音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.9 hob-No19

2023年9月1日 リンクラベルを付ける更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
10 19 1757頃 D 3 -  -  - - (1) D 第1楽章、第2楽章を中心としたvn.の掛け合い。
       1 D Alleglo molto
       2 Andante
       3 D Presto

2010年11月30日:第1楽章Allegloは、割合にはっきりした主題。経過部で第1vn.と第2vn.が掛け合うところは面白い。第2楽章は緩徐楽章の短調。低弦がvn.と掛け合うようなところは美しい。しかし全般的に聴き通すと、ここという特徴はなし。
 ドラティ盤は第1楽章のテンポは、フィッシャー盤と比較して速め。hr.の音もはっきりしていて各パートが珍しくフィッシャー盤よりもはっきりと聴こえる。D調の明るい雰囲気も相まって楽しく聴くことが出来る。第2楽章のAndanteも、第1楽章との対比がはっきりしている。ドラティ盤の方を勧めたい。

 第1楽章hr.の活躍ぶりは打楽器的。この手法は初めての登場と思う。hr.は同じ音程の箇所が多いこと。16部音符の箇所が少ないながらもあり、これが効果的になっている。それに対してNo.17は、この様なhr.の動きは見られないので対照的。

20191227日追記 タグとして20101130日とする)

2010125日 ディビス盤を聴取。曲自体の魅力は乏しい。No.17の先ほどの交響曲について、調性をそのままD調に移しただけの印象。
 ディビス盤は37枚のCDからなっている。作曲の順番に収録されているが、この様な分け方(編集方法)について、ジャケットを見てみた。4枚目までのHobNo.-32までが、Early symphonies の英語表記になっている。一方、HobNo.-15から28までは、The first symphonies written for prince esterhazy の記載になる。このCDを含む一連の交響曲はエステルハージ侯爵の前に分類されている。

2011723日 Hob-No-19 を、スコアを見ながら再度、聴取。フィッシャー盤は概してテンポが速いが、このAllegloに関しては遅め。ドラティ盤は、第1楽章は速めのテンポが、第2楽章では一転してゆっくり目。第3楽章の51小節から第2vn.が低い音域で強調して引いているのは意外な音色。
 一方、ディビス盤は、全体的にテンポは遅めなのは共通した点。第2楽章は、短調で弦楽器のみの使用。vn.は、まだ弱音器の使用はなし。前回と比べても、残念ながらランクはDのまま。

201329日 追記。ホグウッド盤を聴取。第1楽章、第2楽章を中心としたvn.の掛け合いをこの曲の特徴と記載をした。ホグウッド盤では、小編成でもあり、この部分が細かく聴き取れる。展示部だった旋律が、再現部では微妙に異なる。
 ホグウッド盤では、第2楽章の展開部と再現部の繰り返しは省略。


2018年4月28日 ハンス・ロスバウト指揮のバーデン=バーデン南西ドイツ放送交響楽団No.19を聴取。ハイドン音盤倉庫にも、一部ではあるがレビューされている。

http://haydnrecarchive.blog130.fc2.com/blog-entry-1666.html

CD
7枚組みであるが交響曲も含まれている。作曲順番から通して聴くため、今回はNo.19からスタート。1961年のモノラル録音。録音時期が古いこともありダイナミックレンジもやや狭い。モノラルのため音の広がりが分からない。
 自分なりの曲のランキングでも低い評価をしていることもあり、曲自体の印象が余りない曲のひとつ。井上著 ハイドン106の交響曲を聴く でも「凡作」と一蹴されているが私も同じ感想。
 第1楽章のvn.パートも掛け合いが聴き所であるが、モノ録音のため、掛け合いが分からない。No.17と異なり、hr.独自の動きがあるが、余り目立たない。(録音による影響も多いようだ)第1楽章の提示部の繰り返しは行うが、展開部と再現部の繰り返しはなし。第2楽章も全て繰り返しがない。全体的に、これといった特徴は余り見出せない印象。


2019年218日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン管弦楽団 19を聴取。まとめて作曲された初期の一連の曲のひとつ。それぞれ共通した特徴があると思う。大半は3楽章で、中間部は疾風怒濤時代と異なり弦楽器のみを使用。必要に応じて、vn.は弱音器やピチカートが使用される。このNo.20はひとつ前のNo.17と同様に弦楽器で弦楽器のみ。57小節しかなく繰り返しをすべてしても、メルツェンドルファーでも354 しかない。
 シンコペーション風のリズムが提示部の後半、T13から登場する。この旋律は展開部と再現部にも登場するので役割が高い。この部分では、第1vn.va.以外に対旋律である下降する旋律も登場する。特に第2vn.の音色は、やや低い音域で第1vn.に消されて姉妹勝ち。対向配置であるが、メルツェンドルファーでは対等に聴こえる。ハイドンの魅力のひとつに、各パートの分離感と一体感の対比がある。この部分が典型のひとつ。録音も良好。

 20191029日 19  Kevin Mallon K マロン Toronto Chamber Ochestraを聴取。井上著では「凡作」の一つと一蹴されているが、確かに曲の魅力としては少ない方。メルテンドルファーの演奏で、弦楽器のみで演奏される第2楽章の提示分のT1の部分。(下記のブログに譜面あり)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1085.html

 メルテンドルファーの場合は、各パートが対等に演奏していると記載した。マロンの場合は通常通り。ただし類似箇所で提示部と再現部では、この旋律に微妙に強弱をつけている。

 
2020
4月1日 19番 ジョヴァンニ・アントニーニ カンマ―オーケストラバーゼル を聴取。第5集の最後の曲。最も多い調性のDで最初期の頃の一つ。弦のキレの良さは今まで同様。ここでは奏者の数について記載をしたい。一つ前の  クラウスの作品は、hr.が4人でその前のハイドンの後期の交響曲と同様に弦の数は多かった。これに対して、こちらの方は初期の作品ということもあり奏者の数を減らしている。ライナーノートによると弦の奏者は以下の通り。5:4:3:2:1


ここで注目するのは、bass.が1名。さらにfg.が1名になっている。低弦が少なくなり、特にfg.が1名となっている。しかしながら、fg.を含めて低弦の音量は厚みが十分。下記のFinaleの箇所でも(弦楽器のみ記載だが) fg.が明白に入っている。(展開部で低弦での独自の動きの箇所)


このシリーズでジャケット写真の解説については、以下のブログに掲載されている。これによると、イタリヤ ローマ ボルゲーゼ 美術館とのこと。
https://runchibi0808.blog.fc2.com/blog-entry-213.html#cm

 


19番 ジョヴァンニ・アントニーニ イル・ジャルディーノ・アルモニコ 追記 yotubeより

 

19番 ジョヴァンニ・アントニーニ イル・ジャルディーノ・アルモニコ 追記 youtubeより

202077日 19 ジョヴァンニ・アントニーニ イル・ジャルディーノ・アルモニコ を聴取。下記のアドレス。

https://www.youtube.com/watch?v=62i4UuM68xg

 19CDでもレビューは済んでいる(下記のアドレス)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1313.html

奏者の数はCDと同じようだ。演奏スタイルもCDと大きな違いは見いだせない。同じ指揮者で2つのオケを今までレビューしてきた。CDの音声での違いは私には分からない。Youtubeでも音声は同様。
 映像でも基本的に音声を中心では、やはりこの両者の違いは私には分からない。ハイドンザールの会場を除くと、2つのオケの会場はそれぞれ異なっている。スイスのバーゼル室内管弦楽団の方は、映像では複数の会場があるかもしれないが。その中の一つは、比較的小さな大きさのホール。最前列でも中央通路を挟んで、約7人が2段で約14人。ステージの左右にも少人数だが観客がいる。ホール全体の奥行きは余り広くないようだ。弦の奏者が54322:なので、初期の交響曲だと奥側に舞台の空席があるものの、ホール全体は小さめなのがよく分かる。
 また映像に映っている聴衆も面白い。もうひとつのイタリヤだと思うが、イル・ジャルディーノ・アルモニコの奏者の場合、ホールはスイスよりもやや大きめ。興味深いところは聴衆の様子にある。イタリヤの方は、比較的年齢層の高い客が大半を占めている。聴衆はアントニーニの常連客の様で、曲の雰囲気や様子がよく分かっている雰囲気。
 一方、スイスの方は聴衆の年齢は様々。子ども連れの客もいる。服装も普段着に近い人も多い。地方都市で身近な地域で、こじんまりと開催している雰囲気。この当たりの違いも映像ではよく分かり面白い。今のところ、Youtubeでのアントニーニの映像は一区切りの見込み。

 

 


Johanees
 klumpp  Heidelberger sinfoniker 19

20211028日 Johanees klumpp  Heidelberger sinfoniker 19番を聴取。最後の5曲目ですべて長調の中でこの曲のみDdur。スコアでみると、特に曲によって特にvn.パートの違いがよく分かる。第1番から入っているシンコペーションの動機はこの曲にも随所にある。これまでの4曲で2つのvn.は、どちらかといえば同じ音程の箇所で動くユニゾンの箇所も、それなりにあった。しかしNo.19に関しては、同じ音程のユニゾンの箇所は殆どない。第2vn.では大半は、第1vn.よりも低い音域を受け持ち、独自の動きも多い。譜例でも微妙に音程は異なっている。(枠で囲っている部分)対向配置を生かして、このあたりがよくわかる。管楽器のhr.も必要に応じて、強調するスタイルはこの曲でも同様。(T679など)

 アントニーニの最近、聴取した演奏では、vn.は4名と3名。第2vn.は1名少なくなっていた。こちらは同じ奏者の数なので、さらにvn.の音色を楽しめる。モダン楽器のためか、アントニーニと違い明るい響きがさらに目立つ。

 今回はあえて国内発売盤を購入した。価格は約800円近く輸入盤より高い。Va.奏者の矢崎裕一による解説が日本語で同封されている。「新しい音楽監督、ヨハネス クランプとの出会い」 「コロナ渦で再始動したハイデルベルグのハイドン」のタイトルを中心に輸入盤とは別に記述されているようだ。

最初のタイトルでファイが指揮台に立てなくて存続の危機にあったころ。今の指揮者とは「馬が合う」の記述がある。この演奏を聴く限り、私には ファイ が演奏しているようにしか聞こえないほどその違いは分からない。

 また後段のコロナ渦の録音について。3密を避け、ソーシャディスタンスをとるため基本的にすべての奏者の距離を1.5mの配置をとったこと。1人ずつの譜面台なので、音の聞こえ方は通常とは異なること。聞き分ける感覚が入ってきたこと。これらの記述は、奏者の立場でないとわからない。この点では国内盤を購入した価値は少しある。

しかしライナーノートはCD3枚分の裏表の印刷のみ。折り曲げて収納してあるので、ページ番号が印刷してあるものの小さい字なので見えにくい。(輸入盤の通常のライナーノートは、通し番号で大きい数字で印刷してあるのとは対照的) このため邦訳を読むにあたって順序がわかりにくい。また日本語解説者の顔写真などの掲載もない。邦訳として価格を上乗せするのなら、せめてもう少しページ数を増やすとか、執筆者の顔写真を掲載するなどの配慮があったほうが良い。価格の上乗せ分の価値が、やや下がっていると思った。 アントニーニのライナーノートは マグナム フォトの多くの写真とも相まって、ブックレットとしての楽しみがある。

 それに対してこの輸入盤の方も白黒写真が中心。しかも過去と同じものが掲載されている。Facebookでもこの演奏者が集合している写真は見ることができる。新しい最新の情報を掲載する上でも、録音風景の様子などを含めた装丁の追加を望みたい。すでに次の第26集も録音済とのこと。次回の装丁はもう少し工夫が欲しいと思った。

 2023年8月24日 19番 R グッドマン ハノーヴァバンド Roy Goodman The Hanover band を聴取。最近このあたりの曲は、J klumpp とアントニーニを聴取した。前者のklummpはモダン楽器だが、第1、第2vn.の奏者の数が4名で同じ数。それに対して、アントニーニの方は、4名と3名で、第2vn.の奏者が少ない。ハイドンは初期の頃から2つのvn.のパートは独自の動きが多い。No.17から聴き通してみると、No.17とNo.18は、余り両者の動きが少ないようだ。しかしそれに対して、No.19は、明らかに独自の動きが多く、2つのパートの掛け合いが面白い。晩年のNo.102の第1楽章などは、冒頭のみが同じで、最後まで2通所者のパートが分かれていると思った。
 対向配置であれば、なおさら聴き所となる。グッドマンのvn.の各奏者の数の詳細は分からない。しかし奏者の数は対等のように聞こえる。2つのvn.の間に指揮者のcmb.のグッドマンがいる。緩徐楽章も含めて、cmb.は比較的大き目の音量で入っている。中央にcmb.が入った、vn.の掛け合いが楽しめる演奏。Finaleも、譜例のT51からの掛け合いなど聴き所。
 ライナーノートのP5に、指揮をしているグッドマンの写真がある。この写真のカットは、cmb.の後ろにある椅子に座っていないで、指揮をしているようだ。No.17〜20までの3曲までを聴き通してみて、伴奏しているcmb.は殆ど弾いている。 D R デイビス盤では、緩徐楽章は、cmb.が入っていないと思うが、あくまで伴奏のみ。それに対してグッドマンは、指揮を兼ねながら伴奏もかねている。伴奏がない箇所は殆どなさそうだ。それでも、一瞬の間かもしれないが、伴奏のないときは、立っていないで指揮をしていたのか?
 昔、バーンスタインだと思ったが、ピアノの独奏をしながら協奏曲の指揮もしていた。たしか、ベートーベンのどれかの曲だと思った。この時、独奏者はピアノの椅子に座って指揮指揮棒を持たずに右手でしていた。ベートーベンの協奏曲は、独奏ピアノが登場しない部分がある。この部分は比較的長いので、椅子から立つことも考えられる。しかし座っていた。床にあるピアノに座っていると、高さが低いので、指揮者から離れると見えにくいと思う。グッドマンの場合は、小編成であるので、座っても指揮者の姿が分かりやすいと思ったが。
 2024年8月24 日 ドラティ盤 No.19を聴取。No.18から引き続く。D-DURで最もよく使われる調性。冒頭から、hr.が活躍。また、第1。第2vn.の掛け合いも聴き所の一つ。下記のレビュー (J クランプ)の譜例あり。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1948.html

対向配置でないために、vn.の掛け合いはやや不満。hr.の活躍は、それほど目立たないが、要所を引き立てている雰囲気。
 第3楽章 Finaleの展開部 T51の部分。スコアでは第1vn.に f の16分音符の記載がある。T52の第2vn.とともに、一瞬だが緊張を生み出す箇所。J アントニーニ は古楽器でこの箇所は、切れのあると思った所。ドラティはモダン楽器の奏者だが、ここでも切れのある印象。