通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽
章
数 |
fl |
fg |
trp |
cl |
timp |
cmb |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
11 |
107A |
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1761−62頃 |
B |
4 |
- |
1 |
- |
- |
- |
(1) |
C |
終楽章のcodaがポイント |
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1 |
B |
Alleglo |
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2 |
ES |
Andante |
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3 |
B |
Alleglo mlto |
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2010年12月5日 ディビス盤を聴取。曲自体は通しNo.10(Hob−No.-19)と同様に、エステルハージ侯爵の赴任前のモルツィン伯爵の頃に作曲。ランクとしてはCのままで変わりなし。
Allegloではディビスでは、hr.が、かなり大きく扱われた演奏。第3楽章も同様。ドラティ盤と異なり第3楽章では、soloが一部にある。
改めてフィッシャー盤をスコアを見ながら聴き直す。ドラティ、ディビス盤と比較して、どの曲もテンポは比較的速いのは共通している。その中で最終楽章のcodaについて着目してみた。楽章の冒頭でテンポの指定はAlleglo mlto で記載がしてあるのは、周知の通り。それ以外に速度の指定の記載があるかどうか、チェックをしてみたが特にない。しかし最後のcoda(6小節)のところで、フィッシャー盤だけ、後半だけテンポを速めている。この部分では特にテンポの指定は書いてないし、他の2人の演奏も同じテンポで演奏をしていた。
もともと、この第3楽章は無窮動に近い様な動きが特徴であり、vn.奏者が速いパッセージを弾きこなすのが見所ではないか?フィッシャー盤の演奏では元々のテンポが速いのに加えて、さらにテンポをアップして終わるのは、とても理に適っていると思った。
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2013年2月10日 追記。ホグウッド盤を聴取。古楽器のhr.のためか、かなりhr.のパートの音が目立つ。音域の制限もあると思うが、提示部では音域が高めであるのに対して、再現部は、低めの音域で終始。このあたりの違いは、ホグウッド盤でよく分かる。
第3楽章の無窮動に近い動きは、モーツァルトNo.39のfinaleの様な雰囲気。聴き始めて登場する終楽章のcodaは、ホグウッドでは、通常通りのテンポ(2019年12月29日追記 タグとして2010年12月1日とする)。
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2015年2月20日 追記。ゴバーマンを聴取。Allegloの展開部や再現部で、第2vn.が掛け合いで演奏しているところは良く分かる。Finale Alleglo mlto は比較的遅めのテンポ。2つのvn.が、同じ旋律や音程で登場することもあれば、掛け合うこともあれば様々。弦楽器が前に出ているので、管楽器とのユニゾンは後退。しかしその分、弦楽器を中心に、Finaleを楽しむことができる。
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2019年2月19日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 106番 A を聴取。作曲順番だと11番目になるが、この全集ではNo.104の最後に2枚 A とBがまとめて収録されている。補足的な解釈かもしれない。(ドラティ盤などと違い、後世に追加となった交響曲が最後の方に別途、収録されている)
No.27ほどではないがob.が、かなり強調されている録音。ob.以外にfg.もbass.とのユニゾンではあるが一部強調されている。Tuittiでは、それほど違和感はないが。
初期の交響曲はNo.6〜8を除くと、soloの箇所は余りない。中期から後期にかけてsoloの箇所が増えてるにつれて、旨く表現できるかどうか気になるところ。
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2019年10月15日 106番 A Kevin Mallon K マロン Toronto Chamber Ochestra を聴取。Naxosシリーズで、過去にbaraで一部は入手していたが、3枚からなる マロン盤は未入手。 22枚目で No.62、 107 、108 が交響曲では1枚に収録されている。この盤に関しては下記の ハイドン音盤倉庫に、演奏者の経歴を含めて、かなり細かいレビューがある。
https://haydnrecarchive.blog.fc2.com/blog-entry-702.html
古楽器のようで、cmb.が常時入っている。奏者はやや少ないようだ。cmb.は、やや大きめな音で中央、奥側に位置。概してテンポは遅めだが、第2楽章は逆に速め。もともと、サラリとかかれている曲の一つ思われ、全体的な印象は少ない曲のひとつ。管楽器は必要に応じて、Tuittiを中心に入るが、あくまで補強的な役割。疾風怒濤曲の頃と違い各パートのsoloの箇所は殆どないことも影響しているが。冒頭で弦を中心とした第1主題。ここではあくまで2つのvn.パートが対等でvn.を中心にオーソドックスで登場。 再現部のT80でも、hr.がvn.と一緒に登場するが、あくまでhr.は補強的に終始。
ドラホシュやガロワでも、柔らかい表現を特徴に記載した。マロン盤もどちらかといえば、柔らかい表現を、あくまで基調としている解釈のようだ。繰り返しは忠実に採用。第3楽章 Finaleは、冒頭にも記載したように、テンポはゆっくり目。Finaleは、明るく、流れるように進める指揮者が多いが、マロンの場合は、流れは重視しながらも、テンポや強弱は適宜行う程度。珍しくFinaleでは短いがCodaがある。
その一つ前のT66の部分での半終始。同じような動機が冒頭と同じように続いている。しかし最後の部分も、Codaに続けるためか、少し音
その一つ前のT66の部分での半終始。同じような動機が冒頭と同じように続いている。しかし最後の部分も、Codaに続けるためか、少し音量を落としている。一段落して聴き所のCodaにつないでいる雰囲気。 |

2022年6月14日 Johanees klumpp Heidelberger sinfoniker 107番 を聴取。2021年10月25日に第25集のレビューを記載すみ。現時点(2022年6月14日)で最新の第26集を入手。CD自体は、約3週間前に入手済。一応、聴取は1回が済んでいるがレビューは遅れてしまった。前回は国内仕様を購入したが、和訳がついている割には、付加価値が少ないと判断。第26集は価格の安い輸入盤を購入。
下記のハイドン音盤倉庫にもすでにレビューが記載されている。これによると「ついに T ファイ を超えたか?」 のコメントあり。
https://haydnrecarchive.blog.fc2.com/blog-entry-1987.html
奏者数は、第25集と同じ 4:4:2:2:1 となっている。最初の107番から聴取。最後の4曲目にも触れようと思うが、初期の交響曲の中で、4曲を今回、収録。収録順番に関して、最後のNo.15が作曲順番を最後に持ってきている。No.15は自筆楽譜がないと思うが、No.107、No.11、No.32は、No.15よりも前の作品としての解説がある。最後のNo.15は、エルテルハーザの時代の作曲として、作曲順番を最後に配置。それ以外の曲はNo.15より前に、モルティン時代の作品として対比させ、最初の曲としてNo.107を配置。上記のブログのレビューにもあるが、全4曲をセットで考えた場合、No.107は、最初の収録として、序曲風に軽めに持って来たような雰囲気は多少ある。
一つ前の25集にも共通するが、録音は同じようにブルー系で弦の奏者が1名ずついるような感じ。ホールの中央で残響の多い録音とは対照的で、近接音が多めで指揮者のそばで聞いている録音は変わらない。
T ファイにも共通するが、vn.は対向配置。この曲でも対向配置を生かして2つのvn.のパートの掛け合いがよくわかる。例えば第1楽章の展開部の導入部。
展開部の最初のT44の部分は、この楽章の冒頭と類似している。初期の作品には珍しく、提示部43小節に対して、展開部はほぼ同じ36小節もある。長い展開部の冒頭として印象的。例によって、展開部と再現部の後半の繰り返しを採用しているので、短い演奏時間でありながらも、繰り返しの装飾が後半であるのも加えて印象的。

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