通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽
章
数 |
fl |
fg |
trp |
cl |
timp |
cmb |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
14 |
5 |
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1761−62頃 |
A |
4 |
- |
1 |
- |
- |
- |
(1) |
B |
No.6-8の予兆、Hrのsolo |
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1 |
A |
Adagio ma non troppo |
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2 |
A |
Alleglo |
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3 |
A |
Menuet |
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4 |
A |
Presto |
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2017年12月23日 G Herbig No.5を聴取。第1楽章は、2本のhr.のsoliの箇所(大半は、同じ旋律を受け持っていない)が聴き所のひとつであるが、それほど目立たず。hr.は右側の奥の方へ位置。第3楽章 Menuet のTrioの部分でob.とhr.が活躍するが、ここでもhr.は目立た
(タグとして2017年12月31日とする) |
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2017年5月27日 T ファイ No.5 を聴取。初期の交響曲から聞き始めると調がAに変わり4楽章の構成となる。No.14までは、hr.のsolo(2名なのでsoli)の活躍が入る。この曲の聴き所として、hr.の活躍を記載した。ファイの演奏では、思ったよりhr.は全体的に控えめ。また、自分なりのこの曲のひとつとしてコンチェルトグロッソの雰囲気でNo.6〜8の予兆と記載した。最初に聞き始めたフィッシャー盤で、第2楽章のT32からvn.をsoloで引いている。この部分を例にあげたが、ファイ盤では、soloではなく通常のvn.パート。このため、コンチェルトグロッソ風の雰囲気は余りない。


No.1,4に、何度もシンコペーションについて記載をしてきた。第2楽章のT9からも登場。この動機は、他の箇所でも登場し、冒頭の跳躍するようなテンポあるリズムの動機と対照的。
4つの楽章が全てA調のため、楽章ごとの調性の変化は難しい。(このあたりは、hob-No.-22のも共通している)しかしテンポの変化は全て違うので飽きさせない。
特にfinaleはくりかえしを含めてもわずか65小節でファイの演奏時間でも1:27.冒頭主題のvn.の対向配置を生かして、第2vn.の対旋律が生きる。Finaleは短いが、中期から後期に匹敵する、無駄を極端に省いたFinaleにより、短い曲でも充実感が一杯。
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2018年2月20日 パトリック・ガロワ(Patrick Gallois)指揮のシンフォニア・フィンランディア No.5を聴取。今回のCDはNo.1から5まで収録されているが、作曲順番で聞いているため3番目にあたる。4楽章形式で初めて。テンポこそ変わるが全てがA調であるため、通して聴くと、少し辛い思いがある。第1楽章はAdagio ma non tropo のゆっくりしたテンポ。6小節目にhr.のsoliがある。この部分でhr.の実音が低い。恐らく1オクターブ低いのではないかと思った。今までの奏者はここでは、hr.の音がかなり高く目立っていた。ガロワの演奏では、実音が低いので、hr.が目立たないことはないが、落ちついた印象。キーワードの「レガート」にも通ずる雰囲気。この楽章は、全て、実音は低いままで通している。
一方、他の楽章でも、低い実音が続いていると思ったが異なるようだ。第3楽章 Menutet 中間部trioの部分。ob.とhr.が活躍する。冒頭の出だしの音程は、第1楽章のT6と同じ。ここでは明らかに高い音。弦の伴奏を伴ってhr.が明るく目立つ。
59小節しかない短いfinale。対向配置で第2vn.の対旋律が効果的。
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2023年1月13日 5番 R グッドマン ハノーヴァバンド Roy Goodman The Hanover band を聴取。No.4から引き続く。1枚のcdで5曲が収録されているので最後の曲となる。作曲順番として必ずしも同じとは限らないが。No.6〜8シリーズの副楽長 就任前よりは確実なので、いずれにしても多少の作曲年代の差はある。しかし大きな変化がないと思う。
冒頭から緩徐楽章で4つの楽章は全て同じ調性。疾風怒涛期の交響曲など、同じ調性が続く場合、第1楽章は第2楽章の長い序奏の解釈もあると自分なりに提案した。自筆楽譜は恐らく、全ての箇所の繰り返しの指示があった可能性。グッドマンもその指示に基づき、全ての箇所の繰り返しを行っている。このため、第1楽章の演奏時間も 7:12と長く、全体の半分近くを占めている。このため、第2楽章の序奏の様な雰囲気は感じない。
5曲を通してFinaleは一般に、小節数も繰り返しのない曲もある。この曲は繰り返しがあるが、それでも1:37しかない。すぐに終わってしまう。2つのvn.の掛け合いについて、ふと思いついた。疾風怒涛期の時期などは、vn.はユニゾンの箇所が多いためか、ユニゾンで同じ音程で弾く箇所も多いと思う。しかしこの頃の曲は、2つのvn.のユニゾンの箇所が少なく、同じ音程で弾く箇所も少ない。特にFinaleは、対旋律を伴うためか、再現部の一部で目立たない程度にあるぐらい。 No.102の 第1楽章で2つのvn.の旋律についてレビューをしたことがある。対向配置など2つのvn.はさらに目立つ。初期のころからvn.パートは2つに分ける聴き所をハイドンは既に抑えていたのかもしれない。
No.102のレビュー(O クレンペラー)
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1260.html
Hr.が結構、soliを付け持つ箇所も多い。p ガロワの ように 、hr.の音域を下げて、目立たない演奏もある。(下記のレビュー)
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-884.html
グッドマンの方は、通常の音域のhr.を使用し、そこそこ目立たせている雰囲気。なお、2名のhr.奏者の氏名の記載があった。No.5の第1楽章でhr.がかなり活躍することもあり記載があったと思う。一つ前のCDで No.102の第2楽章でもvc.のsoloの箇所があるクレジットの記載がない。vc.はこの時は、あくまで序奏の役割。録音でもそれほど目立っていなかった。(殆どsoloとしては聞こえにくいぐらい)このためあえて、クレジットの記載は生薬したのかもしれない。
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2023年9月2日 鈴木秀美 OLC No.5を聴取。第20回目 の定期公演で2008年の録音。2曲目はモーツァルトのNo.41が収録。アンコールでNo.47の第2楽章が最後となる。途中に モーツァルトのcl.協奏曲も演奏された。独奏者が他のオケと共演し、同曲のCDが発売されたばかりなので、契約上すぐにリリースできないことがあった。トータルでこのCDの演奏時間がアンコールを含めると63;53。仮にモーツァルトの協奏曲を収録した場合、80分は優に超えることが予測される。このため2枚組になってしまう。たまたま1曲カットされたので、1枚の収録で済んだようだ。
ライナーノートには今回、指揮者のみの開設。No.5の第1楽章はオペラの序曲の様な旋律の記載がある。No.15に雰囲気が似ている。同じ奏者でNo.15を1曲目に持って来たのと同じ規格がここでも言及。作曲年代は 1761年以前のモルティン時代と推定している。エステルハージに就任前なので、soloの奏者の技量が、余り期待できなかったか。就任前の弦楽器のsoloの箇所は殆どない。しかしもしこの楽団でもsoloの技量を持つ奏者がいたなら、soloの指定で指示をすると感じた。このオケは奏者の数は小編成だが、各パートの動きがよくわかる。しかもvn.は対向配置。T39〜T45の部分。2名のvn.奏者が分かれて、低弦が伴奏に回り音量を落とす部分。
第1楽章と第3 楽章 Menuetto Trio の部分でhr.2名のうち、1名はとても高い音がある。ライナーノートにも記載がある。調によって菅を差し替える当時の楽器は、その調に相応しく明るい音色を持っており、全部の菅が合わさった現代の楽器ではその音色が得られないし、通常考えられる現代のhr.の音域からは逸脱しているこのパートが容易になるわけでもない。高い音のhr.についても奏者の苦労は、録音からも分かる。ライナーノートも聴き所を保管するように書いてあるのもありがたい。
P8に俯瞰した位置からの写真がある。No.78のときも記載したが、菅楽器と弦楽器、打楽器群の配置もよくわかる。No.5は打楽器群がないので、モーツァルトの交響曲の演奏の写真であろう。No.76のときの打楽器群の位置は同じ。trp.の奏者は2名。その内、1名は左手を上着の袖の中に入れている、当時の演奏スタイルと踏襲しているのは面白い。cl.がないので fg.が中央になっている。No.76のときも気になっていたが。初期の交響曲の時は、弦の奏者を減らしていたのか? 低弦の音量に厚みがある。奏者の数は減らしていないと思う。
低弦に厚みがある録音。初期の交響曲とは言え、各楽章ともに至るところに、スコアを見ると、中期から後期にかけての萌芽のような様式があると思う。FINALEは全て繰り返しても、この演奏でも1:36。スコアでも59小節しかない。No.1のFinaleなどと比較して小節数は短い。しかし短いながらも、無駄な箇所は一切なくコンパクトに書いてある。ライナーノートで楽譜を受け取ったメンバーが「最後のページが抜けている」と勘違いした記述があった。初見に近い状態だったら、確かに抜けていると思うのには笑ってしまう。ライヴの雰囲気が随所に聞き取れる。ブログを聴き始めた当初は、No.5の面白みが余り分からなかった。しかしこの演奏を聴いてみて、初期の交響曲でもちいさな宝石箱の例えのように、随所に面白みが分かる。
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2024年4月15日 ドラティ盤 No.4を聴取。4つの楽章があるが、全体的に短い小節数のため、コンパクトにまとめてある曲の一つ。ドラティの演奏でも15分程度。No.15に類似したオペラの序曲の様な冒頭の雰囲気は共通。管楽器のsoloの箇所が、そこそこあるのでモルツイン時代の曲には思えないような雰囲気。
一般にドラティの演奏は楷書的なたとえが適するかもしれない。この第3楽章のMenuetは典型的な一つ。ゆったりとしたテンポで軽く流れるような P ガロワなどとは対照的。短いFinaleは、繰り返しを採用しても1:49。展開部と再現部の繰り返しは採用。繰り返しの部分 T37あたりで、中央やや右寄りに、楽器以外の音が少し入っている。演奏している最中に、楽器同士があったか、あるいは何かを落としたような音。ちょうど、アントニーニのライヴ映像のNo.8 Manuet Trioの部分であったような音に類似。しかし違和感は余り感じない。

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2024年10月30日 シェッパード Andrian shepherd Cantilena 005番を聴取。このCDでは5曲目で最後になる。過去の鈴木秀美 OLC のレビューではモルツィン時代ではなく、副楽長時代の可能性に示唆した。曲の構成やsoloの箇所などNo.15の先駆となるような雰囲気も漂う。
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-3099.html
くり返しが殆どないのはこの曲にも共通。単純にCDの楽章間の時間だけでテンポを比較するのは危険ではあるが。上記レビューの鈴木秀美ではFinaleは1:36。 展開部と再現部のくり返しがある。一方シェッパードは後半繰り返しがないのにも関わらず、1:54。どの曲もテンポ概して遅いがこの楽章も当てはまる。
P ガロワ がNo.1〜5を1枚のCDで収録している。こちらはモダン楽器。ガロワ場合は、テンポ遅めではないが柔らかい雰囲気が特徴の一つだった。シェッパード も少し雰囲気似ている。vn.は通常配置ためガロワ異なり、細かい弦楽器の音色分かり難いのは残念。
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