音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo103 hob-No101
2024年7月18日 更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
103 101 時計 1781 D 4 -  -  - - (1) C 宮廷音楽が影を潜めたMenuetは、もはや大衆のために変遷。
       1 D AdagioーPresto
       2 A Andante
       3 D Menuet e trio:Allegretto
4 D Finale:Presto
通称名が「時計」で古くから知られている交響曲。序奏は主部とは関係はなし。Prestoの主部の第1楽章の第1主題は、旋律的には印象は少ないかもしれない。また続く第2主題は、第1主題と極めて密接した関連があり、ソナタ形式と言えども単一主題に近い。この手法は、No. 99等でも多く見られる。第1楽章では、その後に続く展開部が充実。両主題が展開されている。再現部では第2主題以降が拡大されてあたかも、第2展開部なりに扱われる。無駄な音符は全くなく、Prestoのテンポで快活に進む。
 通称名「時計」の由来となった4つの変奏曲。 一番の聴き所は第3楽章のMenuetであると思う。もはや、初期や中期頃、宮廷音楽の延長であったMenuetは影がない。4楽章の交響曲のひとつの楽章。それも市民に向けた交響曲の第3楽章として位置づけられている。それに対して、trioは音色では対照的であるが旋律的には特徴が少ない。むしろこのtrioの中でMenuetの主部が一部、回顧されるのは余り例のない手法。今後の作曲家にも用いられる手法であろう。 Finaleはロンドソナタ形式。演奏時間は短いが、流れる様に終始。
 フィッシャー盤では、録音状態が余りよくないのか、音の広がりなどが今ひとつに聴こえる。(最悪なのは、後に執筆予定のhob‐No.-103 録音が悪く致命的) また編成が今までよりも大きい様で細かい音が聴き取りにくい。フィッシャー盤は、後期の交響曲を最近、録音をし直した。今回の聴取は全集からなので、(1987年の録音)、今から20年以上前になる。最新版との比較は期待したい。それに対して、ドラティ盤は要所を全て抑えているようで、非が見当たらない。ドラティ盤を勧める。

(2020年1月13日追記 タグとして2010年3月13日とする)
2014年12月28日 デイビス盤を聴取。第1楽章の導入のAdagioからPrestoのテンポに切り替えに注目する。T21で初めて、4分音符が登場する。比較的、速めのテンポ。引き続いて第2楽章も、Adnannteの割りには速いテンポ。一定のリズムを刻むので、このニックネームがついている。しかし常に一定のリズムとは限らず、最後のほうのT135では、3連符がtimp.にあるなど、細かいニュアンスはスコアを見ない聴き落としがち。
 2014年12月28日 デイビス盤を聴取。第1楽章の導入のAdagioからPrestoのテンポに切り替えに注目する。T21で初めて4分音符が登場する。比較的、速めのテンポ。引き続いて第2楽章も、Adnannteの割りには速いテンポ。一定のリズムを刻むので、このニックネームがついている。しか、常に一定のリズムとは限らず、最後のほうのT135では、3連符がtimp.にあるなど、細かいニュアンスはスコアを見ない聴き落としがち。
 2015年8月15日 C.デイビス ACO No.101聴取。最新名曲解説全集でも、第1楽章の主題は5小節単位で、きびきび とした動機と記述されている。この動機は、次のNo.102の第1楽章と同じ様に、謡う様な旋律的な要素は、Presto速いテンポも相まって微塵もない。また楽章全体でもいたるところで展開、再現されている。丁度、過去のNo.88の扱い方にも類似している。弦楽器のパートで特に提言が、この中でも重要な役を持っている。
 C.デイビス盤では、vc.とbassの分離が良く分かり、この違いが堪能できる。たとえば提示部のT65からは、vc.が独自に、高い音域で旋律を受け持つ。展開部では、低弦がいたるところで、動き回り(T143、149,157)、何度か聴いていくと飽きさせない魅力がある。
 2015年11月4日  ノリントン ロンドンセット ライブ盤 No.100を聴取。第2楽章は思ったより速いテンポ。T8から管楽器のsoloの箇所が多く、ついつい弦楽器は余り目立たないことが多い。しかし小編成を生かして、弦楽器のパートは細かいところまで聴ける。打楽器群は中央に位置。これまでは、管楽器の各パートが離れ過ぎていて違和感も多少あった。しかしこの曲に関しては、管楽器のsoloの箇所が多いこともあり、この配置の良さを発揮。
スコアをみると、楽器群は、音の高さに変化がなく強弱のみ。すなわち他の楽器からすると、どの打楽器群はどの調性でも良い。T57ではc-mol の短調。しかしながら、最後はc-durでTuttiによる同じ楽器編成。打楽器は常に同じ音程ながら、それぞれの箇所は短調と長調に違いで大きい。もし打楽器のみがこの箇所を演奏していたら。どの様に聴衆は感じるか?この楽章を聴いて、いつも思うことなのだが。音程に対しての人間の聴覚は不思議な気がいつもする。
 FinaleのT94からの f 指定は再現部よりも多少、控えている。その分,codaに向けての盛り上がりはすばらしい。
 2015年12月24日 バースタイン盤を聴取。No.100と異なり、この曲は管楽器のsoloが第2楽章を除いて少ない箇所が多い。最初の第1楽章は、codaのT238の部分がある程度。裏を返せばTuttiと弦が各パートで随所に活躍するところが大半。バースタインの編成は弦のパート数が多く、大音量で弦楽器の音色が楽しめる。
 第1楽章の冒頭主題でT23とT24の僅か2章節の間に、主に3つの動機が登場し、これらが楽章のいたるところで散りばめられる。ベートーヴェンのような動機を主体として展開される。この動機が如何に、弦を中心とした各パートで、転調、展開されながら最後まで聞き通すのがこの曲の醍醐味。バースタインでは、録音は古いながらも、弦の各パートの厚みがありよく分かる。一つ前のNo.100は、管楽器のsoloが聴きどころであったのとは対照的。
 第3楽章のMenuetは、ハイドンの全曲の中で恐らく最も小節数が長いもの。TiroもMenuetの主部とも関連付けられて、この楽章だけでも単独で取り上げても良いぐらい。従来通りバースタインは、微妙にテンポを動かして堂々と締めくくる。Finaleも同様に弦のパートの動きが良く分かる。ザロモンセットを聞いてきた中では一番、特徴を出していると思った。
 2016年1月4日 Georg Solti London盤 の No101を聴取。No.95-100当たりと異なり管楽器のsoloは少なめ。バースタインの重厚な印象に感化されたこともある影響か。ショルティのやや速めのテンポと自然な音のバランスが特徴ではあろう。しかし、バースタインの重厚の好みのためにその分、印象が少なくなる。
 2016年8月13日 ブリュッヘンOrchestra of The Age of Enlightenment No101を聴取。FinaleT189からの弦4部による再現部でフーガ風に進行する個所。Bassを除く、管楽器を伴わないで、主旋律を変形しながら各パートが再現する個所。弦のパートが細かく聴き取れる。
 2016年10月30日 E ヨッフム ロンドンフィルハーモニー管弦楽団 No.101聴取。第1楽章は単一主題に近いPresto 指示の速いテンポが特徴。T80からの第2主題は第1主題と共通動機だがスラーを伴う。ノリントンほどではないが、この主題で柔らかい雰囲気を演出。この部分は展開部のT197からの柔らかい表現も共通。
 第2楽章のT67の部分。第1vn.fl.ob.fg。の3人のsoloでT98まで続く部分。小編成なら、管楽器の音量が第1vn.と対等に聴こえるが、ヨッフムの演奏もsoloの音色が第1vn.とも違和感なく溶け込む。今まで聴いてきた曲にも共通しているが、モダン楽器で編成が多いにも関わらず音量が小さい個所は、弦楽器と管楽器のバランスが小編成の様に聴こえている。この特徴をこの曲では良く表現していると思う。
 
2017年4月27日 パイヤール指揮 イギリス室内管弦楽団のNo.101を聴取。No.94 .No.100と同様に、主旋律を中心として流れるような印象は同様。教科書的にわかりやすい演奏であるためか、パイヤールの特徴とは外れてくるが、第1楽章について考察してみたい。
Prestoのテンポがパイヤールは少し遅め。このため、この楽章の構造について、意外な発見がある。名曲解説全集では、序奏と主部とは関係がないと記述されていた。しかし冒頭T1の第2vn.の上行する旋律は、私には第1主題のT24の動機と共通していると思う。序奏と主題とは関係があると思う。

  一方、このT24から始まる第1vn.の第1主題は5小節からなる。主題の前打音的に8分音符を含む動機がある。この8分音符の存在に今まで余り意識していなかった。もう少し細かくスコアを見てみると何度も登場する冒頭の動機は、8分音符が7回続く。1小節単位の第1拍でアクセントを置いた場合、主題の最初とずれている。このずれを意識するかどうかが気になる。流れるように演奏するパイヤールでは、T24からの第1vn.に対して、他の弦のパートはあくまで伴奏に徹している。伴奏に徹しているためか、このズレに違和感がない。この前打音的な構成による方法は、No.102の第1楽章の第1主題も同じ様に採用されていると思う。
 しかしパイヤールだけのことではなく、他の指揮者にも共通したことかもしれない。第1主題と第2主題が共通の動機から構成されていることもあり、この楽章の統一感は、何度聴いても不思議である。
 2017年6月21日 K.リヒター ベルリンフィル No.101を聴取。モダン楽器で厚みのある弦が特徴。No.100と比較して管楽器のsoloがやや少なく、Tuittiの部分は比較的多い。ただし弦のユニゾンの箇所は、余りない方だと思う。第1楽章は単一主題に近く、8分音符の旋律が、めまぐるしくいたるところで登場、変形されていく。展開部の真ん中当たりのT182当たりから。182から185までは、管楽器等からなるTuitti。その後、T185からは弦のみのユニゾンが続く。通常の演奏なら、T185で、弦以外が加わった部分とT185以降の弦のユニゾンとの差が多少はある。しかし、もともと弦の奏者が多いこともあり、T185から弦のユニゾンが音量も落とさないで緊張感を持ちながら続いているのが特徴のひとつ。
 もし録音があれば、No.97の第1楽章当たりを聴いてみたい。この楽章はユニゾンの箇所が多く、強弱の対比が大きくのが特徴のひとつ。リヒターの演奏がもしあれば、さらに特徴が出ていたと思う。

なお、下記のブログに同じ音源でLP盤について、録音の方法について記載がされている。カットの方法から内周ひずみについて記載。
http://micha072.blog.fc2.com/blog-entry-500.html

 この音源ではないが、ハイドンの交響曲で、かつてLPを持っていたとき、同じような経験をした。N.マリナーのNo.103.かなり長い曲で、LP1枚に収めには、当時、おそらく30分は超過していたと思う。終局直前の9小節前のT378からの部分。ここの第1vn.が高い音域とも相まって、かなり歪があった記憶がよみがえる。

 2017年8月14日 N. アーノンクール  Royal Concertgebouw  Orchestra No101を聴取。第3楽章 Manuetの主部は通常の指揮者よりも少し速めのテンポ。その後、Trioとの間の部分で、スコアでは4分休符だが、もう少し長い休符。
 それに続くTrioは、とても速いテンポ。Trioの後半で T138からの部分。ここではMenuetの動機が登場し、この楽章の一体感を増す部分。速いテンポのTrioとも相まって一体感が増す。
 


2017
1119日  R レッパード The Scottish Chamber OrchestaNo.101を聴取。モダン楽器で、聞き通した中では、これといった特徴が見出せない。ハイドン音盤倉庫にも同じ感想がある。私の方はエラート100枚ボックスからの分売で紙ジャケット。

(下記のアドレス)

http://haydnrecarchive.blog130.fc2.com/blog-entry-86.html

 

3楽章のTrioの部分。もともとこの楽章は、ハイドンのMenuetで一番長いと思うが、このTrioも繰り返しがあるもののかなり長い。T121当たりで第一vn.fで引く部分。T123からスラーを伴う柔らかい旋律に入る前の箇所。ここでは、fを強調しながら鋭く引いていると思った。

 101番 ピエール・モントゥー ウイーンフィル
2018年7月25日 No.94に引き続いて聴取。モダン楽器を生かした大編成が大きな特徴であることは前にも記載をした。この曲でも同様。たとえば第1楽章の展開部の後半当たり。第1楽章の4分音符の動機が終始流れていく中で、全ての弦のパートユニゾンでT183から演奏する部分。この後に続く第2主題の柔らかい雰囲気と対比をする箇所であるが、全ての弦のパートがユニゾンで力強く引く部分が印象的
なお、この曲だけとは限らないが、低弦でvc.とbass.の分離の箇所が随所にある。時には、vc.の音域をあえて、1オクターブ下げて、bass.の実音にあわせる箇所が多い。この録音ではvc.とbass.は右側に位置している。各パートの分離感は、大編成の音量に押されて、少し分かり難いがこの演奏でも魅力的。
 ピエール・モントゥー のハイドンの録音は少ないようだが、もし他の曲があれば聞いてみたいと思った次第。
 2018年7月27日 オットー・クレンペラー ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 101番を聴取。第1楽章の提示部の繰り返しはなし。一方、第2楽章は繰り返しを忠実に守る。第2楽章のテンポは、かなりゆっくり目。
  第3楽章のTrioの冒頭。今まで聴いて来た演奏では、このfl.のsoloの部分でT84から入ってくる部分。通常はスタッカートやスラーではない。クレンペラーの場合は、スタッカートになっている。T86で4分音符はスタッカートの表示になっている。これに呼応するために、最初のT84から既にスタッカートで表現しているのではないか。Tiroの後半では、スラー旋律が続くので、旨く対比させていると思った。録音は、No.100とは大差はないようだが。はやりダイナミックレンジが少し狭い。最近聴取したピエール・モントゥー ウイーンフィル で良い録音にめぐり合ったのとは少し差を感じた。
 2018年8月6日  スピルナー No.101を聴取。ザロモンセットでは2015年10月の録音で指揮者はスピルナー。ひとつ前のNo.104は第1集で録音は、1999年でファイの指揮。一方の No.101は 指揮者と録音場所も違う。録音は2015年になっている。
 録音の方でも、こちらの方はダイナミックレンジや広がり感は、余り差はないよう。しかし楽器の音の細かい音まで近接音が鮮明。弦楽器のピチカートなどは、vn.はもとより、低弦の厚い響きがホールの近い部分で聴いている雰囲気。
過去のスピルナーの最初の聴取記録は記載した。今回は2枚目となり、後期の作品では初めてとなる。奏者の数は中期や初期の頃と比較して、少し多いかもしれない。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-695.html
展開部の中間当たりのT169当たり。冒頭から低弦のvc.とbassの分離は随所にあるが。この箇所では、少し前からvc.が高い音域で入ってくる。そのわずか2小節後のT171で低弦がTuittiで演奏する。音の高低差と唸るようなbass.の厚みの差が印象的。

 なお、ファイとスピルナーの違いについては私には見出せない。微妙にテンポや強弱を変える点、繰り返しをほぼ忠実に守り、繰り返しの後半では、管楽器を中心としたSOLOの箇所での装飾を適宜採用。Hr.を含めた打楽器群の鮮明さ。楽譜によってはスタッカートあるいは、ノンレガートの箇所をスラーで柔らかく表現したり。(第3楽章 tiro の中間部 T100のfl. soloの部分など。少し前に聴取した クレンペラーとは対照的) 他にもまだファイなりの特徴はあると思うが、少なくともスピルナーの表記がなければ、私にはファイと同じ様な解釈だと思う。
 2018年9月18日 レナード・スラットキン フィルハーモニア管弦楽団 No.101を聴取。冒頭、序奏のTuittiでfl.の高い音は控えめ。先日聞いた ピエール・モントゥー ウイーンフィル聞いたbassの分離について、記載をした。(下記のブログ)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-962.html

モダン楽器で大編成のこの演奏であるが。録音が新しく分離感もよいこともあり、厚みが印象的。たとえば、提示部 T35から、vc.が高い音域で上がっていく部分。Bass.は同じ音程で刻むが、vc.が高い部分にめがけて、vn.と競っているような分に良く分かる。この部分以外に、様々な部分でvc.は高い音域で追随しながら時には、bassと同じ低い音域で一気に、下がっていく部分が昔から一番、好きなポイントとしていた。録音がよいこともあって、弦の厚みを生かした好演と思った。
 
2018年 10月14日 101番 レイモン・レッパード The Scottish Chamber Orchesta を聴取。2枚組みのCDで、1枚目は第1期ザロモンNo.94、98。第2期ザロモンのNo.101、104となっている。第2期のは弦楽器を含めたsoloの箇所が少なくその分、Tuittiでの弦の厚みが逆に聴き所になる。No.101のFinaleの中間部でT189からフーガの様に冒頭の主題が展開していく部分がある。ここでは 第1vn.からpianissimoの記載がある。直前での音量の対比、調性の変化など、この部分の対比が印象的。特に各弦の最初の1小節目で、弦の奏法を少し変えているようにも感じる。
 
2018年12月30日 クイケン ラ・プティト・ バンド No.101を聴取。No.100と違って、フォルテピアノが右側やや奥へ入っているのが良く分かる(主にbass.の部分の旋律を担当しているようだ) 各パートの動きが良く分かる例は、今まで記載をして来た。ところによっては丁寧に表現している部分がある。第1主題が提示された後、経過部のT20の部分。ここでは得てして、2つのvn.パートが目立ってしまう箇所。スコアの弦楽器より上の部分にある管楽器と打楽器は、8分音符の休止記号が途中にある。一方va.とbassは拍子の最初の部分にある。休符の箇所が微妙にずれている。2つのVn.の影に埋もれているが、この休符のズレが良く分かる。クイケンの演奏は通常通り、提示部は繰り返しあり。しかしこの部分は展開部や再現部では登場しないので、ここだけの箇所がポイントになる。
 2019年7月2日 101番 N マリナー を聴取。No.100は以前聴取した。このときNo.101も合わせてカップリングされていたが、漏れていたようだ。トータルの曲の長さがかなり長く、各楽章の様々な特徴を持つ。第2楽章は変奏曲の典型で、ハイドンに余り関心のない聴衆にとっては、曲の中間部分にもあたることも重なり、退屈な印象のひとつになるかもしれない。マリナーNo.55にも触れたが、変奏曲のたとえとして肖像画がある。絵画自体は時間は止まっているまま。しかし音楽は時間が伴う。作曲者が書いたスコアは、あくまで骨格である。絵でたとえれば、水彩画で書いたスケッチの様なもの。肖像画でも水彩画で書いたものが最初のに表紙になる。変奏のたびに、この絵をめくるというか、ひっくり返して楽しむたとえ。表紙の出だしの部分では、肖像画の顔が主題となり、その周囲にある背景(色の種類、濃淡、模様など)は、伴奏に当たる。現代の時代だとホームページをみるときトップページがあり、メニューをクリックをすると、同期したサブページが次々に変わっていく雰囲気。
 最初のページを次にめくると、次に変奏になる。同じ人物の顔はは同じかもしれないが表情が多少異なる。また、着ている服装や、背景の色や模様が異なる。これが時間とともに変わっていく。絵と音楽の関係のたとえで関連してみると、曲の面白みが変わってくる。

なお、マリナー自体の演奏では、第3楽章のMenuetの冒頭の部分。通常は曲によっては、前打音の扱いで、拍子の裏拍として、少し音量を落としているケースがある。No.98の第3楽章のMenuetなどは、どちらかといえば、この傾向が強いかもしれない。通常は正規の1小節めの第1拍にアクセントが来ることが多い。これにともない、冒頭の出だしの3拍目は、やや音量を落とし、第1拍目に切れ目のあるようにつながる印象が多い。ところがマリナーの場合は、最初からこの冒頭の出だしの3拍目の音量が大きく、しかもTenute気味に、あくまで主旋律の動機とセットでつながっている。冒頭からいつもの指揮者で聞く旋律が異なる雰囲気。
マリナーNo.98の録音はしていないようだ。もしNo.98を録音していたら、第3楽章の冒頭の3拍目はどの様に演奏していたのか興味のあるところだ。正規の1小節目にアクセントがあるのはもちろん、vn.とfl.がユニゾンで装飾音がある。この装飾音を含めて、どの様に解釈するかも気になるところ。
 101番 プラハ室内管弦楽団 指揮者なし を聴取。No.100からの引き続き。No.100と同様に録音のレンジが狭く、各楽章間での音量差が不自然。第1楽章が音量で終わり、第2楽章の弱音から始まる。レンジが広ければ、この音量の差も聴き所。しかし、第2楽章では録音レベルをこの時だけ上げた様な、不自然な印象。
 No.100も少し聞こえてきたが、録音の時とは違うようなノイズが、弱音を中心に時折、「プリプチ」僅かだが聞こえる。左右にも差があり、奏者が発する音ではない雰囲気。かつてCDが発売された当初、LPからの過渡期で、このような音が聞こえたいた。録音時期も82年になっている。CDでプレスする際に、支障が生じた音かもしれない。録音が、もともとよいのではなくNo.100と同様に印象が少ない。
 101番 Igol Ivanenko st, Peterburg RSO

2021 年11月20日 聴取。The Rose Collction 直輸入盤 ,MADE IN DENMARK となっている。2曲めはNo.104を収録。モダン楽器でvn.は通常配置。第2楽章の変奏曲はテンポの変化は殆どない。取り立ててこの演奏自体の印象は余りない。


 ところでこの第1楽章の序奏の部分。CDのライナーノートや名曲解説全集などでこの序奏について、主題との関連性は、余り記述されなかったと思う。短調と長調の調性やテンポも異なる。しかし最近、私が思うに冒頭の序奏の動機。第2vn.が上行していく4分音符の動機と第1vn.のT24 第1主題の一部。共通している部分がある。この楽章は、No.102と同様にあらゆる動機が練達のように登場、展開されている。メインの第1主題の動機は、すでに冒頭の序奏から暗示していると思う。これは、No.101にとどまらず、No.102やNo104にも共通していると思うが。
 2022年3月29日 101番 Thomas Beecham Royal Philharmony orchetra トーマス・ビーチャム ロイヤルフィルハーモニー を聴取。No.100から引き続く。No.100にも記述をしたが、録音がかなり悪く、各パートの分離感が悪い。モノラルではないが、疑似ステレオのように聞こえる。このため特に印象はない。
 2022年8月15日 J テイト イギリス室内管弦楽団 Jeffrey Tate English Chamber Orchestra 101番 を聴取。No.99から引き続き聴取。調性にもよるのか、D-durのため、全体的に音色が明るい。また打楽器群の音量も、No.99よりも大き目に入っているようだ。録音による違いか?古楽器だと調性による音色は分かりやすいが、モダン楽器でもこれほど差があるのは珍しいと思った。
 日本語解説で第3楽章のMenuetto は、壮麗で当時、第2楽章よりも受けていたと記述がある。また、音楽時計にも編曲されている。小節数もNo.104よりも長い。Menuetto の後半の展開的部分も長い。Trio の後半では Menuetto に関連した旋律も登場し統一感もある。壮麗の表現もあるが、構成からして大規模になると思う。 
一方、最初の第1楽章と第4楽章に関して。第1楽章は短い動機が主体で小節数も多い。旋律的な要素は少ない。(No.102の第1楽章も練達の表現になると思うが、第2主題は、短いながらも、第1主題とは明白に対峙しているのとは対照的) 第4楽章も、ロンドソナタ型式の一種だと思うが、後半にはフーガ風の展開的な部分もある。一度、聞いただけでは、特にFinaleなどは構成が分かり難くい。初演あるいは、再演後の当時の聴衆者にとって、これほど長い小節数の第1楽章とFinaleを聴くと、ある意味、曲全体の構成が分かり難い印象だったと思う。
 それに対して、第2、3楽章は、当時から人気があった。中間の楽章は、構成が分かりやすこともあり、人気があったことは理解できる。
ハイドン作品辞典によると、音楽時計への編曲は原曲と異なり、C-durの 調性となっている。これによると、他の作品も含めて大半は C‐durとF‐dur になっている。D‐durはない。楽器の構成からCとFに限定される制限があったからか?データによると、収録時間も短いので省略されているかも。
 D‐durの原曲を C‐durに移調した場合、楽器の数が減ることもあって、どのような雰囲気の曲なのか、気になった。

2023年1月7日 101番  R グッドマン ハノーヴァバンド Roy Goodman The Hanover band を聴取。指揮者は中央に位置しフォルテピアノで通奏低音の部分を中心に入っている。通奏低音のbass.の旋律だけではなく、高い音域も必要に応じて、時には旋律の一部のように活躍。下記のレビューにも好演の記述あり

http://micha072.blog.fc2.com/blog-entry-268.html

概してテンポは速め。特に第3楽章  Menuetto は かなり速く、あたかもスケルツオの様な雰囲気。上記レビューで Menuetto の拍子について 前拍を無視して、第1拍めを強調しているリズム感について記載があった。確かに、このアクセントは効果的。過去の同じ曲で  マリナーの場合、 前拍を強調したのとは対照的。 もともと、この曲は Menuetto の小節数が長い。この演奏ではTrioの後、 Menuetto が回帰してきて、全て繰り返しを採用。速いテンポでありながらも全て繰り返しを行っているので、なおさら Menuetto ではなくスケルツオのように感じるのかもしれない。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1201.html

timp.はかなり派手に入っている。 録音は、打楽器群はもとより菅楽器もやや前の方で聞こえ、奥行き感がやや不足気味。その分、中央の指揮者のフォルテピアノの音が明白。各パートの動きはよくわかる。

指揮者はフォルテピアノを両手で弾きながら、なおかつ、指揮をしている。第2楽章の中間部で、第1vn.と管楽器のみが掛け合う弱奏の部分がかなり続く。(T63〜T75) 弱奏の部分でもあり、フォルテピアノはこの箇所では演奏をしていない。この間、指揮者はフォルテピアノを離れて少し、立って指揮をしていたのか? 協奏曲のsoloとちがって、通奏低音が主体なので、指揮者は暗譜で演奏はしていないと思う。指揮者のそばには、譜面をめくる人もそばにいたと思うが。初期や中期の交響曲と異なり楽器の数が多く、スコアのページ数も多い。
Menuetto の一つにとっても、小節数が長く速いテンポも相まって、めくる人の操作も結構、大変だったのではないかと推定する。
ライナーノートによるとこのフォルテピアノは1798年の製造となっていた。当時の作曲年代にかなり近い。弦楽器も古楽器になっているので、奏者の少ない分、当時の音源に近い雰囲気だったかもしれない。グッドマン自身、交響曲No.1からNo.92まではcmb.を使用。その後の交響曲はフォルテピアノを使用していたと言及。
vn.は対向配置。ライナーノートの中の録音風景の写真を見ると、フォルテピアノは中央にあるが左側から中央への方向なので、第2vn.の奏者の風景が映っている。第2vn.の奏者は7名は最低、映っている。第1vn.は少なくとも7名以上だと思うので、奏者としては思ったより多いかもしれない。

ライナーノートでは弦の奏者は下記の通りに記載があった。

7:7:4:4:2

グッドマンは立って指揮をしている。譜面をめくる人は映っていない。たまたま撮影のときに、不在だったのか、見えない角度にいたのか?
 
あるいは、元々、めくる人はいなかったのか? もしいなかったのなら、指揮者と通奏低音を兼ねるのは、とてもテクニックがいると思うが。 
ライヴの収録ではないが、録音データによると、この後のNo.102などを含めて、3日間で収録している。3日間の収録で一気にここまで短期間に仕上げたのにはびっくりする。
2023年6月2日 101番  C アバド ヨーロッパ室内管弦楽団。を聴取。No.93から引き続く。No.93にも共通しているが、 アバドの演奏は、意外にもテンポよりも音量の強弱を微妙につけている雰囲気。一般に多くの指揮者は弱奏の部分では比較的テンポを落とすことが多い。アバドも共通していると思うが、意外な仕掛けの様にこの演奏では楽しめる。第2楽章の変奏曲のT34の部分。T35からは短調の中間部に入る直前の部分。繰り返しがあるので、最初はT34部分はT11までいったん戻る。T34の箇所は、大半の指揮者も同様かもしれないが、1回目は、テンポを少し落として、音量を抑えT11に引き続くような流れを作る。これに伴って T34で2回目の部分は転調した強奏の対比が聴き所となっている。アバドだけでないかもしれないが、この部分が印象に残った。
 なお、このCDの表紙も興味深い。No.93とNo.101の2曲がセットで収録されている。表紙
誰もが見ても直ぐに分かるような時計の分解図なっている。日本語解説の表紙は  sammelsurium(F メックスエペール 画)となっている。絵画の人物ついてはよく分からない。  Sammelsurium の意味は、寄せ集めとなっている。時計の部品一部であることは明らかだ。少し調べてたら、色々な機構があるらしい。(参考サイト)

https://www.rasin.co.jp/blog/special/mechanical_structure/

ハイドンが作曲していた年代は既に、機械式時計が普及し秒単位までの測定が可能であった。天文学を含めた様々な知識に興味のあったハイドンから、時計も興味のひとつだったと思う。
22023年6月15日 H S イッシェルシュステット Sinphonieorchester des Norddeuchen Rundfunks Hambrug 101番 を聴取。中古で入下が、made in italy S,I,A,E 1994年 ぐらいのデータしか分からない。録音はモノラル。CDの最初の1曲目はモーツァルトのNo.41が収録。ハイドンの方も、録音のためか取り立てて印象は余りない。
 2023年7月11日 101番 フリッツ・ライナー(Fritz Reiner)指揮 交響楽団を聴取。昔からの伝統的な名演の一つのためか、ネットで検索してみると多くのレビューがある。下記のサイトはその一つ。私の入手したCDの写真(No.95に記載済)は余り見かけない。RCA gold seal のシリーズの1枚のひとつになっている。録音については、一つ前のNo.95と同じような雰囲気。
 No.95の方は、vc.のsolo の箇所がある。それに対してNo.101の方はvc.のsolo はないが、菅楽器を中心としたsoloの箇所は多い。

http://classicalcd.la.coocan.jp/cdreviews/2013-1/2013063001.htm

指揮者の体調にも配慮しているのか、No.95も同様だが第1楽章、提示部の繰り返しがない。第2楽章の中間部のT78の部分。(管楽器と第1vn.が掛け合う箇所のひとつ)T76とT77の部分でfl.がスタッカートで吹いている。

No.95と共に、No.101は、往年の名盤とされている。2曲に共通しているが、概してテンポは全体的に遅め。各楽章の終わり方が、ややテンポを落としているのは共通している。Tuittiの箇所で管楽器や打楽器群が分かり難い。ユニゾンの箇所で、各パートの音が埋もれてしまう。当時としての録音はよい方かもしれない。しかし私にとっては、奏者の大小に関わらず tuitti の箇所で各パートが聞こえている方を好む。この好みに合う演奏ではないのが残念。
 
なお再度この機会に、3曲目にあたるNo.88を再度、聴取してみた。録音はこちらの方がレンジはもっと広い。左右の広がり感も大きく、弦を含めた音の鮮度が良い。No.88の方を好演とレビューしたが録音を含めて、こちらは好演の感想は変わりない。

 2023年8月10日 101番 カラヤン ベルリンフィル EMI盤 を聴取。CDは3曲 収録されている。収録順番からすると1番目だが、作曲年代からの聴取のため2曲目になる。指揮者と録音会場は同じで、収録日が少し異なる程度。編成は大きくなりcl.が入る。No.83から引き続くと、録音がかなり異なり、この後のベルリンフィルハーモニーのホールで聞くような、残響のやや多い録音。No.83と比べると残響が多いためか 鮮度がやや不足、レンジが少し狭い。奏者の方が、こちらの方が多いのか。最近では、古楽器で奏者が少ない録音が多い中、対照的な録音。
 ザロモンセットの曲はsoloの箇所も適宜はあるが、初期や中期の頃と比べると比較的少ない。弦のユニゾンの箇所も適宜ある。第1楽章 展開部のT185の部分。ここでは管楽器が休み、低弦を含む全てのパートがユニゾンで弾く箇所。多い奏者を生かしての聴き所の箇所だが、それなりには聴き応えがある。tuittiの箇所でtimp.を含む、弦以外のパートは分かり難い。No.83で録音に関して、かなり詳しく記述した。数日間で一騎に録音しているので、奏者のメンバーはそれほど大差がないと思う。録音プロデューサーなどは同じようだ。しかしNo.83と比べると異なる。
 カラヤン自身、録音に関しては、最後でテイクに加わっていると思う。2曲の録音の差にいて、どのように思っていたのか。No.83のパリセットはやや小編成で、soloのパートを生かすのが前提。それに対して、No.101は、ザロモンセットの大規模な曲のひとつという解釈からこの録音でよいと判断したのかもしれない。
 2024年7月16日 101番 室内楽版 コンバティメント・コンソート・アムステルダム を聴取。No.100から引き続く。No.100は、打楽器群が入るが、従来よりも追加でのシンバルなどの追加の打楽器が入る。しかしこちらの方はtimp.とtrp.のみ。No.100の第2楽章はtrp.のファンファーレの部分は、vn.が担った。一方、No.101の第2楽章 T135の部分。フルオケの部分では timp.が急に入り目立つ部分。この演奏ではtimp.の部分は休んでいるため、柔らかい雰囲気。
2曲を通して聴いた場合、菅楽器のsoloの箇所が多いNo.100の方が印象に残る。すなわち、菅楽器の各パートの動きが、フルのオケでは弦楽器に埋もれてしまい分かり難い。それに対して、弦の奏者の数が少なく、しかもfl.が1名の編成。このため各パートの動きがよくわかる。それに対して、No.101の方は第2楽章の一部はsoloの箇所があるものの、概して、No.100と比較してユニゾンの箇所が多い。このため編曲版としては、聴き所はやや下がる雰囲気。
 このCDは国内発売盤で発売元がPONY canyon となっている。録音の関係者も全て、日本人の氏名となっていた。オランダの録音会場であるが、なぜ、日本の会社が録音をしたのか、今ひとつ分かり難い。
またライナーノート CDの音楽監督の JAN WILLEM DE VRIEND の和訳が入っている。最後の部分でザロモンの手書きのスコアは、現在、南カリフォルニア大学に保存されている。自筆楽譜に記されている日付は1794年の日付は意外にも早い時期といえる。急いで書かれた原稿は時間に追われていたかのように見受けられるが、まだ、この時点ではハイドンとの契約が結ばれていなかったはずである。きっとその編曲は締め切りに合わせて急いで書き出されたというのがもっともらしい解釈であろう。それともハイドンがロンドンを離れる前に、彼の前で演奏するためであったのだろうか?
善意のある考え方なら、ハイドンの前で編曲版を披露したいために、早く作曲したとも考えられる。しかし悪意ではないものの、作曲者の同意を得ないまま、勝手に編曲を行ったとも解釈に取れる。そうなるとある意味、盗作にも相当する。この文章の少し前にザロモンは1795年に最初の6曲の交響曲と1796年に最後の6曲の交響曲に契約を交わした。これら12曲の権利を握っていて、作品を自由にできる権利を得たのは、契約上は1795年になる。
善意でない解釈とした場合、盗作とも考えられる。1794年の日付の入った編曲版の自筆楽譜は、具体的には6曲の内、全ての曲なのか一部の交響曲かの記載はない。しかしいずれにしても興味深い。仮に少しでも悪意のある解釈だった場合、2回目のロンドンの旅行に招聘されなかった可能性もある。(もし少しでも悪意があった場合、最初の6曲の交響曲をハイドンに無断で出版した可能性)しかしザロモンの招聘で再びロンドンに渡英し、6曲の交響曲を作曲した。このような事実からも、悪意はないものと私は思う。

 録音会場の  waalse church、amsterdam は、現存しており、下記のサイトからも外部や内部の様子が分かる。 中心街の鉄道駅から徒歩圏内の旧市街にある。隣接する修道院の中庭が市街地まで続いていて、東インド会社がかつて置かれていたらしい。

https://www.amsterdamsights.com/attractions/waalsekerk.html

ライナーノート P8には7名の奏者が一同に集まった写真が掲載されている。高い位置は切れているが、上段にはパイプオルガンが上記のサイトではみられる。このオルガンは今でも使用されていて、無料のコンサートを開催しながら、オルガン維持のための寄付を募っているようだ。