音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.9 hob-No19) 2023年9月1日 リンクラベルを付ける更新
|
2021年10月28日 Johanees klumpp Heidelberger sinfoniker 19番を聴取。最後の5曲目ですべて長調の中でこの曲のみD―dur。スコアでみると、特に曲によって特にvn.パートの違いがよく分かる。第1番から入っているシンコペーションの動機はこの曲にも随所にある。これまでの4曲で2つのvn.は、どちらかといえば同じ音程の箇所で動くユニゾンの箇所も、それなりにあった。しかしNo.19に関しては、同じ音程のユニゾンの箇所は殆どない。第2vn.では大半は、第1vn.よりも低い音域を受け持ち、独自の動きも多い。譜例でも微妙に音程は異なっている。(枠で囲っている部分)対向配置を生かして、このあたりがよくわかる。管楽器のhr.も必要に応じて、強調するスタイルはこの曲でも同様。(T6、7、9など) アントニーニの最近、聴取した演奏では、vn.は4名と3名。第2vn.は1名少なくなっていた。こちらは同じ奏者の数なので、さらにvn.の音色を楽しめる。モダン楽器のためか、アントニーニと違い明るい響きがさらに目立つ。 今回はあえて国内発売盤を購入した。価格は約800円近く輸入盤より高い。Va.奏者の矢崎裕一による解説が日本語で同封されている。「新しい音楽監督、ヨハネス クランプとの出会い」 「コロナ渦で再始動したハイデルベルグのハイドン」のタイトルを中心に輸入盤とは別に記述されているようだ。 最初のタイトルでファイが指揮台に立てなくて存続の危機にあったころ。今の指揮者とは「馬が合う」の記述がある。この演奏を聴く限り、私には ファイ が演奏しているようにしか聞こえないほどその違いは分からない。 また後段のコロナ渦の録音について。3密を避け、ソーシャディスタンスをとるため基本的にすべての奏者の距離を1.5mの配置をとったこと。1人ずつの譜面台なので、音の聞こえ方は通常とは異なること。聞き分ける感覚が入ってきたこと。これらの記述は、奏者の立場でないとわからない。この点では国内盤を購入した価値は少しある。 しかしライナーノートはCD3枚分の裏表の印刷のみ。折り曲げて収納してあるので、ページ番号が印刷してあるものの小さい字なので見えにくい。(輸入盤の通常のライナーノートは、通し番号で大きい数字で印刷してあるのとは対照的) このため邦訳を読むにあたって順序がわかりにくい。また日本語解説者の顔写真などの掲載もない。邦訳として価格を上乗せするのなら、せめてもう少しページ数を増やすとか、執筆者の顔写真を掲載するなどの配慮があったほうが良い。価格の上乗せ分の価値が、やや下がっていると思った。 アントニーニのライナーノートは マグナム フォトの多くの写真とも相まって、ブックレットとしての楽しみがある。 それに対してこの輸入盤の方も白黒写真が中心。しかも過去と同じものが掲載されている。Facebookでもこの演奏者が集合している写真は見ることができる。新しい最新の情報を掲載する上でも、録音風景の様子などを含めた装丁の追加を望みたい。すでに次の第26集も録音済とのこと。次回の装丁はもう少し工夫が欲しいと思った。 2023年8月24日 19番 R グッドマン ハノーヴァバンド Roy Goodman The Hanover band を聴取。最近このあたりの曲は、J klumpp とアントニーニを聴取した。前者のklummpはモダン楽器だが、第1、第2vn.の奏者の数が4名で同じ数。それに対して、アントニーニの方は、4名と3名で、第2vn.の奏者が少ない。ハイドンは初期の頃から2つのvn.のパートは独自の動きが多い。No.17から聴き通してみると、No.17とNo.18は、余り両者の動きが少ないようだ。しかしそれに対して、No.19は、明らかに独自の動きが多く、2つのパートの掛け合いが面白い。晩年のNo.102の第1楽章などは、冒頭のみが同じで、最後まで2通所者のパートが分かれていると思った。 |
対向配置であれば、なおさら聴き所となる。グッドマンのvn.の各奏者の数の詳細は分からない。しかし奏者の数は対等のように聞こえる。2つのvn.の間に指揮者のcmb.のグッドマンがいる。緩徐楽章も含めて、cmb.は比較的大き目の音量で入っている。中央にcmb.が入った、vn.の掛け合いが楽しめる演奏。Finaleも、譜例のT51からの掛け合いなど聴き所。 ライナーノートのP5に、指揮をしているグッドマンの写真がある。この写真のカットは、cmb.の後ろにある椅子に座っていないで、指揮をしているようだ。No.17〜20までの3曲までを聴き通してみて、伴奏しているcmb.は殆ど弾いている。 D R デイビス盤では、緩徐楽章は、cmb.が入っていないと思うが、あくまで伴奏のみ。それに対してグッドマンは、指揮を兼ねながら伴奏もかねている。伴奏がない箇所は殆どなさそうだ。それでも、一瞬の間かもしれないが、伴奏のないときは、立っていないで指揮をしていたのか? 昔、バーンスタインだと思ったが、ピアノの独奏をしながら協奏曲の指揮もしていた。たしか、ベートーベンのどれかの曲だと思った。この時、独奏者はピアノの椅子に座って指揮指揮棒を持たずに右手でしていた。ベートーベンの協奏曲は、独奏ピアノが登場しない部分がある。この部分は比較的長いので、椅子から立つことも考えられる。しかし座っていた。床にあるピアノに座っていると、高さが低いので、指揮者から離れると見えにくいと思う。グッドマンの場合は、小編成であるので、座っても指揮者の姿が分かりやすいと思ったが。 2024年8月24 日 ドラティ盤 No.19を聴取。No.18から引き続く。D-DURで最もよく使われる調性。冒頭から、hr.が活躍。また、第1。第2vn.の掛け合いも聴き所の一つ。下記のレビュー (J クランプ)の譜例あり。 |
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1948.html 対向配置でないために、vn.の掛け合いはやや不満。hr.の活躍は、それほど目立たないが、要所を引き立てている雰囲気。 第3楽章 Finaleの展開部 T51の部分。スコアでは第1vn.に f の16分音符の記載がある。T52の第2vn.とともに、一瞬だが緊張を生み出す箇所。J アントニーニ は古楽器でこの箇所は、切れのあると思った所。ドラティはモダン楽器の奏者だが、ここでも切れのある印象。 |
|
|
|