音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.23 hob-No9

2024年10月21日 更新 


No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
23 9 1762頃 C 4 -  -  - - (1) C 持ち替えfl.のユニゾン。
       1 C Alleglo molto
       2 G Andante
       3 C Alegretto
C調は従来trp.とtimp.が入り祝典的な雰囲気が多いが、今回は殆ど聴かれないのは珍しい。第1と第3楽章は、ob.2本だが中間の第2楽章Andanteは持ち替えのfl.2本。 モーツァルトの初期の交響曲の雰囲気に似ている。緩徐楽章では、弦と2本のfl.のユニゾンの音色が美しく、両端楽章の調性とテンポの対比があり際立つ。
→「2012年1月20日 追記」 その1 石田著「交響曲の生涯」の第5章  ドイツ ・オーストリアの役割1740〜50年代の記述の中に、fl.に関しての記述がある。この章では、シンフォーニアで使われた楽器 ハーモニーと音階で、ob.などと違って、fl.が定位置を占めることは後の事である。
 当時はob.奏者がfl.と兼ねるのが一般的であった。この典型がno9のこの交響曲であると記載されている。第1,3楽章では、ob.2本とhr.2本が加わるが、第2楽章は休む。第2楽章では、fl.本 2本は、楽章全部に渡って第1、2vn.とユニゾンで演奏する。音量が比較的弱くてすむ第2楽章だから、持ち替えが可能だった点が言及されている。
 第3楽章はAllegrettoの表示だが実質Menuet。フィッシャー盤のジャケットには、Menuetの記載がない。ドラティ盤には記載がある。Menuetで終わることや、codaがないこともあり、今ひとつ物足りなさがある。
(2019年12月30日追記 タグとして2010年12月14日とする)
2010年12月20日 ディビス盤を聴取.
第1楽章Vivaceではsoloではないが意外にhr.が活躍。フィッシャー盤と違って、弦のsoloはなし。第3楽章は、Finale:Menuetto Allegretto と記載あり。通し番号順番に聴くと、C調が続いてしまう。第2楽章のAndanteは展開部と再現部の繰り返しがあり。
 3楽章のゆったりとしたテンポで終わることもあり物足りなさはある。
2010年3月12日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。第1楽章は、ob.2本。それに対してfl.が2本でob.が休みであるから、明らかにob.奏者がfl.に持ち替えていることが分かる。fl.は常に、第1vn.の1オクターブ上の旋律を殆ど常に吹いている。(中間部の一部で同じ音程の箇所がある)vn.は常にfl.のオブリガートに徹している。fl.2人は、常に同じ旋律かとも思えるが、微妙に音程が違う箇所もある。あくまでfl.の演奏を引き立たせることが、この楽章の特徴であろう。
 ディビス盤の弦は時折soloの箇所があるようだが、Alleglo moltoの34、T36当たりでsoloの箇所が割合に、はっきりしている。Menuetのtrioの部分で管楽器のfg.がsoloで活躍するのは、この後にも良く用いられる手法である。早くもその用法があるのは注目に値する。
なお井上著では、第3楽章のTrioではbass.がfg.のパートのみになっているとのこと。現在の私の聴取環境ではまだ、その区別は分かり難い。→その後、フィッシャー、ドラティ、ディビス盤いずれも、fg.のsoloがあることが判明する。
2010年3月12日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。第1楽章は、ob.2本。それに対してfl.が2本でob.が休みであるから、明らかにob.奏者がfl.に持ち替えていることが分かる。fl.は常に、第1vn.の1オクターブ上の旋律を殆ど常に吹いている。(中間部の一部で同じ音程の箇所がある)vn.は常にfl.のオブリガートに徹している。fl.2人は、常に同じ旋律かとも思えるが、微妙に音程が違う箇所もある。あくまでfl.の演奏を引き立たせることが、この楽章の特徴であろう。
 ディビス盤の弦は時折soloの箇所があるようだが、Alleglo moltoの34、T36当たりでsoloの箇所が割合に、はっきりしている。Menuetのtrioの部分で管楽器のfg.がsoloで活躍するのは、この後にも良く用いられる手法である。早くもその用法があるのは注目に値する。
なお井上著では、第3楽章のTrioではbass.がfg.のパートのみになっているとのこと。現在の私の聴取環境ではまだ、その区別は分かり難い。→その後、フィッシャー、ドラティ、ディビス盤いずれも、fg.のsoloがあることが判明する。
2013年2月25日 追記。ホグウッド盤を聴取。
聴き所のポイントで第2楽章のfl,の持ち替えユニゾンの点は変わらず。古楽器のためfl.の音量が小さめのため、逆に各パート、この場合は弦楽器の音色が聴き所となる。今までの3者演奏では、弦の伴奏は聞きのがしていた。しかしホグウッドの演奏では、この伴奏での方が反って聴き所となる。
 特にva.のパートは細かく聴いてみると、独自の動きがある。このあたりは注意深く、聴いてみないと聞きのがすところ。
2015年2月28日  ゴバーマン盤を聴取。第1楽章のテンポは、速めで駆け抜ける。2つのvn.は、同じ音程あるいは音程を変えても同じ旋律でほぼ終始。展開部の中ほどのT76で第1vn.が唯一に近く、主旋律を演奏するのがこのゴバーマンの特徴か。
 第2楽章のfl.も弦楽器の編成が大きいのかfl.が浮き立たず。第1,2楽章は珍しく通して繰り返しを守っている。
 
2017年12月24日 G Herbig No.9を聴取。Andanteの2本のfl.の持ち替えでは、fl.がそれほど目立たず。ホグウッド盤で、この楽章でva.の独自の動きがあると記載した。ヘリビッヒでは、それほど目立たず。
 Finale Trioの部分では、ob.fg.のsoloは引き立ち、弦のパートは伴奏に徹している。この当たりは、No.10にも少し記載をした。ここでも同様。
 2018年6月19日 パトリック・ガロワ(Patrick Gallois)指揮のシンフォニア・フィンランディア 9番を聴取。このCDは4曲収録されているが、収録順はhob No.と同じ順番なので最初になる。第1楽章 Allegro mltoは Tuittiで開始されるので、正に井上著「ハイドン106の交響曲を聴く」でも記載のあったように序曲風。最初にこのCDから聞き始めるとまさに序曲の様に聴こえる。
 この楽章は得てしてTuittiで駆け抜けるように終わり、各パートの独自の動きが少ない箇所が多い。しかし展開部の後半T76で提示部の動機が、ppで第1vn.が登場する。第2vn. va.もpで添える。この強弱の対比が印象的。



ガロワの演奏は、繰り返しの後半は他の指揮者と同様に装飾がある。Finaleの部分も同様。Menuetの回帰では、曲の最後を締めくくることもあり、さらに最初の部分と比較して装飾が多いのも印象的。
 2019年3月3日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 9番を聴取。C調だが打楽器群が入らない曲のひとつ。冒頭から、Tuittiで派手さはないが駆け抜けるように終わる雰囲気。(下記のP ガロワのレビューに譜面あり)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-938.html

 この楽章は速めのテンポの方が第2楽章の柔らかい雰囲気と対比させて面白い。大半の指揮者は Alleglo molto の指示よりも速めが多いがメルツェンドルファーも同様。冒頭の主題はva以下の低弦以外はTuittiで重音で引いている。T2からは重音でない。重音と重音でない箇所の対比を楽しむのも興味のひとつ。展開部の終わりの方T83で、2つのvn.が重音でオクターブを重ねて引く箇所がある。この後の管楽器との音色の対比を含めた掛け合いも良い。
Finaleが通常のMenuet。他の交響曲と比べると、3楽章で切れてしまう雰囲気。第2楽章の持ち替えで、柔らかいfl.を含めた音色の変化。第3楽章 Trioの管楽器を主体とした雰囲気。できればこの曲に関しては追加のFinaleが欲しいと思う曲。なおメルツェンドルファーの演奏では、Menuetの一部にスコアには fで書いてあるT22とT23の2小節、。vn.以外の他のパートも含めて 音量を落としている。Menuetで回帰してくる部分も同様。最後に盛り上がる前のアクセントになっているので自然な解釈と思った。録音も良好。
 2020年4月15 9番 ジョヴァンニ・アントニーニ カンマ―オーケストラバーゼルを聴取。No.65ら引き続く。こちらも他の2曲と同様に、Youtubeでの映像がある。これら3曲のデータ(日時など)は分からないが同じ会場の様だ。

https://www.youtube.com/watch?v=xyVaLxwvVFM

CDと映像の方は、音質の差はあるが、演奏自体は余り区別はないと私は思う。ライナーノートでは、管楽器でfl.1名が記載されている。ハイドンの初期の交響曲では、管楽器のfl.とob.の持ち替えが多い。この曲に関しても同様で、第2楽章はfl.1名が入る。ライナーノートではfl.が担当している。もう一人のfl.奏者の記載がない。
 一方、映像の方では、首席ob.奏者がfl.の第2パートに持ち替えて演奏をしている。ハイドンの時代なら、管楽器の奏者が複数、楽器を持ち替えて演奏するのはしばしばあったと思う。この演奏会では、持ち替えでob.奏者が担当しているシーンは興味深い。第2楽章が終わって、短い合間ん、ob.奏者がfl.から元の横に置いていたob.を取り換えるシーンなどはライブならではの面白さがある。fl.の奏者(女性)は2名のob.の間に座っている。奏者の配置も面白い。

今回のMagnumu Photoの写真も興味深い。下記のアドレスに日本語のホームページがある。現代でも戦争がある中、実績のある写真家なことがよく分かる。

https://www.magnumphotos.co.jp/page.php?navigationid=156

 なお、前回のNo.5のレビューで、首席奏者(コンサートミストレス)は記載がないとあった。その後、再度、写真を見ていると右のやや端の方に写っていた。集合写真で中央に位置していないこと。髪型を変えていたことで、すぐにわからなかった。

 
 2020年10月27日B スピルナー Heidelberger Sinfoniker No.9を聴取。冒頭からTuittiのテンポはかなり速めで流れるように終始。しかし他の奏者と微妙に異なり、強弱とテンポを微妙に差をつけている雰囲気。第2楽章はライナーノートによると、ob.からの持ち替えによらず、fl.2名が単独で演奏。最近聴取したアントニーニの場合はyoutubeやCDクレジットにも記載があったが。1名はfl.奏者が追加。第2fl.はob.奏者の持ち替えとなっていたのとは対照的

 この曲は3楽章で最後のFinaleは Menuet +trio になっている。Tenpo de Menuet ではない。多くの交響曲に見られる通常のMenuet の楽章と同じになる。スピルナーはMenuet の後半で繰り返しはない。しかしMenuet の後半の中で テンポをリタルランドに落とし、休止符を挟んでいる。単にMenuet の繰り返しで終わるのではなく曲全体のFinaleに向けて敢えて、曲のテンポを変えて間合いを設けることにより、Finaleとしての意識付けをした解釈かもしれない。Menuet の回帰の部分でも前半と後半の繰り返しがないのもうなずける。
なお所有する輸入版のライナーノートは、前半はドイツ語、後半は英語。それぞれ2枚ずつ、計4枚の白黒写真が掲載されている。2枚の写真はそれぞれ同じもの。ライナーノートは1セットになっている。できれば違う写真が掲載して欲しかった。(アントニーニの全集は、冊子枚数が多くマグナムPhotoの企画もあり、全て写真が異なっているのは好印象)
奏者が集合している写真は Heidelberger Sinfoniker のフェイスブックにも同じものがカラー画像で掲載されている。(下記のアドレス)

https://www.facebook.com/DieHeidelbergerSinfoniker/

 20200年5月4日の投稿。これによると第25集の録音に向けて、募金を行っているようだ(言語はドイツ語)これに関連してフェイスブックの写真の中では録音風景も掲載されている。vn.奏者はライナーノートと同じ4名ずつ。3密を避けているのか各4名のvn.奏者は、演奏位置に距離を置き譜面台も各1名ずつになっている。楽章間の演奏時間が長くなると譜面をめくる際にも一人ずつで行う必要がある。ハイドンの交響曲の場合は、パート譜は大半は短い小節数だと思うので、楽章の途中でめくる作業は余りないかもしれない。
しかし後期の交響曲となると見開きでは難しくなり、途中で譜面をめくる必要があるかもしれない。4人ずつがそれぞれ、めくる位置をずらして変えるあるいは休符の部分で一斉に変えるかもしれない。しかしながら一人1台の譜面台だと、めくる際の音の配慮などや指揮者の間合いなどもさらに変わってくると思った。
 4曲の最後を締めくくるにあたり、なぜ全てC調なのか? 他の調性のケースもあるかもしれないが。これら4曲は部分的にはあるが、ハイドンの交響曲にしばしば登場するシンコペーションの動機が全て含まれている。この共通動機を意識付けるためだったかもしれない。
 2023年9月15日 9番 R グッドマン ハノーヴァバンド Roy Goodman The Hanover band を聴取。第3楽章は通常の Menuetto で終わるので、やや物足りない雰囲気は、どの指揮者にも当てはまる。 スピルナーの演奏で最後の方で、リタルランドにテンポを落とし、休止符をはさむようなアクセントのある印象を記載した。(以下の譜例とレビュー)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1356.html 

グッドマンの場合は、スピルナーほど、テンポを落とさず、休止もない。しかし Menuetto の後半は、全て、繰り返しを採用。短いFinaleではあるが、繰り返しを採用することで、Finaleの厚みがある雰囲気。

 2024年7月29日 ドラティ盤 No.9を聴取
 No.8から引き続く。No.6〜8の合奏協奏曲から通常のスタイルに戻るので、作曲年代は当時のころに戻る。第2楽章はob.が休み、fl.2名になる。最近視聴したYoutubeのアントニーニの演奏では、第1ob.奏者が、fl.に持ち替えて第2ob.の方に回るのを見た。No.6などは作曲年代が後になるので、fl.とob.の奏者が、それぞれ配置が可能だったかもしれないが。これより前の作曲になるので、初演の頃は2名のob.の奏者がfl.に持ち替えていた可能性が高いと思う。(石多著 交響曲の生涯にも記載あり)
 緩徐楽章で柔らかい雰囲気で音量を落とすfl.の採用は、今、聴いてもふさわしい。スコアを見ると、最初からユニゾンで2名の奏者が演奏し、適宜、2つのパートに分かれている。また一部の箇所はsoloの部分にもなっている。ドラティの演奏でも2名のそれぞれの音色がよくわかる。
最後は Menuetto で終わり、4楽章ではない。No.22の様に すべて Menuetto で終わっても、tempo de  Menuetto 記載にように、あらかじめ Menuetto のテンポでと明記され、作曲者自身が Menuetto を終わるような記載があれば、私には3楽章で終わっても納得がいく。しかしこのNo.9に関しては、通常の Menuetto のまま。Finaleに続くような速い楽章がついていない。やはりどうしても消化不良に終わってしまう。 Menuetto の後半は、指揮者によっては、繰り返しを全て採用し、演奏時間を延ばして、Finaleとしての終わり方を少しでも聴きごたえのあるように行うのも一つの手段ではある。しかしドラティの演奏は、繰り返しは採用せず。しかし最後の部分で、ややテンポを落としながら音量を上げるのは違和感ない。この手法は、ドラティだけでなく、多くの指揮者が採用している方法だとは思うが。Tuittiの箇所でも弦楽器の奏者が多いので、曲が終わる直前には、それなりの迫力があると感じた。

 2024年7月29日 ドラティ盤 No.9を聴取。No.8から引き続く。No.6〜8の合奏協奏曲から通常のスタイルに戻るので、作曲年代は当時のころに戻る。第2楽章はob.が休み、fl.2名になる。最近視聴したYoutubeのアントニーニの演奏では、第1ob.奏者が、fl.に持ち替えて第2ob.の方に回るのを見た。No.6などは作曲年代が後になるので、fl.とob.の奏者が、それぞれ配置が可能だったかもしれないが。これより前の作曲になるので、初演の頃は2名のob.の奏者がfl.に持ち替えていた可能性が高いと思う。(石多著 交響曲の生涯にも記載あり)
 緩徐楽章で柔らかい雰囲気で音量を落とすfl.の採用は、今、聴いてもふさわしい。スコアを見ると、最初からユニゾンで2名の奏者が演奏し、適宜、2つのパートに分かれている。また一部の箇所はsoloの部分にもなっている。ドラティの演奏でも2名のそれぞれの音色がよくわかる。
最後は Menuetto で終わり、4楽章ではない。No.22の様に すべて Menuetto で終わっても、tempo de  Menuetto 記載にように、あらかじめ Menuetto のテンポでと明記され、作曲者自身が Menuetto を終わるような記載があれば、私には3楽章で終わっても納得がいく。しかしこのNo.9に関しては、通常の Menuetto のまま。Finaleに続くような速い楽章がついていない。やはりどうしても消化不良に終わってしまう。 Menuetto の後半は、指揮者によっては、繰り返しを全て採用し、演奏時間を延ばして、Finaleとしての終わり方を少しでも聴きごたえのあるように行うのも一つの手段ではある。しかしドラティの演奏は、繰り返しは採用せず。しかし最後の部分で、ややテンポを落としながら音量を上げるのは違和感ない。この手法は、ドラティだけでなく、多くの指揮者が採用している方法だとは思うが。Tuittiの箇所でも弦楽器の奏者が多いので、曲が終わる直前には、それなりの迫力があると感じた。