(18))ウェブ アニメータ自筆楽譜から読み取れる作曲の様子
(その1) 自筆楽譜は、最近はネットでも公開される時代となった。最も好きな曲のひとつ、No.86が、公開されている。中野著「ハイドン交響曲」では、1786頃の作曲推定されていた。ラールセンが83、86、87番の自筆楽譜をパリの国立図書館で発見された。これにより、作曲年代が、1786年と確定された。No.83については、同じ著書で、自筆楽譜の表装、紙の質等のかなり細かく記述がある。
(その2)これらの自筆楽譜を実際に見たいものだと、かねてから、思っていた。 参考にしたのは、以下のブログ。
Micha Lute ブログU   
 このブログでは、No..86の演奏者の比較があったのは、かねてから賞賛をしていた。しかし、この中で、自筆楽譜がネットで公開されていることを、つい最近知った。そこで、早速、ダウンロードをして詳しく見た。その表紙は、No.83と同様に、背面を薄青色の紙によって、のちに、修復された青色のボール紙になっている。中野著では、白黒の写真のため、今ひとつイメージがしにくい。それに対して、実際のカラー写真が見られるのは驚嘆。
(その3)表紙の次に、2枚目にNo.83と同じ様な、タイトルページがある。これは10段の五線紙からなっていて、以後、最後まで続いている。また、詳しく私は読み取れないが、No.83と同様に、ハイドンのサインや、S ノイコムの鑑定などが記載されているようだ。2ページめから、第1楽章が記載されている。自筆楽譜であるので、ハイドンの筆跡による記譜が、その後に続いている。横長10段の五線紙は、No.83と同様に、上からhr.で始まっていて、最下段はbassとvc.が一緒に記載。必要に応じて、vc.だけが演奏する部分、別途同じ段に「vc.」と記載がされている。全体に共通する、その筆跡は、流れる様に書かれていて、印刷されたものとは、全く様相が異なる。 
(その4)同上のブログでも、「ハイドンが羽ペンを走らせながら書いた瞬間に音符が響き、誰よりも先に曲を楽しんでいる、そんな感じを受けます。」と記載がされている。ベートーヴェンだったかもしれないが、自筆楽譜を何度も訂正して、校正を重ねていたものを以前見た記憶がある。これに対してNo.86の自筆楽譜は、全くといっていいほど、訂正箇所がない。目立つ箇所としては、再現部のT158と、T160あたりの、5段目?のパートの部分に「×」印がある程度。これ以外は、殆ど訂正箇所が見当たらない。5段目は最初の2ページ目の冒頭を見ると、fg.のパートになる。作曲に要した実際に時間は、私には分からない。しかしながら、曲想が思いつくと、流れる様に、ペンを取って記載した雰囲気が、この自筆楽譜からも、読み取れる。
(その5)その後 残りの4ページは、追加となっているようだ。恐らく、trp.とtimp.が、後ほど加わえられた部分と思われる。残りの4ページは、全て、2段ずつ単位で構成。第2楽章は休み。休止の小節数も記載がある。最初から追加でなかったら、この休止の小節数があるのは府に落ちない。最初と最後の楽章を中心に、この追加パートが華々しく活躍する。後から、追加の自筆楽譜を見て、この追加の威力を、見せつけられるようにも感じた、

(その6)ネットで検索してみたら、下記の「おたくらしっく」と言うサイトに、告別交響曲No.45の自筆楽譜について、記述がしてあった。
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-6252.html
こちらは、パリセットと違って、かなり前に遡る。自筆楽譜は、縦長の12段になっている。有名な最後のAdagioの部分は、自筆楽譜は、vn.が4部のパートに分かれるので、これまで、8段で書いたものを12段に拡大。弦楽器はパート名を改めて記入。2箇所程度は、黒く塗りつぶしているころはあるらしいが、大半は、訂正がない。もし下書きであったならかなりラフに記載がされているとコメントがある。
(その7)実際、筆跡からして、この No.86も同様に「ラフ」に書かれている。下書きを清書することが無い場合、特別な思い入れはなかったのか? 作曲のため、締め切りが迫っていたため、慌てて書く必要がなければ、既に、頭の中でスラスラと書き入れるだけだったのか? ただし、この楽譜は、後に、別な人の筆跡で加筆がある。
  それに対して、この No.86は、表紙と2ページ目の扉を除いて、ハイドン以外の追加で書いたような筆跡は、私が見る限り、見当たらない。しかも同じインクの色で書いているようだ。(それに対してNo.83はインクは 薄茶、まれに黒と 2種類がある)同じインクを使っている点いる点からも、一気に書いた流れるようなイメージに合点がいく。
 
(その8) なお、No.83に関しては、パりセット6曲の中のひとつを占めている。中野著「ハイドン交響曲」によると、ハイドンの交響曲の最初の出版はパリであり、1780年代中葉までに、ハイドンの交響曲を、もっとも数多く出版したのもパリであった。また、ハイドンのいくつかの研究によると、フランスの公開演奏会で上演された最も古い記録はパリではなくリヨンで1772年の記録もある。
 さらに1773年に初めて、コンセール・スピリチュエルの演奏会、1779年にはコンセール・ザマトゥールの演奏会で、ハイドン交響曲が上演されている。1785年〜1786年に作曲された一連のパリセットは、パリのコセール・ド・ロージュ・オランピックの依頼に応じたものである。
 この事実を実証しえる史料として、1788年に出版されたアンボー版の「ロージュ・オランピックのレパートリー」と言う表記がある。また、このオーケストラの理事であったドニィ伯爵が自筆楽譜を所有していた。ハイドンの研究学者の一人、ラールセンがパリの国立図書館でこの自筆楽譜が発見された。所有者がドニィ伯爵とされた経緯がある。
  ロージュ・オランピックの理事たちは、ハイドンに十分な作曲量を支払ったのち、パリの2つの出版社に作曲料のおよそ倍額で版権を売り、その全額をハイドンに送ったと伝えられている。

(その9)
 その後、もう少し調べてみたら、パリ国立図書館のホームページに、 No.83の自筆楽譜が閲覧できる。(以下のアドレス)
http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b7400082q/f65.image
これを見ると、インクの色の関しては、まれに黒色と「ハイドン交響曲」では記載がしてあった。しかしながら、ざっと見た限り、殆ど、その色の差は見受けられない。ネットで「すかし」の詳細までは分からないが、最後の方の第61ページ finaleの複縦線「終わりに神の栄光を」の部分まで見ることができる。この書き方に関しても、No.86と同様に、全くといって良いほど、訂正箇所は、ごく僅かである。

(その10)検索の条件あるいは、タイミングがよかったのか、同じページに他の類似の交響曲No.87とNo.82も見ることができた。これらも、同じ所有者のためか、表装は同じ。また、ざっと見たところ、No.83、86と同様に、殆ど、訂正箇所がなく、流れる様に記載されている。自筆楽譜で、CDを聴取すると、印刷楽譜と違って、作曲者のハイドンと一体となった気分に浸れる。ネット時代の現代ならではの、有難さだと痛感した。