通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽
章
数 |
fl |
fg |
trp |
cl |
timp |
cmb |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
15 |
32 |
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1761−62頃 |
C |
4 |
- |
1 |
- |
- |
- |
(1) |
D |
曲順に応じた入れ替え |
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1 |
C |
Alleglo molto |
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2 |
C |
Menuet |
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3 |
F |
Adagio ma non troppo |
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4 |
C |
Finale Presto |
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2019年2月23日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 32番を聴取。ハイドンの交響曲は最初の出だしの動機で決まると思う。No.25で長い序奏を経た後、主題の切れ(vn.の16分音符の短い動機)がob.に消されて不明瞭なことを記載した。この曲は序奏はないが、冒頭から旋律が一斉に登場する。今後の展開していくのは、主に8分音符を中心とした細かい箇所が多い。このため冒頭の2つのvn.の8分音符の切れがポイントになると思っている。No.25では、こういった箇所がob.に埋もれてしまって聴こえ難いと予測していた。しかしこの曲では、vn.の4分音符の動機が強調されているので分かりやすい。trp.が時折、補強的に入るが余り目立たないものの違和感はなし。
弦のみで演奏する緩叙楽章の第3楽章。提示部の繰り返しを採用。繰り返しの後半は、S ラトルのような装飾はないが、後半は冒頭から音量を少し落とすなど微妙な違いがある。初期の交響曲で緩叙楽章は弦のみが大半だが、今まで聴いて来た中で弦の各パートが、少しずつ対位法的に独自の動きが少しずつ多くなってくる。メルツェンドルファーでも各パートの動きは良く分かる。録音も良好の方。
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32番 ヘルムート ミュラーーブリュール ケルン室内管弦楽団
2019年8月2日 32番 ヘルムート ミュラー=ブリュール ケルン室内管弦楽団 を聴取。NAXOSシリーズの分売で過去は、全てではないがレビューしてきた。このたび、全集としてまとめて購入。このシリーズは、交響曲の全曲になっているが、演奏者が異なる。分売でヘルムート ミュラー=ブリュール も数枚、聴取していた。今回残っている部分から聴取する。全集は34枚のCDになっているが、このCDでは13枚目になっている。No.32.33.34の3曲を収録。作曲年代に大差がないため、今回は収録順に聴取する。
モダン楽器で編成は、やや多い方。No.32は、C調で打楽器群が入る。No.37にも類似した雰囲気ではあるが、緩叙楽章での音色とリズムの対比がこちらの方が、聴き所があると思う。打楽器群は、あくまでリズムの補強の役割。元々この曲自体、余りランクを高く評価をしていないこともあり全体的に印象が少ない。
Menuet が第2楽章に入っている。通常は第3楽章が多い中、比較的珍しい。第3楽章のMenuet の場合、緩叙楽章で柔らかく終わる後に続き、インパクトと音色の対比が目立つ印象が多い。 一方この曲ではテンポが速く、にぎやかな第1楽章からMenuet
になる。同じ調性もあり第1楽章の雰囲気を引き続くことが多い。ブリュールの演奏では、Menuet の冒頭から、柔らかく演奏。Trioも同様。第1楽章との対比が効果的。この後に続く第3楽章はF調となり、Adagio
ma non tropo とテンポも変わる。弦楽器のみでこの曲の中では、こじんまりした中でも、聞かせどころが多い。第1、4楽章の、やや大味な曲の中では旨く対比させていると思った。
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J クランプ ハイデルブルク交響楽団 Johanees klumpp Heidelberger sinfoniker 32番2022年7月1日 Johanees klumpp Heidelberger sinfoniker 32番 を聴取。 CDのレビューでも「 T ファイの再来か?」の記述があった。たしかに冒頭から爆速の表現はぴったりの速度で演奏される。もしT ファイ が元気であったら、このような爆速のスピードで演奏したと思う。その継承としてこの指揮者は、考えていたのではないか。この頃の作曲年代は1761年以前のモルティン時代と推定されている。同じ調性のNo.37などはこの類似作品と思う。同じ奏者ではNo.37はスピルナーの指揮で発売されている。しかしこれほどの速い速度ではなかった。
調性こそ違うがNo.1のT ファイの録音を思い出す。交響曲の最初のひとつとされるNo.1の冒頭の爆速の印象が再来したかと思う印象。古楽器を生かした切れの良さは、アントニーニの特徴だと思う。モダン楽器でありながらも強弱の対比は、アントニーニ以上の様な雰囲気。T ファイにも共通すると思うが、作品に対して、十分に構想は練りながらの準備はしていると思うが、思い切った即興的な解釈を重視していると思う。この即興的な解釈は、アントニーニとは少し異なると感じる。
強弱の対比は第1楽章だけではない。普段はない第2楽章のMeunetの主部とTrioの音量の対比。Trioの前半で、繰り返しを採用。繰り返しの後半はさらに音量を落とす。多くの指揮者はこの手法を採用しているが、特に、この演奏では目立つ。Tiroは弦楽器のみで演奏。しかし各パートはSoloではない。もし作曲年代が下り、音量の対比を重視した場合、Trioの部分はsoloとして演奏したかったかもしれない。しかしエステルハージ時代の前の作曲ということもあり、Trioはsoloを採用せず。この後に収録されているNo.15 第3楽章 Menuet のTrioは 各パートがsoloとなっているのとは対照的。
まだこの後No.15がこのCDでは残っている。No.32で一段落しモルティン時代の作曲のピークをこの曲で締めくくっている雰囲気。この後のNo.15は既に、多少だが作曲年代がエステルハージ時代だと思う。前の2曲は同じ奏者数でも打楽器群が入っていない。No.32にて、この時代のピークとして収録し、一つの区切りをつけていると感じた。 |
2023年9月25日 33番 ジュヴァンニ・アントニーニ Basel室内管弦楽団を聴取。No.54から引き続く。No.33は 最近、J クランプ ハイデルベルク交響楽団を聴取した。下記にレビューあり
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1478.html
クランプの演奏で、No.32の魅力を知った。アントニーニの演奏も基本的には、クランプと同様に感じる。しかし弦の切れと強弱の差については、アントニーニがさらに増している雰囲気。特に第3楽章 Menuetto とTrioの対比が印象的。 Menuetto の冒頭は、静かな緩徐楽章から一転して、打楽器群が入る音量の大きいtuitti。それに対してTrioの部分は弦楽器のみで 弱奏になる。この音量の対比が印象的。
No.53、No.54に引き続いて3曲目の収録。奏者は多少入れ替わるが、録音会場などは同じ。弦楽器の奏者の数は、No.53、No.54と同じ。音量はNo.53、No.54と大差がない。この曲は初期の交響曲の一つ。打楽器群が入るとは言え、奏者の数を減らした方が、曲の雰囲気に合うと感じる。 クランプの場合は、初期の交響曲のセットなので、音量はtuittiでもやや小さめなのとは差がある印象。
ジャケットの写真の Peter Marlow 氏。残念ながら2016年の病没されていた。表紙の写真についてはNo.53にも記載をしたが王冠を被った少年。アントニーニの解説の中で、きまぐれ、機敏、短いなどのCAPRICCIOのたとえに通じていると思う。そのほかの写真も帝国などをキーワードとしている雰囲気。同氏の写真のデータが余り見当たらないので、引用元がよく分からない。しかし一つ前のNo.31のhr.の牛の角、狩などのキーワードなどと同様に、CDのタイトルを象徴している企画は納得がいく。最新版を入手していく楽しみは継続。ファイからスピルナーを経て、クランプ指揮によるハイデルベルクのハイドンの交響曲は、既に、録音を終了したようだ。となると、今後の新譜の私のメインはアントニーニが中心となりそうだ。
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