通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽
章
数 |
fl |
fg |
trp |
cl |
timp |
cmb |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
13 |
11 |
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1760 |
Es |
3 |
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B |
cantabileは モーツアルトに類似 |
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1 |
Es |
Adagio cantabile |
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2 |
Es |
Presto |
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3 |
Es |
Menuet&trio |
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4 |
Es |
inale、presto |
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2022年6月15日 Johanees klumpp Heidelberger sinfoniker 11番 を聴取。No.11は、冒頭からの緩徐楽章のテンポと、管楽器ではob.しか登場しないこと。これにともない、柔らかい雰囲気が特徴となり、モーツァルト ディベルティメント K287 の第4楽章にも類似していることを、過去の自分のレビューにも記載をしてきた。このCDの1曲目 No.107は、速いテンポで快活に終始する。これに引き続き聴取をすると、冒頭の第2vn.のゆっくりと謡うような開始とは対照的。No.107と同様にvn.の対向配置を生かしている。
従来、第1楽章が終わった後、同じ調性が第1楽章に続き残りの3楽章も同様となる。第2~4楽章の構成も一般的なこともあいまって全曲を通すと、やや散漫な印象も書いた。第2~4楽章は、このため自分なりに余り特徴もないと思っていた。第1楽章が終わると、やや退屈気味に聴取をしていたこともあった。しかし第3楽章 Menuet のTrio とFinale の冒頭の主題に、共通した動機があると記載をした。(下記のブログ)
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1088.html
確かにTrio はシンコペーションによる共通した動機があると思う。しかしそれに加えて、第3楽章でも Menuet の 主部とTrio の主題も、3連符を中心とした共通動機のようにも思える。この交響曲だけとは限らないが、各楽章間に共通した動機が採用されていると感じる。 楽章間だけではなく、他の交響曲とも共通した箇所も多いと思う。
第2楽章の冒頭の主題など、No.25の第1楽章にも似ている雰囲気。 この演奏では、ゆったりしたテンポと後半の快活なテンポが対照的な印象が一番に感じた。
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2023年9月13日 11番 R グッドマン ハノーヴァバンド Roy Goodman The Hanover band を聴取。No.10から引き続く。教会ソナタ型式で緩徐楽章から始まる。全て同じ調性。通して聴くと、聴取記録を聴き始めた頃は、ややつらい面があると記載した。しかしその後、第3楽章の
Menuetto 主部とTrioの関係性。No.1から頻繁に登場するシンコペーションの動機などが随所に登場など。
第3楽章の Menuetto で回帰してくる部分は繰り返しを忠実に採用。演奏時間は4’35になる。Trioで登場した一部の動機が、再度、 Menuetto の主部にも登場する。前半と同じように、繰り返しがあるので、 Menuetto とtrioの関連性をさらに意識させる雰囲気。通して聴くと、やはり第1楽章の緩徐楽章の部分。No.10でも記載したが、第1,2vn.の掛け合いが分担しながらも、ユニゾンの箇所もある。音量の変化をNo.10と同様に上手く、作曲されている。やや遅いテンポとも相まって、グッドマンの特徴をよく表していると思った。No.10は弦楽器のみ。それに対してNo.11の第1楽章はhr.が入る。和声的な補強の役割を持つようなhr.も効果的。
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2024年7月31日 ドラティ盤 No.11を聴取
第1楽章が緩徐楽章でその後も4つの楽章が続けてあるのは、やや苦しい所もある。No.22なども同様な作風。以前はこのあたりについて、やや苦しい所も感じると記載をしてきた。しかしレビューを重ねていくにつれて、No.22にも記載をしたが、緩徐楽章を速いテンポの長い導入部を考えれば、それほど違和感がない。No.10にも記載をしたが、第1楽章の展開部と再現部の繰り返しがない。全ての繰り返しを採用するのも難しいところ。しかし第1楽章に関しては、序奏の様な意味もあると思うので、繰り返しがないのは、私としては受け入れる。
ハイドンはシンコペーションの動機をしばしば、No.1の頃の最初期から、ザロモンセットの後期の交響曲まで随所に使用している。また、同じ交響曲の中でも各楽章に散りばめるように使用している。 J クランプのレビューでもシンコペーションの動機について、随所にあることを記載した。
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1891.html
この曲を一騎に聴き通して聴取した場合。第1楽章を除けば、テンポが速く各小節数もそれほど長くないので、余り各楽章の間にあるシンコペーションの動機が分かり難いかもしれない。上記のレビューではFinaleの冒頭のみを引用した。再度、聴き直してみると、第4楽章の冒頭の動機は、第1主題ということもあり終始、一貫して登場する。ドラティは交響曲としての全集を目指して録音をしているためか、統一した解釈がやはりあるようだ。
端的に表現すると、良い意味で「楷書的」 やや悪い意味かもしれないが「教科書的」 2つの面があると思が、初めて全集を完結した先駆者でもある。その点からも私には、「教科書的」な表現でも、ある意味、良い特徴の一つだと思う。先駆者がないと、追随する他の指揮者、演奏家は、模範がいないための、自らが先駆者の役割を持つからだ。
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