音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.15 hob-No.32

2024年9月17日 更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
15 32 1761−62頃 C 4 -  -  - - (1) D 曲順に応じた入れ替え
       1 C Alleglo molto
       2 C Menuet
       3 F Adagio ma non troppo
4 C Finale Presto

2010年12月5日:
C
調でtrp.timp.もセットで入ることもあり、祝典的な雰囲気な交響曲。全般的には大味な印象を受ける。ハイドンだけには限らないが、曲の調によるイメージや影響は大きい。それに伴い楽器編成もさらに曲全体に影響が加わる。第3楽章にAdagioのゆったりとしたテンポを持ってきているが、第1と第34楽章のテンポが速いので、うまく組み合わさっている。
 ドラティ盤は、両端の第14楽章は編成が大きい分、スケールの大きい。Adagiocmb.が良く聴こえることで、逆に花を添えている。通して聴くとこちらの方に軍配が上がると思った。
20191229日追記 タグとして2010125日とする)。

201136日スコアを見ながら再度、3者の演奏を聴取。初期の頃のC調の曲は、trp.とtimp.がセットで入っているケースが多い。最初の頃のHob-No-No.37(通しNo.2)は3楽章であったが、今回は4楽章の構成。曲順に応じてMenuetは入れ替わっているのは聴き所、ポイントに記載した通り。
 第1楽章では、trp.がリズムの補強に近い扱いではあるが単独で旋律を持っている。これはHob-No-37には、見られなかった手法だと思った。Andanteのテンポは、ドラティ盤が一番遅いが、trp.とtimp.は元より管楽器も休んでいる編成。すなわち弦のみで演奏される。va.とvc.が一緒ではあるが、vn.と少し違った旋律を一部受け持つ箇所もある。他の楽章はフル編成なので、楽器の縮小に伴い音色の対比が美しい。音色の対比と言う点では、第2楽章のMenuetにも当てはまる。Menuetではフル編成の楽器であるが、trioは弦のみ。
 もし、Hob-Noの通りに聴いてみたら、続きで次の33番もC調で似た様な雰囲気。2曲を通して聴いてみると、さらに辛いかもしれない。全体を聴き通してみては、評価はDのままで良いと思った。
 フィッシャー盤では、例によって、弦のみが受け持つtrioでは、各弦のsoloとなっている。弦の編成が少ない分、trp.とtimpがその分目立つ。cmb.の使用はなし。特に、第2楽章のMenuetは、c調のtrioが全てsoloになっているので、音色の対比が効果的。全4楽章を通して評価の点では余り高くはないと思う。
 しかし第3楽章Adagiovn.は弱音器を使用しないものの、各弦がしっとりと聴かせてくれる。後年の弱音器の音色に関しては、好みが分かれるところではある。比較的小さいホール(エステルハージ宮殿よりもさらに小さい規模)の面積と編成を考慮すると、わざわざ、弱音器を使用しなくても、かなりの音色の対比があると思う。特に、フィッシャー盤は、編成が少ない分、この対比が目だって良いと思った。
 作曲年代はエステルハージ候に就任する前と思うので、ディビス盤ではまだ4枚目のCD。この後の5枚目からが、エステルハージ副楽長就任シリーズになっている。第2楽章のtrioでは、cmb.がストップ効果を使用しているかもしれない。

2010128日 ディビス盤を聴取。C調でtrp.timpが入っているのは、通しNo.2(HobNo.-37)とも共通。ただしこちらは楽章数は4と増えている。
 第3楽章でcmb.の音量は、フィッシャー盤とドラティ盤との中間。管楽器が全て休むので、低弦を含む各弦のパートの細かい動きとcmb.の対比が美しい。ただしcmb.はユニゾンに徹している。しかしながら、全体を通して聴いてみても印象は平凡に終始する。.

2010128日 ディビス盤を聴取。C調でtrp.timpが入っているのは、通しNo.2(HobNo.-37)とも共通。ただし、こちらは、楽章数は4と増えている。
 第3楽章でcmb.の音量は、フィッシャー盤とドラティ盤との中間。管楽器が全て休むので、低弦を含む各弦のパートの細かい動きとcmb.の対比が美しい。ただしcmb.はユニゾンに徹している。しかしながら、全体を通して聴いてみても印象は平凡に終始する。.

201136日スコアを見ながら再度、3者の演奏を聴取。初期の頃のC調の曲は、trp.とtimp.がセットで入っているケースが多い。最初の頃のHob-No-.37(通しNo.2)は3楽章であったが、今回は4楽章の構成。曲順に応じて、Menuetは入れ替わっているのは、聴き所、ポイントに記載した通り。
 第1楽章ではtrp.がリズムの補強に近い扱いではあるが、単独で旋律を持っている。これは、Hob-No-37には、見られなかった手法だと思った。Andanteのテンポは、ドラティ盤が一番遅いがtrp.とtimp.は元より、管楽器も休んでいる編成。すなわち弦のみで演奏される。va.とvc.が一緒ではあるが、vn.と少し違った旋律を一部受け持つ箇所もある。他の楽章はフル編成なので、楽器の縮小に伴い音色の対比が美しい。音色の対比と言う点では、第2楽章のMenuetにも当てはまる。Menuetでは、フル編成の楽器であるが、trioは弦のみ。

2013211日 追記。ホグウッド盤を聴取。作曲の通し順番から聴き始めると、timp.trp.が初めて登場。trp.は中央よりやや右側に位置するか?第1と第2楽章までは、楽器数が多かったが、第3楽章は、一転、弦楽器のみ。スコアでは、各パートに強弱の細かい記述が書かれている。後半ではtenutoの記載もあり。元々、評価を下げていることもあり、全体的にホグウッド盤でも印象が余りなくコメントも少ない。しかしながら第3楽章の雰囲気は、それ以外の3楽章と対比的なのは、記述に価すると思った。

 2015222日 追記。ゴバーマンを聴取。No.37と似た雰囲気でtrp.timp,が入る。No.48の交響曲を先取りした雰囲気。Alleglo moltoの第1楽章は、No.37と違って、2つのvn.パートが同じ音程あるいは、時には分かれて自由自在に動き回る雰囲気が特徴。ゴバーマン盤では、この特徴をよく活かしている。第3楽章のT34の冒頭で、第2vn.から第1vn.に受け継がれていく部分などは、配置を旨く活かしている。T65のフェルマータでは、余り目立たないが、cmb.の装飾が入る。概して遅めのテンポで、前半、後半の繰り返しはないが違和感はなし。曲の評価はDとしているが。ゴバーマンを聴くと、ランクを上げたくなる。

 

2019223日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 32を聴取。ハイドンの交響曲は最初の出だしの動機で決まると思う。No.25で長い序奏を経た後、主題の切れ(vn.16分音符の短い動機)ob.に消されて不明瞭なことを記載した。この曲は序奏はないが、冒頭から旋律が一斉に登場する。今後の展開していくのは、主に8分音符を中心とした細かい箇所が多い。このため冒頭の2つのvn.の8分音符の切れがポイントになると思っている。No.25では、こういった箇所がob.に埋もれてしまって聴こえ難いと予測していた。しかしこの曲では、vn.の4分音符の動機が強調されているので分かりやすい。trp.が時折、補強的に入るが余り目立たないものの違和感はなし。


 弦のみで演奏する緩叙楽章の第3楽章。提示部の繰り返しを採用。繰り返しの後半は、S ラトルのような装飾はないが、後半は冒頭から音量を少し落とすなど微妙な違いがある。初期の交響曲で緩叙楽章は弦のみが大半だが、今まで聴いて来た中で弦の各パートが、少しずつ対位法的に独自の動きが少しずつ多くなってくる。メルツェンドルファーでも各パートの動きは良く分かる。録音も良好の方。
 32番 ヘルムート ミュラーーブリュール ケルン室内管弦楽団

2019年8月2日 32番 ヘルムート ミュラー=ブリュール ケルン室内管弦楽団 を聴取。NAXOSシリーズの分売で過去は、全てではないがレビューしてきた。このたび、全集としてまとめて購入。このシリーズは、交響曲の全曲になっているが、演奏者が異なる。分売でヘルムート ミュラー=ブリュール も数枚、聴取していた。今回残っている部分から聴取する。全集は34枚のCDになっているが、このCDでは13枚目になっている。No.32.33.34の3曲を収録。作曲年代に大差がないため、今回は収録順に聴取する。
 モダン楽器で編成は、やや多い方。No.32は、C調で打楽器群が入る。No.37にも類似した雰囲気ではあるが、緩叙楽章での音色とリズムの対比がこちらの方が、聴き所があると思う。打楽器群は、あくまでリズムの補強の役割。元々この曲自体、余りランクを高く評価をしていないこともあり全体的に印象が少ない。
Menuet が第2楽章に入っている。通常は第3楽章が多い中、比較的珍しい。第3楽章のMenuet の場合、緩叙楽章で柔らかく終わる後に続き、インパクトと音色の対比が目立つ印象が多い。 一方この曲ではテンポが速く、にぎやかな第1楽章からMenuet になる。同じ調性もあり第1楽章の雰囲気を引き続くことが多い。ブリュールの演奏では、Menuet の冒頭から、柔らかく演奏。Trioも同様。第1楽章との対比が効果的。この後に続く第3楽章はF調となり、Adagio  ma non tropo とテンポも変わる。弦楽器のみでこの曲の中では、こじんまりした中でも、聞かせどころが多い。第1、4楽章の、やや大味な曲の中では旨く対比させていると思った。



J クランプ ハイデルブルク交響楽団 Johanees klumpp  Heidelberger sinfoniker 32番2022年7月1日 Johanees klumpp  Heidelberger sinfoniker 32番 を聴取。 CDのレビューでも「 T ファイの再来か?」の記述があった。たしかに冒頭から爆速の表現はぴったりの速度で演奏される。もしT ファイ が元気であったら、このような爆速のスピードで演奏したと思う。その継承としてこの指揮者は、考えていたのではないか。この頃の作曲年代は1761年以前のモルティン時代と推定されている。同じ調性のNo.37などはこの類似作品と思う。同じ奏者ではNo.37はスピルナーの指揮で発売されている。しかしこれほどの速い速度ではなかった。
 調性こそ違うがNo.1のT ファイの録音を思い出す。交響曲の最初のひとつとされるNo.1の冒頭の爆速の印象が再来したかと思う印象。古楽器を生かした切れの良さは、アントニーニの特徴だと思う。モダン楽器でありながらも強弱の対比は、アントニーニ以上の様な雰囲気。T ファイにも共通すると思うが、作品に対して、十分に構想は練りながらの準備はしていると思うが、思い切った即興的な解釈を重視していると思う。この即興的な解釈は、アントニーニとは少し異なると感じる。
 強弱の対比は第1楽章だけではない。普段はない第2楽章のMeunetの主部とTrioの音量の対比。Trioの前半で、繰り返しを採用。繰り返しの後半はさらに音量を落とす。多くの指揮者はこの手法を採用しているが、特に、この演奏では目立つ。Tiroは弦楽器のみで演奏。しかし各パートはSoloではない。もし作曲年代が下り、音量の対比を重視した場合、Trioの部分はsoloとして演奏したかったかもしれない。しかしエステルハージ時代の前の作曲ということもあり、Trioはsoloを採用せず。この後に収録されているNo.15 第3楽章 Menuet のTrioは 各パートがsoloとなっているのとは対照的。
 まだこの後No.15がこのCDでは残っている。No.32で一段落しモルティン時代の作曲のピークをこの曲で締めくくっている雰囲気。この後のNo.15は既に、多少だが作曲年代がエステルハージ時代だと思う。前の2曲は同じ奏者数でも打楽器群が入っていない。No.32にて、この時代のピークとして収録し、一つの区切りをつけていると感じた。
 2024年9月6日 ドラティ盤 No.32を聴取。ホーボーケン番号順に聴取していくと、No.31は C-DUR。この後の No.34も同じ調性。連続して同じ調性が3曲も続くのは、やや苦しい所。No.32は No.33とともに、作曲年代が確定していない。同じ頃に作曲されたかもしれないが、同じ調性のNo.20、37と似たような雰囲気もある。No.32は、通常の Menuetto が第2楽章になっていて第3楽章と入れ替わっている。このため、弦楽器のみとなる第3楽章 Adagio ma non troppo がなぜか、レビューでも印象に残ることを過去から記載して来た。 楽章の調性が異なる。他の3つの楽章は打楽器群が入るが、この楽章は弦楽器のみ。中期頃からの交響曲と異なり、緩徐楽章でvn.は弱音器を使用していない。
 クランプは、既にこの2曲は録音済でレビューすみ。クランプはドラティと同じようにモダン楽器。3楽章の音量の違いに特徴があると記載した。ホグウッドのレビューで、作曲順番に通して聴くと、初めて打楽器がはいる曲と記載した。
 
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-2083.html

ホグウッドは、打楽器が追加で入る場合でも、追加でない解釈から打楽器のない演奏もある。しかしこの曲で打楽器を使用していることから元々、最初から入っている解釈だと思う。(No.37はホグウッドは打楽器が入っていない) 作曲年代の決め手の一つに、井上著でも、打楽器群が入っているかどうかで、モルツィン時代ではない説の記述があった。私には、モルツィン時代の最後の方の曲の一つに聞こえる。
 クランプの演奏では各楽章の音色の対比などが聴き所と記載をした。それに対してドラティ盤では、各楽章の音量の対比は少ない。交響曲全集を最初に録音したドラティとしては、スコアに対しての極端な解釈は手を加えず。ある意味「楷書的」な演奏スタイルを通している。この曲もその一つと感じた。

 2024年9月6日 ドラティ盤 No.32を聴取。ホーボーケン番号順に聴取していくと、No.31は C-DUR。この後の No.34も同じ調性。連続して同じ調性が3曲も続くのは、やや苦しい所。No.32は No.33とともに、作曲年代が確定していない。同じ頃に作曲されたかもしれないが、同じ調性のNo.20、37と似たような雰囲気もある。No.32は、通常の Menuetto が第2楽章になっていて第3楽章と入れ替わっている。このため、弦楽器のみとなる第3楽章 Adagio ma non troppo がなぜか、レビューでも印象に残ることを過去から記載して来た。 楽章の調性が異なる。他の3つの楽章は打楽器群が入るが、この楽章は弦楽器のみ。中期頃からの交響曲と異なり、緩徐楽章でvn.は弱音器を使用していない。
 クランプは、既にこの2曲は録音済でレビューすみ。クランプはドラティと同じようにモダン楽器。3楽章の音量の違いに特徴があると記載した。ホグウッドのレビューで、作曲順番に通して聴くと、初めて打楽器がはいる曲と記載した。
 
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-2083.html

ホグウッドは、打楽器が追加で入る場合でも、追加でない解釈から打楽器のない演奏もある。しかしこの曲で打楽器を使用していることから元々、最初から入っている解釈だと思う。(No.37はホグウッドは打楽器が入っていない) 作曲年代の決め手の一つに、井上著でも、打楽器群が入っているかどうかで、モルツィン時代ではない説の記述があった。私には、モルツィン時代の最後の方の曲の一つに聞こえる。
 クランプの演奏では各楽章の音色の対比などが聴き所と記載をした。それに対してドラティ盤では、各楽章の音量の対比は少ない。交響曲全集を最初に録音したドラティとしては、スコアに対しての極端な解釈は手を加えず。ある意味「楷書的」な演奏スタイルを通している。この曲もその一つと感じた。