音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.21 hob-No.36
2024年9月17日 更新 

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
21 36 1762 Es 4 -  -  - - (1) C 1楽章の展開部の素材が豊富
       1 Es Vivace
       2 B Adagio
       3 Es Menuetto
4 Es Alleglo

1楽章の提示部は比較的短いがその分、展開部が、かなり長い。また提示部の様々な動機を用いて展開されていて転調も多い。→「2012115日 追記」 石田著「交響曲の生涯」によると、第8章 多彩な表現力を求めて 1700年代後半ー1800年代に、この交響曲の記述がある。全曲の主調は長調ながら、短調の効果的使用とし、この展開部についての記述がある。この手法は、ハイドンだけではないが長調の曲中の中で、短調を効果的に使用している。第1楽章の提示部では、具体的に調性が記載されている。それによると以下の通り。
1主題 Es→経過部→経過的部分 BdurT29以下)→b-mol(T37以下)→第2主題 BdurT46以下)
この様に、提示部の中でも転調がある。中期から後期にかけては、長調、短調を問わず、あらゆる箇所で転調が見受けられるが、早くもこの段階からある例は注目に値する。 
 Vivaceは統一感があり、聴き応えがある。Adagioの第2楽章は2部形式、あるいは展開部を欠いたソナタ形式か? →スコアで再度確認をすると、リトルネロ形式が妥当であろう。vn.vc.soloが美しい。Allegloの提示部でvn.が急に弱音でほんの一瞬、ピチカートを引くので音の対比がある。va.vc.は常に同じ旋律が多く、fl.を欠き調性がEsということもあり、比較的落ち着いた雰囲気が漂う。No.6-8の頃よりも少し前の作曲にも聴こえる。
 ドラティ盤は例によって、Adagiosoloは控えめ。
20191230日追記 タグとして20101211日とする)

2010311日 スコアを見ながら3者の演奏を聴取。 Vivaceの展開部はかなり長いと思ったところ、提示部60小節に対して、展開部は同じ60小節であった。展開部では第1主題は元より、経過部、第2主題などの素材も扱われている。展開部が提示部と同じ長さは、めったにない。
 Andante3部形式かと当初思った。スコアを見ると繰り返しの指定箇所がない。vn.vc.2つのsoloが掛け合う。また、solo以外の楽器は、主旋律を受け持つ箇所は余りない。リトルネロ形式が妥当であろう。
 Menuetは、主調から微妙に調が揺れ動いている様だ。(楽典を詳しく習得していないので、調性については自信がないが)
 フィッシャー盤の最初に書いた事項で、Finale Allegloの提示部でvn.が一瞬、ピチカートを引いていると記載をした。ドラティ盤やディビス盤ではこの箇所は普通に引いている。フィッシャー盤のみがピチカートの演奏(T14-15)スコアでは、通常に引く指定であったので、指揮者の解釈によると思った。音色の対比が効果的なのは変わりない。
 またフィッシャー盤では強弱が割合に大きい。スコアではそれほど、細かい指定はない。しかし「f」箇所の少し手前で、「p」 に近い採用をしていて旨く表現をしていると思った。低弦もva.Finaleでは独自の動きがある。何度か聴き直してみると、意外な発見がある曲。ランクはCで良い。
 井上著の記述では、作曲年代が1761年あるいは1769年までの幅があり確定がしにくいと記載あり。ゲルラッハによる1996年のデータによると、1761年後半から1762年の初頭となっている。3通して聴いてみると、1762年頃でHob-No-68シリーズの直後当たりだと思う。

20101218日 ディビス盤を聴取。第1楽章は、展開部と再現部の繰り返しがある。HobNo.-68シリーズの頃と大差はない時期で作曲されたことは分かる。
 第2楽章でvn.とvc. soloがある以外は、soloの扱いはない。しかし第2楽章は、かなりvn.とvc.の細かい、やり取りがあって、一番の聴き所。管楽器が休んで弦楽器のみでの編成である。演奏時間が短いにも関わらず特徴あり。ランクはCのまま。

2013223日 追記。ホグウッド盤を聴取。ランクはCとしているが、一番、興味深い楽章は、Finale。強弱や音色の対比が面白い。フィッシャー盤では、弱音の部分で弦がピチカートの箇所があると記載をした。ホグウッド盤ではピチカートで通している。音色の対比を楽しめる。



2017
622日 T ファイ盤 No.36を聴取。No.25から引き続き聴取をするが、楽章がひとつ増え、演奏時間が少し長くなる。楽器編成は打楽器群がなく同じ。第2楽章に、vn.vc.soloの箇所があるが全体的には管楽器のsiloが少ないのはNo.25と共通した特徴。
 第1楽章はかなり長く、提示部の中にも微妙な転調があることなどが、「交響曲の生涯」でも記載されている。展開部も提示部の各動機から引用されて、この時期としては充実。No.25finaleでは、2つのvn.パートの旋律の対比を中心に記載をした。
 ここでも同様に、弦楽器の各パートの対比が特徴のひとつ。第1楽章は弦楽器全体のユニゾンの箇所が少ない。その分裏を返せば弦の各パートが独自に様々な旋律を受け持つことになる。
 冒頭の主題から2つのvn.パートは、最初だけは同じ旋律を1小節のみユニゾンで引くが、その後は分かれてしまう。この方法は最初期の交響曲No.1の第1楽章冒頭でもあった。また低弦は、vn.とは違って8分音符を支える様に刻む。ファイの演奏は、この低弦のアクセントが特徴のひとつでありvn.パートと対等なのが特徴。T2から2つのvn.パートが分かれていくが、対向配置のため左右に広がって、異なる音程で広がるのがよく分かる。楽章の中で弦の各パートが転調、カノン風に掛け合うような部分などが、いたるところにある。楽器の配置を生かしてリズム感のあるファイらしい演奏が出ていると思った。



2018
411日 ヘルムート ラー=ブリュール ケルン室内管弦楽団No.36を聴取。このCDは、これ以外にNo.13、協奏交響曲が収録されている。日本語解説の帯の部分の記述によると、ハイドン作曲「ジュピター交響曲??」と記載がされている。これはNo.13Finaleの主題がジュピターのFinale主題に類似しているから。それよりも3曲の選曲が面白い。最後の協奏交響曲をメインに持ってくるに伴い、その前に初期の交響曲を2曲持ってきたこと。この2曲は緩叙楽章でいずれも弦楽器のsoloが随所に登場すること。他にも初期の交響曲で類似のもあるが、今回は何故かこの2曲になっている。No.68は3曲のセットでCD発売されることも多いので、これ以外にこの2曲を持ってきたのかもしれない。下記のブログにも、No.36を含めてレビューがある。

http://haydnrecarchive.blog130.fc2.com/blog-entry-707.html

4楽章の中で、私なりの聴き所では「第1楽章の展開部の素材が豊富」を記載した。この時代としては、珍しく提示部と展開部の長さが全く同じ。(60小節)再現部は64小節なので提示部よりも、少し縮小されている。長い提示部でも短調の箇所が随所にあり、石多著「交響曲の生涯」でもこの特徴に記載がされている。
 ミュラーの演奏では長い提示部の中で、強弱を中心に微妙にスタイルを変えている。提示部は繰り返しをしているが、提示部の繰り返しの部分で装飾などは特に行っていない。長い展開部で提示部からの素材が殆ど随所に採用されているのが、この曲の特徴ではある。展開部でも、強弱を自然な雰囲気であるが微妙に変えている。ただし第2vn.は右側に位置していない。Vn.同士の掛け合いの箇所が、Finaleを中心に多いがこのあたりが聴こえないのが私としては残念。

201931日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 36番を聴取。作曲年代はNo.68と大差ないと思う。vn.vc.の独奏が入る.CDの裏面にも奏者の記載あり。No.68にも記載したが、ここでもやはりob.の音量がかなり目立つ。第2楽章で2名のsoloが入る。No.78と違ってvn.soloは1名のみ。第2vn.は登場しないのである意味安心がある。
 2024年9月13日 ドラティ盤 No.36を聴取。自筆楽譜がなく、作曲年代が確定していない曲の一つ。石多著「交響曲の生涯」ではこの第1楽章は、提示部一つをとっても転調が目まぐるしいと記載がある。提示部の動機の数は少ないかもしれないが、推移から第2主題、小結尾などの一連の流れの中で、転調を変えながら構成される。その後に続く展開部も提示部と同じ60小節。展開部も提示部の素材が色々なところで使用される。ハイドン自身は、最初の作曲はエステルハーザ侯爵の元で、限られた楽器と奏者数、演奏される会場も同じを想定していた。初演の時の最初の聴衆も、エステルハーザ候を中心とした限られたメンバー。このメンバーは、顔ぶれは同じことが多いかもしれないが、晩年のハイドンが回想録にも述べたように」同じ曲を続けては書かなかった」とある。
 録音媒体がなかった当時は、ある意味ポピュラー音楽の様な、交響曲の新曲が、初演の様に披露をされていた。1761年の副楽長の赴任から、楽長の実質的な解任の1790年までの約29年間。その間に交響曲は約60曲を作曲した。オペラ時代など、作曲が全くない年もあったが。オペラ時代の前は、ほぼ一定数の交響曲を常に作曲している。