音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.12 hob-No25

2023年7月29日 更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
12 25 1761−62頃 C 4 -  -  - - (1) A 第1楽章で序奏付きの最初の曲
       1 C Adagio Alleglo molto
       2 C Menuet
       3 C Presto
4

2010122日:通し番号を聞いて来た中で、初めて第1楽章に序奏が付いている曲。序奏も長く短調に転じたり、主部との対比がある。さらに中期の交響曲のようにも聴き取れる。通称名もないが、初めて聴く人に中期に近い曲だと紹介しても違和感は全くない。井上著では、小型の交響曲だが極めて充実しているので、1764年以降の作曲ではないかと記述。私も同じ考えである。その後、スコアを見ながら、もう一度聴き直す。序奏は23小節もありかなり長い。主部とも関係はなさそうで、曲想も変化は多少あるが、転調も少なく一貫性はあまりないかもしれない。しかしAdagioからAlleglo mltoへのテンポの変化は絶大であると思う。
 仮に、もし序奏がなかったらどうなるか? この例として、この後の作曲になるHob-No-53などは、序奏の有無による価値が大きいと思う。ただしNo.53はテンポの変化が余りない。むしろ後期の交響曲のNo.75を取り上げたい。序奏はGravePrestoの主部に突入する。作曲年代は、1781年と約20年も先となってしまうが、テンポの変化を含めて序奏の威力が分かると思う。後年の序奏の効果を作曲者が実験的に取り入れているのではないか。
 ただしこれは第1楽章のみの話で、全部で3楽章を聴き通すと、他の2-3楽章は第1楽章と比較するとやや劣る。(緩徐楽章がないのが影響) それでも全体を通して聴くと、中期の作品に聴こえる。井上著の本でも、「極めて充実しているので、1764年以降の作品ではないかとの? もある」と記載があった。
 後で気付いたのだが、この第2主題は、Hob-No-1の第1楽章の第2主題と共通する点があると思った。Hob-No-1の方は、未発達に近い第2主題の様相ではあるが。一方No.25の方は、第2主題自体も少し長く6小節)展開部でも少し登場する。このため第2主題であるのは明白である。
 第2楽章のMenuettrioではvn.のピチカートや管のsoloの扱い方などは、早くも中期以降の作品の芽生えあり。(中・後期になると、Menuettrioでは、管・弦のsoloが、もはや定番に近くなってくる。)3者の演奏の中でフィッシャー盤は、小編成で残響が多いこともあって、とても美しい音色である。
 Prestoの主題は簡潔であるが、短いながらも飽きさせない展開に終始する。Finale113小節。繰り返しがあっても3分程度の演奏時間。この後のHob-No-3でも記載をしたが、やはり飽きさせない印象は変わらず。今までの評価の中ではAランクとしたい。
 なおFinalePrestoの主題は、飽きさせないと記述をしたがその後、全曲を聴き通してみた中で、この後に続くHobNo.-5Finale主題と共通する部分が多い。フーガの形式までには至らないが対位法が、かなり駆使されているのもAランクの要因であると思う。
 ドラティ盤は序奏のテンポがやや速めなので、主部との対比がやや目立たない。また第1楽章はAdagioの表記のみ。
20191229日追記 タグとして2010122日とする)

2010126日 ディビス盤を聴取。
1楽章と第3楽章は、ディビス盤では、展開部と再現部の繰り返しがあるので、多少、演奏時間が長くなっている。序奏が初めての登場なのは、この聴取記録でも記載した通り。ディビス盤では作曲順に収録されているので、「初めて」の印象が強くなる。
 曲自体の構成や印象は従来の通り、Aランク。この盤でも当てはまる。soloの扱いは、フィッシャー盤とかなり近いがライブ録音のためか、soloの演奏であると思うが目立ち難い。

2013210日 追記。ホグウッド盤を聴取。元々、この曲はランクが自分なりに高く評価していること。作曲年代の位置付けでは、中期に近い作風であること。最初にフィッシャー盤を聴いた演奏が強すぎている影響がある。ホグウッド盤では、小編成であり第1楽章での序奏と主部の対比が少ない。やはりフィッシャー盤には敵わない。
 第2楽章Menuet Trioでのob.が主旋律を受け持つ中、弦がピチカートで伴奏するスタイルなどは、聴き通してみて初めて登場。このあたりも、ずっと後の作品に感じさせる要因。
 Finaleは第1と第2vn.が、同じ旋律を受け持つ箇所が多い。速いテンポで、この旋律を引くことは当時ではかなりの演奏技術が要求されたであろう。もう少し後になると、(hob-No.-20番台以降)では、この様な手法がしばしば見られる。その先駆をなしているとも思った。ホグウッド盤では小編成の分、演奏技術の高さの点でも意識をさせている。 


2017
621日 T ファイ盤を聴取。No.432536の順番に収録されているが、No.25から聞きはじめる。下記のサイトにもレビューがある。

http://micha072.blog.fc2.com/blog-entry-395.html

ファイ盤をはじめて聴いたのが、No.40。その後、初期から後期のものを暫時、入手している段階。最近では最初期のNo.1からがある。曲自体に管楽器のsoloの箇所が少ない分、弦楽器が中心となる。vn.パートが左右に分かれているので、特に第2vn.の動きが明白。
 第1楽章の冒頭から、第1主題がvn.はユニゾンではなく、音程が3度を中心に微妙にずれているのがよく分かる。No.1と同様に第1楽章もシンコペーションのリズムは少しがあるが余り目立たない。
 2つのvn.パートの音程の差は、第3楽章の冒頭のFinaleも同様。冒頭から3度離れて主題が登場するが、その後T4からvn.は同じ音程のユニゾンで f の旋律との対比が目立つ。このFinaleは前半と後半の繰り返しは忠実に守るが、テンポは中庸なファイ盤でも113小節。演奏時間も345しかない。繰り返しがありながらも、シンコペーションのリズムを伴い旋律も取り入れた効果があり、力強い締めくくりがある。しかしテンポの変化、微妙な旋律の装飾はファイでも、他の曲ほど目立たないと思った

2018629日 パトリック・ガロワ(Patrick Gallois指揮のシンフォニア・フィンランディア 25を聴取。このCDNo.25以外に、No.42No.65が収録されている。最初にNo.25を聴取。
 ごく初期の作品のひとつとされているが、井上著にも記載してあるように、かなり後に作曲されていると私は思う。第1楽章の23小節にも渡る序奏は、Adagioの指定。今まで聴いて来たCDは、このAdagioのテンポで、その後のAllegroの主部との対比が印象的と、過去に何度も記載してきた。しかしガロワの演奏は、Adagioのテンポではなく、とても速い。Allegroのテンポに近い様で、T24からの主部のテンポの対比が、殆どないのがとても残念。

 かなり後の作品と思うポイントのひとつには、第1楽章主部の第2主題にもある。調性こそ違うが最初の頃のひとつNo.1 第1楽章の第2主題と類似している。No.1でのこの主題は、経過的で短いもの。(T23からのわずか2小節のみ)、展開部でも、余り登場しない。一方、No.25の方はT57から)類似した主題ではあるが、展開部でも素材のひとつとして扱われる。この部分だけを比較しても、最初期の頃の交響曲とは思えないと感じる。ガロワの演奏は、第2vn.が右側に位置し、ファイ盤以上に、第2vn.との対比が明白に聴こえるのが良いと思った。
 Finaleは繰り返しを忠実に守るがPrestoのテンポを重視し、かなり速い。254で、一気に終わる。



2019220日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽 20番を聴取。作曲順番から聴き始めて序奏が始めて入る曲。比較的長い序奏から明るい伸びのある主部に突入する対比が一番の聴き所。ここではNo.27と同様にob.が前面に殆ど出てしまう。弦楽器の細かい音、特に第12vn.ob.に負けてしまう。

冒頭の主題の部分。T26で2つのvn.16分音符で演奏する箇所がある。この部分が2本のob.に負けてしまう。この動機はこの後の展開部でも活躍するので大切なものだと思う。しかし展開部T114からでもobの持続音に負けてしまい、旋律の対比が聞き取り難い。(この部分は音程の違う2つのvn.の旋律が、冒頭の主題から変形されて一番の聴き所なのだが)

 第2楽章のTrioではhr.ob.が前面に出る。その分、弦楽器群はピチカートで伴奏にすべて回る。この部分では普段は余り目立たないhr.も前に出ている。ob.も少し控えめ。弦楽器とのバランスも良好。Tuittiでなぜ、これほどob.を前面に出すのか再び疑問に思う。