音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo103 hob-No103   
2023年7月29日 更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
105 103 太鼓連打 1781 Es 4 -  -  - - (1) B 第1楽章の序奏の扱い方は後世に影響
       1 Es Adagio-allegro con spirito
       2 c Andante piu tosto alegretto
       3 Es Menuet
4 Es Allegro con spirito
通称名の太鼓連度は、そのものずばり、第1楽章の冒頭のtimp.のsoloによる。この曲の一番の特徴は、第1楽章の序奏が、展開部の動機としても扱わられるのは元より、再現部の後半にも冒頭と同じ様に登場する。ベートーベンの悲壮ソナタなどは、この様な手法を用いているが、この先駆となっているのではないか。
 また、序奏の扱い方も、timp.のsoloと言う、奇抜なアイデアは、初めての手法であると思う。その後のfg.と低弦のユニゾンの手法などは、18世紀の音楽ではなく、今日の音楽にも通じるものがある。
 ひとつ前のhob−no.102において、聴き所の(1)〜(7)のポイントをすべて網羅した交響曲と記載をした。この交響曲にもほとんど当てはまる。特に第2楽章は、過去にも2つの主題による変奏曲を取り入れて来た。この第2楽章もvn.の2つのsolo.を含み、集大成をされたと思う。
 通称名を伴い、初演当初からも人気があったこともあり、多くの演奏があり、聴いて来た。フィッシャーの全集は、録音がとても悪く(録音の仕方あるいは、CDの書き込みの失敗なのか、音がコモっていて、聴取には耐え難い)今回は聴取の対象として外す。ドラティ盤は、昔ながらの演奏。カラヤン盤は、第2楽章のゆったりとしたテンポが印象的。古い録音ではあるがマリナー指揮が一番、昔から好んでいる。小編成ながらも、くっきりとした流れが良い。

(2020年1月13日追記 タグとして2010年3月15日とする)
2011年2月12日 FM放送 吉田秀和 ハイドンその生涯と音楽 第58回 No-103 クイケン指揮 ラ プティ バンドによる演奏を聴取。聴取環境と条件の違いで余り、細かい点いついては、不明な点もある。一番の印象に残った点は、冒頭のtimp.の強弱。現代の指揮者では、どの様に冒頭のtimp.を演奏するのか?これが一番の聴き所であると思う。
 今回の演奏は、古楽器のよる使用。冒頭から、かなりの目立つ演奏であったのが印象的であった。
 2014年12月27日 デイビス盤を聴取.。冒頭の出だしは、一瞬、再生しているCDが間違ったかと思った。通常の演奏なら、同じ音程のtimp.がフェルマータ、デミネンドの指定に基づき、どの様に指揮者が指示をするのかが、聴き所である。ここでは、同じ音程や音符ではなく、しかも長い。T201で序奏が回帰してくる。この部分でも、冒頭とは異なる登場。
 2015年8月29日 C.デイビス ACO No.103を聴取。C.デイビス盤は何度も、大編成の割には、低弦を中心とした分離パートが良く分かると記載をしてきた。冒頭に近い部分のT2からのfg.vc.bass、の3声部。ここでは、全てbassを含めて同じ音程で引いている すなわちvc.比較して1オクターブ、bassが高く記載されている。各3声の同じ動きが、よく分かる。今まで各演奏を聴いてきたが、ここまでの音色の違いまでは気づかなかった。
ただTutti部分ではT53の第1vn.の特徴ある動きまでは、聴き取りにくい。これに対して、N マリナー盤は、第1vn.がうまく収録されているとのこと。以下のブログ参照。
http://micha072.blog.fc2.com/blog-date-201411.html

 だいぶ以前だが、LPでこのマリナー盤を聴いたことがあるが、この当たりの細かい部分までの記憶はない。LPの欠点?でもあると思うが、録音の最後の方。Finaleの最後の部分では、内周に近いこともあり、T310の Tutti ff 指定の部分では、スピーカーからの再生音がひずんでしまったことがある。片面でこのNo.103を収めるためには、最後の部分では、そうしてもひずみが生じたのであろう。それに対して、CDでは、この心配はない。
 2015年11月13日  ノリントン ロンドンセット ライブ盤 No.103を聴取。短い数種の動機から構成される第1主題。T39の最初の動機は、スッタカートとスラーを伴う。これにノンレガートの旋律が随所にあり。合わせて3種類の音色の変化が楽しめる。提示部の終わりに近いT90からT91にかけて。ここではT90はスッタカート。直後のT91はノンレガート。この対比が印象的。
 さらに、第2楽章では、vn.のパートが左右に分かれているのが効果的。T9からすぐに旋律が分かれていき、類似している旋律も微妙な音程が異なる。テンポと強弱の変化も繰り返しの後半は、変えているなどの細かい配慮。特にT106当たりから、vn.のsoloが次第にテンポを落として、T109とのエネルギッシュな音との対比が良い。
Finaleは、第1楽章と同様に単一主題の動機が多くの箇所でノンレガートの同じ音程が長く続く。全曲通して、どの箇所も飽きさせない。No.93から引き続いて聴いた中で、No.95とともに、双璧をなすと思った。
 2015年12月27日  バースタイン ニューヨークフィル No.103を聴取。冒頭のtimp.は左側に位置、出だしはffになっている。この曲は、聴取記録では、No.100と比較して、聴取効果の高い曲とは位置づけていなかった。しかし少なくとも、当時の聴衆にとって、冒頭の部分は、不吉に思ったに違いない。冒頭からtimp.のsoloのみ。その後も、T5までは、低弦とfgのみの演奏。メインのvn.が登場するのは、T14になってから。それまでは、vn.は登場しない。初めて聴いた当時の聴衆は、不安に思ったに違いない。バースタインの演奏では、各vn.パートは左側に全て位置している。冒頭からT13までは、vn.が登場しないため、右側のみでの演奏が主体となる。T14からvn.が初めて、pで登場したこの音の対比がすばらしい。
 
2016年1月6日 Georg Solti London盤 の No103を聴取。第1楽章 序奏のtimp.は通常通り。主部のAlleglo con Sptirto は、予想されたように、かなり速いテンポで、低弦などは速いパッセージなどは、着いていくのが大変と思うスピード。Fnaleの後半は、CDの音とびのため、聴取は途中で中断。
 2016年8月15日 ブリュッヘンOrchestra of The Age of Enlightenment No103を聴取。冒頭のTimp,は、フェルマータにより指揮者によってまちまちの解釈。ブリュッヘンは、このフェルマーターを重視し、pから始まりpに終わるが、かなり長くtimp.を受け持つ。Timpは、T2までしばらく引っかかるように、残響が残っている。それに対して、しかもT201の再現部でも同じように演奏。T45から盛り上がるように、f指定を大半の指揮者は守るが、ブリュッヘンは、codaの部分を除いて、全体的に柔らかい解釈。
第2楽章は、通常は、第1vn.の旋律を大半の指揮者は目立たせて演奏する。ブリュッヘンは、低弦のパートをかなり重視する。終始、この楽章では、低弦のパートをかなり目立たせるようにするのが特徴。この低弦の旋律は、余り注目されないかもしれないが、調性やテンポにかなり影響を及ぼす。終わりのほうのT187からは、今まで32分音符は、スラーをともなっていなかった。T187からは、この32分音符がスラーで登場し、柔らかく明るい雰囲気となるのが、よく分かる。
 2016年11月6日 E ヨッフム ロンドンフィルハーモニー管弦楽団 No.103聴取。この曲は、主にva.を含む低弦が至る所で活躍する。第1楽章、T2から、fg.とvc.bass.がユニゾンで演奏るるT2からの部分。ここでは、vc.とbassが同じ音程で引いている(vc.はBassよりも1オクターブ低い記載)所が、大きな特徴。小編成とは違い、大編成で、左右に広がったステレオ感も加わり、ユニゾンの効果が良く出ている。今までの他の演奏でも同じような演奏スタイルだったかもしれない。ヨッフムの演奏を聴いてみて、さらに、この効果のよさが分かる。この動機は展開部T111の個所から、vc.とva.のAllegloのテンポで変形されて登場するが、bass.が伴わないので、序奏部とは違った雰囲気となる。この当たりの対比も面白い。
 第2楽章と第3楽章も低弦が至る所で活躍するが、ヨッフムの演奏は、低弦が主旋律を受け持つときは、目立たせていて、主題の統一性が感じる。今まで聴き通して来て、低弦の面白さが余り目立たなかった。しかしこの曲では、かなり特徴が出ていると思った。
 
2017年7月20日 S チェリビダッケ  ミュンヘンフィル  No.103を聴取。当然ライブ録音だが。ライナーノートによると、1993年11月11日と12日の2日間になっている。一発勝負なら1日のみだと思うが、2日間に渡って通して演奏され、録音状況に応じて、どちらかの片方あるいは、両方をあわせて、CDに録音したのかもしれない。
 チェリビダッケの演奏については、下記のブログにも少し言及されている。

http://haydnrecarchive.blog130.fc2.com/blog-entry-59.html

このブログでは、遅めのテンポであるが、テンポは揺らさず、フレーズをきっちり磨きこむと記載されている。No.103に関しては、遅めのテンポが功を奏してか、モダン楽器で各パートが分離感はそれほどない中庸な雰囲気。ただし、私の視聴環境では2つのvn.パートが広がりすぎて、定位感が不明瞭。Tuittiでの弦を中心とした迫力が不足しているように聴こえる。第1楽章の序奏の部分。第2vn.は通常の左側。第1楽章の冒頭から弦楽器はT13までvn.は登場しない。その分、va.以下の低弦楽器が右側に位置し、T13から左側の2つのvn.低弦とは、切り離されて左側の軽やかな定位憾を期待したいがうまく生かされていない。冒頭から、この定位感がうまく聞き取れない状態が続くため、曲を通しての印象は今ひとつ。
 2017年8月16日 N. アーノンクール  Royal Concertgebouw  Orchestra No103を聴取。冒頭のtimp.は指揮者によって様々な演奏がある。アーノンクールの場合は、ファンファーレ風にリズムはもとより音程も変えていて象徴
 2018年8月4日  T ファイ No.103を聴取。下記のブログにもレビューが記載されている。

http://haydnrecarchive.blog130.fc2.com/blog-entry-1206.html

http://micha072.blog.fc2.com/blog-entry-656.html


冒頭のtinp.のsoloは音程を変えて様々な表情。CodaのT201のtimp.のsoloの箇所で、冒頭と同じ様に派手な演出を期待するが、従来の遠雷スタイルにとどまるのとは対照的。
ハイドンの交響曲の魅力のひとつは、短い動機から構成されながらも、楽章全体に散りばめられるように展開される面白さ。この曲もそのひとつで、No.88の第1楽章と同じ様な雰囲気。T39の第1vn.の短い動機は、もちろん一番重要だと思うが、T43の第2vn.16分音符の短い動機も、この後に、各所で登場する。vn.の対向配置が効果的で、この動機も明白に聴こえる。石多 著「交響曲の生涯」でも第11章 交響曲の成熟 の部分で、分析表と共に、冒頭の動機が楽章に統一感を与えていると記載され興味深い。
 第2楽章で第1変奏のT85でvn.のsoloが入ってくる部分。ここでは、指揮者によって、第1vn.のsolo以外に、他のパートもsoloで入るスタイルがある。ファイの演奏も他のパートはsoloの様に聴こえる。繰り返しがあるので、後半では伴奏の弦のパートはピチカートで引いているのは過去にも何度も用いられる手法で、ある意味、安心して聞かれる部分。

 この曲自体、低弦特に、vc.とbass.パートの分離とオクターブでない実音の演奏(だ(第1楽章の序奏のT2からの例が、その典型のひとつ)は、随所にある。それ以外にもva.のパートも欠かせない。得てしてva.パートは、No.100などは、一部、目立つ箇所もあるが、全体的には、vc.と比較すると目立つ箇所は少ない。
井上著「ハイドン106の交響曲を聴く」の中で、ニール・ザスローによるザロモンコンサートのためにハイドンが考案した円形ひな壇指揮のオーケストラ配置の図がある。(確かモーツァルトのシンフォニーにも記載があったと思うが)これによると第1vn.と第2vn.は左右に8名ずつ。一方、va.は左右に分かれて2名ずつの計4名。Vc.とbass.は左右に2名ずつで計8名。Vn.と低弦に挟まれて、va.の人数は少ない。中心にフォルテピアノがあることもあり、あくまでva.は内声を補強する役目かもしれない。Vn.の対向配置に加えて、ファイの演奏ではva.は左側、少し奥側に位置している。しかし、録音が明白でvn.や低弦パートとは位置が異なる。T162の部分でも旋律がくっきり。
 2018年9月20日 レナード・スラットキン フィルハーモニア管弦楽団 No.103を聴取。冒頭のtimp.は、音程の変化はなく、通常に聞かれるパターン。序奏のテンポは遅く、その分、主部に入ってからの切れ目の良いテンポと旨く対比。Codaで終了間際の部分。この箇所までtrp.が余り目立っていなかった。しかしこの部分でツボを得たように活躍するのも効果的。
  第2楽章の冒頭は、弦5部(vc.とbass.の分離あり)のみで演奏される。通常は、p 指定を生かして、最初は、目立たないように演奏するケースが多いと思う。しかしスラットキンの場合は、やや強めの音量で、冒頭の主題を目立たせる。それでもT26の半終始では、やや弱めの音量。その後、T27からのもうひとつの主題が登場する部分。ここでは、さらに音量を上げて、調整が変わるのとも相まって、対比がすばらしい。
T27-T34の前半部分は繰り返しがある。繰り返しの後半は、音量を落とす指揮者は多い。スラットキンも同様だが、最初のT27からの音量が強烈だったので、繰り返しの音色の対比が印象的。T50で一旦、半終始をするが、ここでもT26と同じ様に強めの音量となっている。その後、冒頭主題の第1変奏にT51から引き継がれるが、pの対比がとても良い。
今まで、様々な演奏で聴いて来た。2つの主題による変奏曲が交互に現れるが、ここまで音色の対比があったのは、初めての経験だ。変奏の合間では、ブリッジの様に、少し音量とテンポを落としているのが、自然な流れに通じている。第2主題の第1変奏 T85から 第1vn.の独奏では、少しテンポが揺れながらも、繰り返しの装飾を含めて、返って魅力的。ここまで、ザロモンセット12曲の中で11曲目になる。モダン楽器の特徴と、録音のよさも相まって、一番のできばえだと思った。
 
2018年11月14日 103番 バリー・ワーズワース カペラ・イストロポリタナ を聴取。各パートを均等に扱い、柔らかい表現が特徴のひとつと記載をした。前者の各パートの部分で第1楽章のT52の部分。16分音符の第1vn.の短い動機も、他のパートに埋もれることなく聴こえる。ただし、この部分であh音量が少し全体的に押さえ気味。Finaleの冒頭のhr.も柔らかい表現。この楽章全体が、概してゆっくり目のテンポ。

 2019年1月1日 クイケン ラ・プティト・ バンド No.103を聴取。冒頭のtimp.のsoloは音程は同じ。この録音会場の オランダ  ハーレム ドープスヘヅインデ教会(Doopsgezinde-kerk 再洗礼派教会)は木の床に長椅子、およそ装飾的なものを一切拝した白い壁に囲まれているとライナーノートには記載されている。今までtimp.の強奏による soloで長いフレーズがなかったので、余り、録音には注意を払わなかった。冒頭からtimp.の強奏があるため、改めて聞いてみたところ、中庸 やや左側の奥側にあり、直接音だけでなく適度に反響音も入っているのが良く分かる。   
 各vn.の奏者は7名でだが、va.以下の低弦のバランスが適度の厚みがある。No.93にも記載をしたが、va.以下はそれぞれ3名。vn.パートに負けるかと思うが対等になっている。もちろん管楽器、打楽器群も弦楽器群と旨くバランスが取れている。第1楽章 提示部のテンポは概して速め。T52の部分で、過去に第1vn.の16分音符の短い動機が旨く表現できるかどうか、何度か記載してきた。過去のブログでワーズワースの演奏では第1vn.はくっきりと聴こえたが、全体の迫力が今ひとつと記載をした。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1038.html

 クイケンの場合は過去に何度も記載してきたように、第1vn.はもちろん明瞭で全体の迫力も十分。
  timp.を含む低弦のパートもvc.とbass.の分離を含めて聴き所が多い。第2楽章で E ヨッフムの演奏は低弦のパートをかなり強調して分かるように演奏したことも記載をした。vc.とbass.が分離し、vc.が高音域のときは、bass.と異なり高音域のvn.などと対等に張り合う箇所もある。一方、bass.と同じ様に1オクターブのユニゾンで支えるときもある。同じ楽器でありながらも、音域によって楽器の音色が微妙に違う。この当たりを作曲者は考えながらスコアを書いていると思う。
  第2楽章の終わりに近いT187の分。長調のもうひとつの旋律が登場する。Vc.、bass.は16分音符で支えている。Tinp.も同様だが、trp.に呼応するかの様に、拍子の最初で強調をしている。細かいところではあるが、各パートの動きが良く分かる。
 2019年5月28日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 103番を聴取。冒頭のTIMP.は、過去の指揮者でよく聴かれたパターン「 pp 〜 mf 〜pp 」で同じ音程。timp.が終わりの方で回帰してくる部分も同様。冒頭では余り分からなかったが、第1楽章の最初から管楽器と弦楽器の奥行き感が、かなり悪い。過去のフィッシャー 版でもあったと思うが、逆位相のように管楽器が手前になり、弦楽器が奥側に聴こえる。第2楽章以降は、この様に聴こえない。
 Finaleに向けての歪は少ないようだ。しかし楽章間での音のバランスがかなり悪いので印象が少ない。
 2019年7月3日 103番 N マリナー を聴取。冒頭のtimp.のsoloをどの様に扱うかで、第1楽章の印象は変わってくる。最近だと、同じ音程でないアーノンクールのように派手にファンファーレ風にリズムを変える指揮者もある。しかしマリナーの場合は、昔の様なオーソドックスなスタイル。冒頭のtimp.はスコアではフェルマータの指示で一旦、timp.のみで切れてから、低弦楽器とfg.が入ってくる。私の視聴環境がよくないのかもしれないが、マリナーの場合はtimp.が終わる前から、既に低弦が僅かでは入っているようだ。このためtimp.の切れ目が、殆どない切れ目のない印象。なお再現部の類似箇所では、timp.は一旦、入れているので序奏の再現とは違う雰囲気。

第1楽章の提示部でT52の部分。下記のワーズワースのブログに譜面あり。
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1038.html

ワーズワースの場合は、T52の部分では、この箇所の音量は、全体的に抑え気味。しかしマリナーの場合は、この箇所の音量は抑えることはなく、快調に第1vn.の16分音符の切れ目のある旋律で駆け抜けるので気持ちよい。(No.94 第1楽章T40などと同様の解釈)以下のブログも私と同じコメントあり。

http://micha072.blog.fc2.com/blog-entry-2281.html

 ところでかつて、LPでこの音源を保存していた。私の記憶では、Finaleの再現部の終わりに近いT311の箇所。ここでは第1vn.がかなりの高音(G)になり内周歪のためかvn.の音がひずんでいた。しかし、なぜか、一番最後の部分は、音域がかなり高いが、歪が気にならなかった。約106曲のハイドンの曲の中で、演奏時間はもっとも長い曲。マリナーのCDでも約32分。片面のLPで収録すると最後の方は、第1vn.で高い音(G)で内周歪が多くなってしまう。しかしCDでは歪がないので安心
 ところが、第2楽章の後半部分ではオリジナルによる音源のためか、強奏の部分では歪があるように聴こえる。LPのときは、この第2楽章の後半の歪には気づかなかったが。ただし、メルツェンドルファーのような、プレエコーなどの雑音は皆無なのはありがたい。
 N アーノンクール ウイーンフィル 第103番

2021年6月6日 N アーノンクール ウイーンフィル 第103番 を聴取。このCDは数か月前に入手し、すべての曲2を一応、約1か月前に聴取は終了。レビューを書くにあたり、ライナーノートの感想も最後に書くことを予定している。残りの曲との兼ね合いなどもあり、後半になると、レビューを、整理するのは少し苦労をしている。
 No.93に引き続きNo.103が同じ録音日時で収録されている。その2曲の間に、アーノンクール自身によるインタビューが収録されている。インタビューといっても、実際に録音の合間に指揮者自身が、舞台の中央で聴衆に向けて、マイクに向かい、しゃべっているようだ。ドイツ語でしゃべっているが、ライナーノートにもテープ起こしのように記載がされている。(前半のp28〜p29)ライナーノートの後半には、他の曲の解説などと同様に、英訳が掲載されている。((p68〜69) 
収録年月日は2009年5月10日で、ハイドンの没後109年の丁度300年後。5月31日が没後の日にちになるので、5月10日といえば没後の少し前になる。タイミング的にはよい。
 話の内容は、主に3点ある。1点目はViotti と Stradivariusの初演当時に使用した、楽器を今回、この後の曲でも使用すること。2点目はDrumrollに関して、Intradaとの関連。3点目はBurgenlandian、Hungarian、Croatian、Slovenian、などの文化について。1点目の独奏vn.については、No.93の第2楽章でも vn.のSoloとして一部は入っていたが。しかしNo.93に関しては、第2楽章の冒頭で1名のvn.奏者だけでなく、第2vn..va.vc.の奏者も加わっていたので、vn.1名のsoloではない。それに対して、No.103は第2楽章に、soloの箇所が明確になっている。2点目のvn.のsoloに関しても、この曲の最初の紹介としてもってきたのもうなずける。 
  No.103の冒頭も多くの指揮者が採用することが多い、同じ音程からの連打では始まらない。2つの音程を生かして、 intrada をキーワードとしているように、太鼓連打の連打と言いうより、Symphony with the Tympani Intrada というコメントにマッチしていると思う。Codaの最初の部分でも冒頭と同じように再現。
 SoloとTuittiとの音量の差が余りない。残響が多い録音も加わり、レンジの広い録音ではあるが、音の低位感などがわかり難い。ライヴ録音を生かして、インタビューを含む拍手を含め臨場感はある。しかし私には、この音響は余り合わないことが多い。 

 
 
2021年12月2日 103番 Igor Markevitch, Orchestre des Concerts Lamoureux を聴取。3曲のセットで今回の購入したのはDECCA の音源で3曲が収録。2曲目はNo.104。3曲目はベートーベンのNo.1 が収録されている。録音は1958年とかなり前。ステレオ録音だが、録音のレンジがかなり狭い。LPの収録に合わせたためか、繰り返しは殆どない。トータルの演奏時間は 約29分なので、全曲を通しても極端に速いテンポではないかもしれない。
 しかし速い指示の箇所は、かなり速めになっている雰囲気。第1楽章の冒頭のtimp.は昔のスタイルからか pp から 同じ音程では始まり、盛り上がった後、pp で終わる。弱奏の部分で各パートの音源は、そこそこに分かれているが、奥行き感が不足。レンジが狭いため、tuittiの強奏の部分などは、ひずみが多少あり。
 第2楽章の変奏曲で第1の独奏の部分。この最初の箇所は繰り返しを採用。(唯一か?)独奏の音が左側でもかなり端の方に寄っている。独奏からtuittiに移っていく部分でも不自然な雰囲気。この曲全体を通して共通した聴き所の一つには、timp.はfg.と分離した低弦の音色、掛け合いがある。特に低弦は1オクターブを敢えて離して書いているので、vc.とbass.の掛け合いが興味深い。この音源はvc.とbass.とはある程度、左右に分かれている。しかしレンジが狭いために、細かい音色などは分かりにくい。録音に大きく左右される曲だと思うので、これらの点で聴き所は余りない印象。
 2021年12月15日 103番 G ショルティ Georg Solti London Philharmonic Orchestra   の No103を視聴。購入は2011年だった。その後、一時中断し2016年に再開したが、CD再生プレーヤーの不調のためか、再生不調で中断。その後、CDプレーヤーは更新したため、再度、聴取する。この再生機は良好。 過去のレビューの中途で全般的にテンポが速めと記述した。確かに通してこの曲も速めが多い。モダン楽器で奏者は多い。第2楽章は、 f の部分も多いが、音量は抑え気味。
 奏者が多いが、思たより各パートの音は明瞭。第3楽章Menutetの中間部 T32で管楽器と弦楽器がユニゾンで掛け合う部分がある。低弦は旋律を受け持たないので、fg. は低弦とは離れている。この箇所でも、第1vn. と対等に掛け合い、各パートの音がよくわかる。
 このCDは12曲がセットで販売されているが、録音会場やエンジニア、録音時期などが異なっている箇所が多いライナーノートを見るとNo.103は1981年 12月Kigsway hallとなっている。
(この執筆2021年の時点で、40年も前の録音になる)1981年といえばCDの発売の初期の頃の録音時期。しかし録音はレンジが広く、各パートがよくわかり鮮明。DECCAのレーベルによるのかもしれない。
 録音会場について調べてみた。DECCAの主要な録音会場の一つで音響効果もよい会場。1983年頃に録音は終了。老朽化のため1998年に取り壊され別なホテルが同じ場所に立っているようだ。

 ウェブ アニメータウェブ アニメータ
2023年6月10日 103番  C アバド ヨーロッパ室内管弦楽団を聴取。下記のレビュー にもT53の第1vn. 16分音符の旋律で切れの良い記載がある。

http://micha072.blog.fc2.com/blog-entry-3605.html

また、下記のサイトには、No.96の好演も記載がある。

https://haydnrecarchive.blog.fc2.com/blog-entry-21.html


冒頭のtimp.の連打は、私が聴取する限り、D R デイビスとアーノンクールの演奏では、同一の音程でない、リズムに起伏の富んだ旋律を記載した。このアバドの演奏でも、一般の指揮者とは異なりファンファーレ風の同一の音程によらない開演。ちなみに、デイビス、とアーノンクール(ウイーンフィルのライヴ盤)と再度、冒頭だけ聞き直してみた。デイビス盤は付点のあるリズムがあり、やや短い。それに対して、アーノンクールは、付点のリズムよりも、強弱の音色も重視して時間も長い。ア^ノンクールは この冒頭の部分を intrada  と コメントしている。(以下は自分のブログの一部)

https://haydnrecarchive.blog.fc2.com/blog-entry-21.html

 アバドの演奏は、アーノンクールほど、timp.の演奏時間が長くないので、あくまで 曲の冒頭の導入の様な解釈を思う。第1楽章のT53の部分の第1vn.も明白に聞き取れる。No.103に限らないが、短い主題の動機を提示して、これを繰り返しながら、変化、転調していく手法は、ハイドンが好んでいる手法の一つになる。この曲もその一つだと思うが。「交響曲の生涯」にも譜面を含めて第1楽章の分析表がある。再現部で第2主題を短く切り詰める。多くの主題で聴衆の気を引くのではなく、限られた主題を注目されることによって、全曲の統一の意識をさせるようにしている。かつて、人々は曲の部分を楽しんでいたが、この時期になると全曲の統一という観点からも楽しむようになってきたのではないか。ましてや、序奏の部分がcodaで再現されるので、特にこの曲はその典型の一つにはると思う。
timp.を含めた低弦の役割やtuittiでの音量の扱いなどについて、今まで主にレビューをしてきた。アバドの場合、tuittiの箇所でもある程度、音量を抑えている。その分、各パートは聴きやすいと思う。第2楽章のcodaの部分でも、打楽器群の音色は聞こえるが、各パートは明瞭。

以下は、クイケンの第2楽章の部分のレビューに譜面あり。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1055.html

録音データの詳細がこの分売のCDでは分からない。ライヴ録音だと、冒頭のtimp.の音量などここまで明白に収録できたのか? 分売を中古で入手したので、発売当初のジャケットとは異なる。発売当初のジャケットの写真は、timp.がアップされている。No.101とも同様に、保管用としてCDを楽しむ場合、発売当初のジャケットの方が映える印象。
  一応、今回でアバドのシリーズは終了する。モダン楽器でありながらも、各パートの良さが分かるのはありがたい。弦の奏者の数を絞っているのもその一因かもしれない。また過度でない残響なので聞きやすい。
2023年6月14日 シャーンドル・ヴェーグ カメラータ・アカデミカ・ザルツブルク 103番 を聴取。下記のブログにも好演と記載されている。ライヴ録音だが演奏中の会場内の音は、殆ど聞こえない。最後の拍手がなければライヴとは感じない雰囲気。
 

https://haydnrecarchive.blog.fc2.com/blog-entry-287.html

モダン楽器で小編成のようであるが、低弦を含めて各パートの動きはよくわかる。vn.は通常配置。このためva.は右側に位置する。第1楽章 T201で 序奏の冒頭が回帰してくる部分。通常では、殆ど、冒頭と同じように聞こえてくる。しかしスコアではva.が1オクターブ上の旋律をユニゾンで受け持つ。余り目立たないが、va.を含めて各パートがよくわかる。
第2楽章のテンポはかなり遅い。CDのデータよるとこの楽章の収録時間は12:03。繰り返しの一部は省略されていても、かなり長い。レビューにも記載されているが、かなり遅いテンポが続くので、終盤にかけては息切れのような雰囲気になるのは残念。