinaleは第2vn.を含む、各パートが良く聴き取れる。 |
2019年3月5日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 14番を聴取。第1楽章の冒頭の第1主題は調性こそ違うが、モーツァルト交響曲No.33 K319 第3楽章 Menuetの主題に類似していると思う。曲の後半 Menuet (Trioを含む) Fianle は概してテンポは遅め。それに対して冒頭の第1楽章は、速めのテンポが多い。この曲も同様に速め。第2楽章 vc.のsolo(オブリガート)も、余り目立たせていないのも自然な雰囲気。
第3楽章 Menuetで、通常ならTuittiの箇所などでob.の目立つ箇所が多い。しかしこの楽章に関しては全く違和感なし。Trioでob.のsoloの部分もテンポをさらに落とすが、伴奏に回る弦楽器分との対比も良好。FianleはNo.3のFinaleにも少し雰囲気は出だしが中心に類似しているかも。しかしこのNo.17の方は、弦を中心とした各パートの動きはフーガの様に展開して行くが、16分音符のスラーの旋律が入るなど明るく流れるような雰囲気を重視。No.3のような力強さとは対照的。
曲を聴き通ししていく中で、第1楽章は概してどの曲もTuittiの箇所にob.が目立ちすぎる。しかし後半に従ってTuittiの箇所はob.が控えめに回り、それほど問題がない。Fianleは概して遅めのテンポで、ハイドンらしい軽い雰囲気で終わるのを表に出すのがメルツェンドルファーでの解釈なのかも。
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2019年10月21日 14番 Kevin Mallon K マロン Toronto Chamber Ochestraを聴取。全集のCDでは5枚目でNo.14〜17までの4曲がセットでhob番号順に収録されている。Hob番号の順番だと作曲年代は多少、異なるがここではあえて収録順番とした。No.62からだと、作曲年代が遡ることになる。No.107 B の頃になるため、随所に管楽器を含めたsoloの箇所もある。No.107と同じような雰囲気。第2楽章の vc.のsolo は他の指揮者と同様にそれほど目立たず。
今までの演奏では繰り返しをすべて採用。第3楽章 MenuetでTrioの後、Menuetも忠実に繰り返しを採用。Trioと同様に、繰り返しの後半では微妙な装飾がある。
Finaleは概して遅めのテンポを予想していた。しかし思ったより速め。冒頭の第1,2vn.主題。ここではvn.のみで他のパートは演奏しないが、16分音符を含む細かい旋律がある。展開部のT32の部分。Tuittiの後、低弦が16分音符で対位法的に独自の動きがある。ここでもスラーの表記のように柔らかく表現。古楽器で小編成ながら各パートの動きはよくわかる。 |
14番 鈴木秀美 OLC オーケストラ・リベラ・クラシカ
2021年8月13日 14番 鈴木秀美 OLC オーケストラ・リベラ・クラシカ を聴取。OLC2年目スタートの第5回演奏会のライヴ。このシリーズは私としては3枚目にあたる。既存の2枚を聴取した限りでは会場のせいか、ライヴ録音の割には残響が大きい。音の溶け合いはその分、とてもよくホールの中央で聞いている雰囲気はよく伝わってくる。しかし最近アントニーニやファイの近接音の臨場感ある録音に慣れているのとは対照的。
ライヴで1枚が1収録のCDになっているようだ。曲の順番通りに収録されている。1晩ずつの構成なので、ハイドンの全集録音は意識していると思うが、曲の構成や順番についてはかなり凝った構成になっていると思う。このシリーズはハイドンを中心ではあるが、モーツァルトなどの他の作曲家なども取り入れている。アントニーニのような、標題を含めた幅広い他の作曲家からの構成とは異なる。協奏曲が多いことからも演奏家からの意見なども取り入れて選曲がされているようだ。
このCDに限っては、最初にNo.14。そのあとに、モーツァルトのfl.協奏曲第2番とAndante k.315。最後にNo.53とアンコール用の別バージョンにFinaleになっている。CDの曲目一覧を見るだけでも興味深い。最初に初期あるいは中期の曲から、出だして入るのは様々なパターンがある。以前、ウイーフィルのNo.26についても記載をしたが、他の作曲家がメインで、ハイドンの初期あるいは中期の曲が最初になるパターンもある。この場合は、私としては、初期あるいは中期の交響曲が前座のように感じてしまう。一方、このCDのようにメインにハイドンのプログラムになっている場合、最初の1曲目もそれなりに、前座とはちがった意義があると思う。
この曲もその一つだと思う。No.14といえば調性はA-durで明るい調性。協奏曲やNo.53の調性もD-durなので明るい調性。しかしあえて、D‐durでない曲になっている。楽器編成についても、心憎い。中間のfl.協奏曲があるので、fl.の位置づけがポイントになる。最初の1曲目からfl.がはいるパターンもある。しかしこのCDに限っては、最後に1名の奏者がNo.53でfl.が常時入っている。これに伴い、最初の1曲目はfl.が入らいない曲が適当と思う。そのような中でNo.14が採用されたのは、1枚のCDではあるが、コンサートとしてプログラムの曲の選曲でとても、うまく考えていると思った。
演奏の方では、第2楽章でのオブリガートのvc.が印象的。元々、指揮者の鈴木秀美はvc.の奏者として昔から活躍していたので、2名のvc.の奏者も指揮者からも特に、注目されるというか微妙な存在。このシリーズではハイドンのvc.協奏曲では、指揮者自身がソリストとしても録音があるので、vc.の演奏家としても、もちろん力量はある。そのような中オブリガートのvc.はユニゾンのvn.の中でも明白に聞こえる。スコアでみるとvc.の存在は、一応、別に掲載されているので、それなりに存在感はわかる。スコアがないと残響が多い録音などは、soloとしてのvc.がわかりにくい。残響の多い録音ではあるが、このvc.の音色がよくわかる。
単に聞いているとこのオブリガートの旋律はvn.のユニゾンだけだと思っていた。しかしわずかではあるが、vn.とは異なる旋律の箇所がある。練習番号 Fから7小節目のT18の部分。vn.は細かい音符であるがvc.方は、異なった旋律。この微妙なニュアンスもよく表現。
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2023年3月18日 J クランプ ハイデルブルク交響楽団 Johanees klumpp Heidelberger sinfoniker 14番 を聴取。このCDの4曲目で最後になる。曲目の解説は、 J クランプ 自身が執筆している。英訳を読むと、この第1楽章の第1主題は、簡潔な主題が、vn.と低弦の対旋律と同時に提示。ハイドンの交響曲の良しあしは、出だしの第1主題で決まると思っている。第1主題は動機が短いものから構成されるものもあれば、比較的長い動機のものなど様々にある。一般に短いもの方が多いと私は思うが、このNo.14も、典型的な例の一つ。短い単位で提示され、短い展開部の後、簡潔に終わっている。疾風怒涛期の頃のやや長い小節数とは対照的。
ライナーノートでは、この曲で唯一の短調の箇所。第3楽章のtrioの部分。ob.のsoloが高音域で入る箇所。例によって繰り返しでは装飾が入るが、スコアの記譜よりも高い音域になるため、いつも以上に印象が深い。解説では Menuetto の主部とtrioの対比について。主部はMarketplace での 民謡 folk に象徴。それに対して、Trio は教会のOratorioや cantata に類似した例え。Trioでob.の高音域の短調で凍るような雰囲気。それに対して、 Menuetto が再度、明るく回帰してくる対比について記載がある。スコアをみると、確かにT46の部分でさらに高い音域を吹く箇所がある。また伴奏側で、va.が全く入っていない。伴奏に回る弦楽器の音量を落としているかもしれない。
全てのライナーノートまでの内容は分からないが、指揮者自身による解説書も興味深い。このCDの4曲のFinaleは速いテンポは共通。4曲全て他の楽章よりも短い。1曲目のNo.3は、繰り返しもないのですぐに終わってしまう。しかしいずれの曲にも共通しているのは、短い動機が、各パートに受け渡しがありながらも、様々に表情が変わる。初期の頃の曲でも共通した特徴があると思う。
なお、奏者の紹介で hr.が2名。打楽器群も記載がある。この4曲は、打楽器群が入っていないしhr.も2名でよい。収録の曲のみに着目すれば、打楽器群の記載は不要となる。一方、第2楽章でvc.の独奏が入る。むしろ、vc.のsoloの明記があったほうが良い。輸入盤では、最後の方のP18に奏者の集合写真がある。しかしこれは過去のものの流用。当方は、1枚ずつ、購入しているのだから、同じ写真の流用は、余程のテーマによる共通点などを除いて、意味が余りない。装丁に関しては、さらに工夫が必要と感じる。
ハイデルブルグ 交響楽団のブログをみると、ハイドンの交響曲の録音が完成し、2023年5月24日にイベントが開催されるようだ。
https://heidelberger-sinfoniker.de/konzerte/haydn-complete.html
ドイツ語なので詳細は分からない。録音会場の Palatin を少し調べてみた。ホテルを併設し中規模のホールがあるようだ。ホールは、クラッシックだけでなく色々な用途で使用されている。実際にどのように録音されているのかは分からないが。このレーベルの特徴は、弦楽器がtuittiでも各奏者が分かるほど鮮明な録音。思い返せば1965年頃から1985年頃のLPの時代。ハイドンの録音が余りなかった時代。モダン楽器の大きなホールで残響が比較的多い録音が多かった。奏法もピリオドは余りない。繰り返しも余りなく、繰り返しがあっても、後半の装飾なども余りない。このような時代とは対照的な印象。
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2023年10月11日 14番 R グッドマン ハノーヴァバンド Roy Goodman The Hanover band を聴取。4曲目でこのCDでは最後になる。これまでの3曲にも共通している.が、緩徐楽章ではvc.のsoloが入る。No.14は、わずかな箇所であるが、vc.のsoloは異なる箇所がある。
下記のブログに譜例あり。
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1402.html
グッドマンの場合は、例によって、独奏vc.はそれほど目立たない。
第3楽章のTrioで唯一の短調の部分。最近の録音では、ob.の音色の対比が印象的と記載した。(下記のブログ) J klumpの例
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1559.html
グッドマンの場合は、それほど目立たず。録音データで録音会場の記載がない。しかし録音は4曲ともに、1993年5月11〜13日となっている。わずか3日間で4曲を集中的に録音したと思う。録音のばらつきもなく、聴きやすい。
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2024年8月4日 ドラティ盤 No.14を聴取。No.14は、自筆楽譜が存在するかどうかは不明だが、No.6〜8と同じように、作曲者自身の晩年のカタログにも記載がされている。モルツィン時代ではないと思う。 J クランプのレビューで、第1楽章の冒頭の主題が、低弦が対位法的に登場する記載があった。冒頭の主題は、確かに低弦は独自の動きがある。
T2とT4で2つのvn.はユニゾンで、細かい指示が書いてある。AとDのvn.の開放弦を用いて、開放弦と非開放弦で弾いている指示か。Aという調性も生かしているのか? 細かく見ると T1の第3拍から既に、Aの高さになっている。T2からではなくT1から同じ奏法で行うことも可能。T2の2分音符全体をつかって、ユニゾンで弦の音を、微妙に音色を変えて表現しようとしたのか。
No.87の冒頭も同じような記載がある。しかしこの音色の違いは分かり難い。実際に2つのパートに分かれているのか。あるいは、実際には、1つのままなのか。どこかのクラシックのレビューで、開放弦ができるだけ使わない演奏が重視していたことを思い出す。
第2楽章のvc.は、オブリガートで入るが、指揮者によって、soloに近い扱いもあれば、その反対に、殆ど目立たないこともある。ドラティの場合は、後者で殆ど目立たない。第3楽章 Menuetto は、概してテンポが遅め。
以下の J クランプのレビューに譜例あり。
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-3114.html
Finaleは、vn.の掛け合いが随所にあるが、対向配置でないため今一つ。
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