音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.11 hob-No107A

2023年7月29日 更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
11 107A 1761−62頃 B 4 -  -  - - (1) C 終楽章のcodaがポイント
       1 B Alleglo
       2 ES Andante
       3 B Alleglo mlto

2010年12月1日:Hob-No.では107番になっていたと思う交響曲。Allegloでは展開部が比較的長く休止があったりで、この当時としては聴き応えがある方。Alleglo mltoの第3楽章は、タランティラ風の主題で終始する。短いが最後にcodaがつくが、最後を締めくくるのに小気味良いアクセントなっている。例によってドラティ盤では第3楽章のsoloの演奏はなし。
20191229日追記 タグとして2010121日とする)

2010125日 ディビス盤を聴取。曲自体は通しNo.10(HobNo.-19)と同様に、エステルハージ侯爵の赴任前のモルツィン伯爵の頃に作曲。ランクとしてはCのままで変わりなし。
 Allegloではディビスでは、hr.が、かなり大きく扱われた演奏。第3楽章も同様。ドラティ盤と異なり第3楽章では、soloが一部にある。

改めてフィッシャー盤をスコアを見ながら聴き直す。ドラティ、ディビス盤と比較して、どの曲もテンポは比較的速いのは共通している。その中で最終楽章のcodaについて着目してみた。楽章の冒頭でテンポの指定はAlleglo mlto で記載がしてあるのは、周知の通り。それ以外に速度の指定の記載があるかどうか、チェックをしてみたが特にない。しかし最後のcoda6小節)のところで、フィッシャー盤だけ、後半だけテンポを速めている。この部分では特にテンポの指定は書いてないし、他の2人の演奏も同じテンポで演奏をしていた。
 もともと、この第3楽章は無窮動に近い様な動きが特徴であり、vn.奏者が速いパッセージを弾きこなすのが見所ではないか?フィッシャー盤の演奏では元々のテンポが速いのに加えて、さらにテンポをアップして終わるのは、とても理に適っていると思った。


2013210日 追記。ホグウッド盤を聴取。古楽器のhr.のためか、かなりhr.のパートの音が目立つ。音域の制限もあると思うが、提示部では音域が高めであるのに対して、再現部は、低めの音域で終始。このあたりの違いは、ホグウッド盤でよく分かる。
3楽章の無窮動に近い動きは、モーツァルトNo.39finaleの様な雰囲気。聴き始めて登場する終楽章のcodaは、ホグウッドでは、通常通りのテンポ(20191229日追記 タグとして2010121日とする)。


2015220日 追記。ゴバーマンを聴取。Allegloの展開部や再現部で、第2vn.が掛け合いで演奏しているところは良く分かる。Finale Alleglo mlto は比較的遅めのテンポ。2つのvn.が、同じ旋律や音程で登場することもあれば、掛け合うこともあれば様々。弦楽器が前に出ているので、管楽器とのユニゾンは後退。しかしその分、弦楽器を中心に、Finaleを楽しむことができる。

 2019219日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 106番 A を聴取。作曲順番だと11番目になるが、この全集ではNo.104の最後に2枚 A とBがまとめて収録されている。補足的な解釈かもしれない。(ドラティ盤などと違い、後世に追加となった交響曲が最後の方に別途、収録されている)
 No.27ほどではないがob.が、かなり強調されている録音。ob.以外にfg.bass.とのユニゾンではあるが一部強調されている。Tuittiでは、それほど違和感はないが。
 初期の交響曲はNo.68を除くと、soloの箇所は余りない。中期から後期にかけてsoloの箇所が増えてるにつれて、旨く表現できるかどうか気になるところ。

 

20191015日 106 A  Kevin Mallon K マロン Toronto Chamber Ochestra を聴取。Naxosシリーズで、過去にbaraで一部は入手していたが、3枚からなる マロ盤は未入手。 22枚目で  No.62、 107 、108 が交響曲では1枚に収録されている。この盤に関しては下記の ハイドン音盤倉庫に、演奏者の経歴を含めて、かなり細かいレビューがある。

https://haydnrecarchive.blog.fc2.com/blog-entry-702.html

古楽器のようで、cmb.が常時入っている。奏者はやや少ないようだ。cmb.は、やや大きめな音で中央、奥側に位置。概してテンポは遅めだが、第2楽章は逆に速め。もともと、サラリとかかれている曲の一つ思われ、全体的な印象は少ない曲のひとつ。管楽器は必要に応じて、Tuittiを中心に入るが、あくまで補強的な役割。疾風怒濤曲の頃と違い各パートのsoloの箇所は殆どないことも影響しているが。冒頭で弦を中心とした第1主題。ここではあくまで2つのvn.パートが対等でvn.を中心にオーソドックスで登場。 再現部のT80でも、hr.vn.と一緒に登場するが、あくまでhr.は補強的に終始。
 ドラホシュやガロワでも、柔らかい表現を特徴に記載した。マロン盤もどちらかといえば、柔らかい表現を、あくまで基調としている解釈のようだ。繰り返しは忠実に採用。第3楽章 Finaleは、冒頭にも記載したように、テンポはゆっくり目。Finaleは、明るく、流れるように進める指揮者が多いが、マロンの場合は、流れは重視しながらも、テンポや強弱は適宜行う程度。珍しくFinaleでは短いがCodaがある。

その一つ前のT66の部分での半終始。同じような動機が冒頭と同じように続いている。しかし最後の部分も、Codaに続けるためか、少し音
2019年10月15日 106番 A  Kevin Mallon K マロン Toronto Chamber Ochestra を聴取。Naxosシリーズで、過去にbaraで一部は入手していたが、3枚からなる マロン盤は未入手。 22枚目で  No.62、 107 、108 が交響曲では1枚に収録されている。この盤に関しては下記の ハイドン音盤倉庫に、演奏者の経歴を含めて、かなり細かいレビューがある。

https://haydnrecarchive.blog.fc2.com/blog-entry-702.html

古楽器のようで、cmb.が常時入っている。奏者はやや少ないようだ。cmb.は、やや大きめな音で中央、奥側に位置。概してテンポは遅めだが、第2楽章は逆に速め。もともと、サラリとかかれている曲の一つ思われ、全体的な印象は少ない曲のひとつ。管楽器は、必要に応じて、Tuittiを中心に入るが、あくまで補強的な役割。疾風怒濤曲の頃と違い各パートのsoloの箇所は殆どないことも影響しているが。冒頭で弦を中心とした第1主題。ここではあくまで2つのvn.パートが対等でvn.を中心にオーソドックスで登場。 再現部のT80でも、hr.がvn.と一緒に登場するが、あくまでhr.は補強的に終始。
 ドラホシュやガロワでも、柔らかい表現を特徴に記載した。マロン盤もどちらかといえば、柔らかい表現を、あくまで基調としている解釈のようだ。繰り返しは忠実に採用。第3楽章 Finaleは、冒頭にも記載したように、テンポはゆっくり目。Finaleは、明るく、流れるように進める指揮者が多いが、マロンの場合は、流れは重視しながらも、テンポや強弱は適宜行う程度。珍しくFinaleでは短いがCodaがある。
その一つ前のT66の部分での半終始。同じような動機が冒頭と同じように続いている。しかし最後の部分も、Codaに続けるためか、少し音量を落としている。一段落して聴き所のCodaにつないでいる雰囲気。

ウェブ アニメータ
 2022年6月14日 Johanees klumpp  Heidelberger sinfoniker 107番 を聴取。2021年10月25日に第25集のレビューを記載すみ。現時点(2022年6月14日)で最新の第26集を入手。CD自体は、約3週間前に入手済。一応、聴取は1回が済んでいるがレビューは遅れてしまった。前回は国内仕様を購入したが、和訳がついている割には、付加価値が少ないと判断。第26集は価格の安い輸入盤を購入。
 下記のハイドン音盤倉庫にもすでにレビューが記載されている。これによると「ついに T ファイ を超えたか?」 のコメントあり。

https://haydnrecarchive.blog.fc2.com/blog-entry-1987.html

奏者数は、第25集と同じ 4:4:2:2:1 となっている。最初の107番から聴取。最後の4曲目にも触れようと思うが、初期の交響曲の中で、4曲を今回、収録。収録順番に関して、最後のNo.15が作曲順番を最後に持ってきている。No.15は自筆楽譜がないと思うが、No.107、No.11、No.32は、No.15よりも前の作品としての解説がある。最後のNo.15は、エルテルハーザの時代の作曲として、作曲順番を最後に配置。それ以外の曲はNo.15より前に、モルティン時代の作品として対比させ、最初の曲としてNo.107を配置。上記のブログのレビューにもあるが、全4曲をセットで考えた場合、No.107は、最初の収録として、序曲風に軽めに持って来たような雰囲気は多少ある。
 一つ前の25集にも共通するが、録音は同じようにブルー系で弦の奏者が1名ずついるような感じ。ホールの中央で残響の多い録音とは対照的で、近接音が多めで指揮者のそばで聞いている録音は変わらない。
 T ファイにも共通するが、vn.は対向配置。この曲でも対向配置を生かして2つのvn.のパートの掛け合いがよくわかる。例えば第1楽章の展開部の導入部。
 展開部の最初のT44の部分は、この楽章の冒頭と類似している。初期の作品には珍しく、提示部43小節に対して、展開部はほぼ同じ36小節もある。長い展開部の冒頭として印象的。例によって、展開部と再現部の後半の繰り返しを採用しているので、短い演奏時間でありながらも、繰り返しの装飾が後半であるのも加えて印象的。