音楽聴取記録(交響曲の聴取 各曲の聴取記録 通しNo.102 hob-N100  
2021年12月26日 更新

No 
Hob.
No.
 
通称名   作曲年 調性   楽

 fl  fg trp  cl  timp   cmb ランク    聴きどころ、ポイント
102 100 ミリタリー 1792 G 4 -  -  - - (1) 打楽器の視覚効果を取り入れた頂点の曲。
       1 G Adagio-Alleglo
       2 D Allegretto
       3 G Menuet e trio:Moderato
4 G Finale:Presto
通称名は、日本では、「軍隊」として知られている。しかし、この名称であると、軍隊行進曲に象徴される様に、格式ばってしまう。元々のミリタリーという、カタカタ表記であると、古典的な軍隊用の打楽器を使った曲のひとつとして、解釈されやすいと思う。このため、通称名では「ミリタリー」を採用したい。
 ミリタリーとしての打楽器、大太鼓、シンバル、トライアングルは、第2楽章で初めて登場する。初演の時から、この第2楽章は、好評だったようで、最新名曲開設全集でも、後期ロンドン演奏会で、この第2楽章は頻繁にアンコールとして演奏されたと記載がある。現代では、単独で第2楽章だけを聴いても、大衆受けは、ある程度は、受け入れられるかもしれない。 ミリタリーの打楽器は、Finaleの最後の方でも登場する。
 この当時から、元々のエステルハージ公爵との縁は、形式上だけであり、作曲そのものがロンドンの聴衆であった。しかも聴衆そのものが、宮廷や貴族などの限定された富裕層だけでなく、入場料を払えば一般の市民もコンサートに行けた。言わば、現代のオーケストラの走りである。ハイドンも1990年頃から、貴族から一般の聴衆を対象に作曲に転換をした。
 この交響曲もそのひとつである。無論、当時は、ーデイオ装置などはなく、当時、流行の音楽を聴くには、コンサートに行くことが、ほぼ唯一の手段であった。(オーケストラからの編曲で、室内楽として音楽そのものを知ることは可能かもしれないが、タイムラグは生じてしまう。)コンサートに行くことは、視覚、すなわち演奏会を見る楽しみも加わる。
 今まで何度か、聴取をする際に視覚効果を記載して来た。実際に見てみたい演奏にふさわしい曲。この交響曲もその典型のひとつになる。すなわち、演奏の最初から打楽器は登場しているが、いつ音が出るのか。第1楽章は、快活でテンポの良い曲でありながらも、登場しない。聴衆は、はぐらかされたかもしれない。しかし、第2楽章の途中から突如、始まる。聴いていても面白い。しかし、コンサートとしての視覚効果を考えると、これほどの面白さはないと思う。第3楽章のMenuetでは、打楽器は登場しない。しかしFinaleのCodaになり、再度、打楽器が登場する。最後を締めくくるにもふさわしい。
 その他の聴き所として、第1楽章の最初の第1主題が、最高音域を持つfl.が担うこと。これまでにない例である。展開部で、ひとつ前のhob-No.-99にも見られた様に、第2主題が中心となって展開すること。これらも特徴のひとつではある。しかし、全曲を通してみて、やはり視覚効果に勝るものはない。
 フィッシャー盤では室内楽に近い小編成であるが、打楽器の迫力が際立っている。ドラティ盤は、それに対して打楽器の迫力に欠けてしまう。やはりフィッシャー盤を取りたい。

(2020年1月13日追記 タグとして2010年3月12日とする)
2011年1月15日 FM放送 吉田秀和 ハイドンその生涯と音楽 を聴取。曲の紹介で、当時のトルコ風の音楽の紹介の経緯がある。当時のロンドンの聴衆には、インパクトがあったし、人気にあった経緯にも言及。
 演奏は、アーノンクール指揮、ACO。Allegrettoの最初で、管楽器が登場する部分は通常通り。打楽器の部分では、かなり目立つ。シンバル以外に、他の打楽器(鞭)があるかも?。トライアングルなどの追加の打楽器は、右側に位置する。信号ラッパも当時の音色を重視している。(左側に位置)
 Finaleの後半に再度、追加の打楽器が入るが、第2楽章と同様に、迫力は十分。初演を含む当時の演奏会参加者にとって、これほど視覚効果が高い交響曲と評価をした。
 石多 正男 著 「交響曲の生涯」の本の中で コンサートホールの記述がある。当時のロンドンの初演で ハノーバ スクエア ルーム 当時の版画があった。 奥行き 24.1m*幅9.8mで聴衆 800人以上の収納が可能と記載がある。
 イラストからすると、ウイーン ニューイヤー コンサート会場をやや狭くしたレイアウト。聴衆は、オーケストラの演奏をどの場所からも見ることができるようだ。演奏開始直後から、追加の打楽器が登場。いつの場面で、この打楽器が演奏されるのか?初演を聴いた聴衆は、ワクワクしていたに違いない。また、初演後も口コミを聴いて、今か、今かと始まる打楽器の演奏を期待していた雰囲気が、イラストを見て、伝わってきそうだ。現代でもCDでなく実際の演奏で聴いてみたい曲に変わりなし。
2014年12月27日 デイビス盤を聴取。一つ前のNo.99では、Tuttiでの音の濁りが気になった。しかし、こちらの方は、さほど気にならず。第1主題の提示もfl.から出るように、管楽器が随所で活躍。第2楽章の太鼓、シンバルなどの楽器郡は、後方に位置。後方ではありながらも、バランスが取れた音色。中間部までは、それほど目立たなかった分、codaでは、信号ラッパとともに迫力あり。ライブ録音の効果を取り入れた長所を活かしていると思った印象。Finaleも、右側に位置するtimp.はsoloの部分も意識してか、左側の大太鼓とのバランスを含めて、旨く溶け込んでいると思った。
2015年8月14日 C.デイビス ACO No.100を聴取。第2楽章の打楽器群は左側の奥の方に位置。Finaleのcodaでも思ったより、打楽器群は控えめ。
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2015年11月4日  ノリントン ロンドンセット ライブ盤 No.100を聴取。第2楽章は思ったより速いテンポ。T8から管楽器のsoloの箇所が多く、ついつい弦楽器は余り目だないことが多い。しかし小編成を生かして、弦楽器のパートは、細かいところまで聴ける。打楽器群は中央に位置。これまでは、管楽器の各パートが離れ過ぎていて違和感も多少あった。しかしこの曲に関しては、館のsoloの箇所が多いこともあり、この配置の良さを発揮。
スコアをみると、打楽器群は、音の高さに変化がなく強弱のみ。すなわち他の楽器からすると、どの打楽器群はどの調性でも良い。T57ではc-mol の短調。しかしながら、最後はc-durでTuttiによる同じ楽器編成。打楽器は常に同じ音程ながら、それぞれの箇所は、短調と長調に違いで大きい。もし打楽器のみがこの箇所を演奏していたら。どの様に聴衆は感じるか?この楽章を聴いて、いつも思うことなのだが。音程に対しての人間の聴覚は、不思議な気がいつもする。
 FinaleのT94からのf指定は、再現部よりも多少、控えている。その分,codaに向けての盛り上がりはすばらしい。
 2015年12月23日 バースタイン盤を聴取。第2楽章の、打楽器群は、かなり大きな音量で登場。Finaleも同様だが、特に、トライアングルの音が鮮明で、第2楽章のリズムと大きく異なるのが印象的。
2016年1月2 日 Georg Solti London盤 の No100を聴取。No.100は、聴取記録では、視覚効果が高い交響曲と記載をした。No.101以降は、この様な雰囲気の曲から変わってくる。裏を返せば、ハイドンの交響曲の中で、soloを含めた交響曲の頂点に立つのが、この曲。(バースタインでも少し言及したが)
 ショルティの演奏は、現代のホール中央の良い席で、オケのバランスの良い音が、視覚効果を含めて楽しめる。すななわち、コンサートの最初から、打楽器群を含む演奏者が、第1楽章の最初から登場。第1楽章では、これらの楽器が全く出番がない。しかし第2楽章の途中から、ころあいを見計らって、一斉に登場。打楽器群ばかりでなく。管楽器を含む全てのパートが、あたかも協奏交響曲の様に、演奏されていく。Finaleでも、打楽器群が再登場し華やかに締めくくる。ショルティの演奏は、あたか現代楽器で視覚効果が高いまま、安心して聴けるのが特徴。
2016年4月25日 ホグウッドNo100を聴取。通常の楽器編成に加えて、打楽器が多くなる。Timp.の位置が、過去の録音と異なり、やや左側に位置。追加する大太鼓との対比のためだったかも知れない。第2楽章は、ついつい、Tuttiの打楽器に、耳がいってしまう。しかし、管楽器を含むpの柔らかい個所があるか、対比がされる。T7からの部分がその典型。T16のhr.の柔らかに音色などは、ホグウッドならではの表現と思った。
2016年8月12日 ブリュッヘンOrchestra of The Age of Enlightenment  No100を聴取。第2楽章の打楽器群は、ハイドンの交響曲の中で唯一登場する楽器。打楽器群は、他のパートに比べてかなり目立つように演奏される。中央のtimp.を除いてだがっきぐんは、左側に位置。シンバルとトライアングルの位置も少し離れていて、これらの楽器の分離感が良く分かる。T141からのpの部分になるが、ここでも、各弦のパートはpの指定を忠実に守り、p指定の打楽器群の音を目出せている。トライアングルが少し独自の動きをしているのも良く捉えている。
 16年8月12日 ザロモン編曲による室内合奏の No100を聴取。楽器編成は弦4部に加えてfl,とピアノフォルテが入っている。Fl.の扱いは、主にfl.のパートが主体であるが、第2楽章などは、fl.以外の管楽器のパートを受け持っている、楽器数が限られているので、管楽器を中心としたパートはどこが受け持つのか興味がある所。主に第2vn.(左側に位置)が受け持つ。
 第2楽章は当然、打楽器群が入らない。低弦はvc.までで、bassがないこともあり、柔らかい雰囲気。T152は、フルのオケでは、trp.だが、ここでは第1vn.が受け持つ。管楽器はfl.しか入っていないが、fl.四重奏曲あるいはfl。を中心とした室内楽の雰囲気はなし。あくまでfl.は室内楽の一員である立場。フォルテピアノは、バロック音楽なのでよくある低弦のパートを中心とした動きではない。Va.パート当たりの旋律を受け持ち、全体に厚みを加えている立場。
 他の作曲家の作品にも共通していると思うが、音の厚みが少ない分、各パート、特に主旋律以外の伴奏的な旋律が良く分かる。第2vn.が左側に位置しているので、vn.の細かい動きがブリュッヘンのオケ以上に良く分かる。迫力のある雰囲気とは全く対照的なので、聴く順番としては、もし聴き通していく場合、最初にこちらの室内楽版のほうを聴いてから、フルのオケのほうが自然な流れ。
2016年10月29日 E ヨッフム ロンドンフィルハーモニー管弦楽団 No.100聴取。弦楽器の配置は、第2vn.は左側に第1vn.と並んで位置。一方低弦は、右側に位置。ノリントンの様に右側に第2vn.が位置していないので、vn.の各パートは聴き取り難い。しかしこの第1楽章のT121の部分。通常の演奏では、第2vn.の下降する旋律が目立ち難いが、ヨッフムの演奏は、印象的。類似個所の再現部T264も同様。
 第2楽章の打楽器群は、弦楽器がかなり控えめに演奏。Trpは中央に位置。大規模の編成でモダン楽器で迫力のある演奏に終始。
2017年8月8日 N. アーノンクール  Royal Concertgebouw  Orchestra No100を聴取。第2楽章とFinaleで通常より加わる大太鼓などの打楽器群は、かなり派手に入っている。Finale t85からの第1vn.で提示される第2主題の部分。パイヤールでは、第2vn. vaの8分音符は伴奏の動機かもしれないが、重要だと記載した。アーノンクールでも、第1vn.と同様に強調されている。冒頭の8分音符の動機は最後まで切れ目が殆どなしに続く。打楽器群がかなり強調されているので、終わりに近いT322当たりから弦楽器のユニゾンによる動機はやや後退気味。


2018年5月14日 100番 ロスバウト バーデン=バーデン南西ドイツ放送交響楽団 を聴取。1953年の録音。視覚効果が高い曲として、自分なりにランクを上げている曲。管楽器はもちろん、大太鼓等の打楽器群も入ってくるので、聴取をする際には、各楽器のパート間の掛け合い、Tuittiでの迫力ある一体感が必要となる。しかしモノラルル録音でダイナミックレンジが狭いこともあり、やはり物足りなさがある。
 Finaleで 提示部の終わりの方でT86の部分。ここの第2主題は、短く、しかも p の指定になっている。大半の指揮者は、再現部で、打楽器群が伴うことを予測して、この箇所では、p でしかも 柔らかく演奏する。ロスバウトは、どの箇所も、柔らかいニュアンスを重視するが、この部分でも同様。
2017年8月8日 N. アーノンクール  Royal Concertgebouw  Orchestra No100を聴取。第2楽章とFinaleで通常より加わる大太鼓などの打楽器群は、かなり派手に入っている。Finale t85からの第1vn.で提示される第2主題の部分。パイヤールでは、第2vn. vaの8分音符は伴奏の動機かもしれないが、重要だと記載した。アーノンクールでも、第1vn.と同様に強調されている。冒頭の8分音符の動機は最後まで切れ目が殆どなしに続く。打楽器群がかなり強調されているので、終わりに近いT322当たりから弦楽器のユニゾンによる動機はやや後退気味。
 

2018年5月14日 100番 ロスバウト バーデン=バーデン南西ドイツ放送交響楽団 を聴取。1953年の録音。視覚効果が高い曲として、自分なりにランクを上げている曲。管楽器はもちろん、大太鼓等の打楽器群も入ってくるので、聴取をする際には、各楽器のパート間の掛け合い、Tuittiでの迫力ある一体感が必要となる。しかしモノラルル録音でダイナミックレンジが狭いこともあり、やはり物足りなさがある。
 Finaleで 提示部の終わりの方でT86の部分。ここの第2主題は、短く、しかも p の指定になっている。大半の指揮者は、再現部で、打楽器群が伴うことを予測して、この箇所では、p でしかも 柔らかく演奏する。ロスバウトは、どの箇所も、柔らかいニュアンスを重視するが、この部分でも同様。
 
2018年7月22日  T ファイ No.100を聴取。視覚効果の高い曲と以前から記載してきた。下記のブログにも記載されている。

http://micha072.blog.fc2.com/blog-entry-456.html

 第2楽章は、思ったより速めのテンポ。冒頭から始まる第1vn.の主題に対して、T2からva.の独自の動きがある。vn.の対向配置に対して、ファイでは、va.は右側のやや奥側に位置。T2から珍しく、va.が2つのパートに分かれている。ファイの演奏では、このva.の旋律をくっきりと目立たせる。va.のパートは、この楽章の後半ごろからは目立たなく、逆に管楽器のsoloパートに比重を置いている。このため、va.の動きが後半は、少なくなってしまうのが残念。打楽器群の中の一部は、即興的とも思うが、フライング気味に少し、早く登場するのも面白い。(T133)
 Finaleの展開部の冒頭で、テンポをかなり落とす。No.99のFinaleも同じような手法であったが、こちらの方は、かなり長い間にわたる。T122のtimp.(solo)のf 指定も、最初は、pから始めてT123のTuittiに旨くつなげている。Timp.が随所で、即興的に気持ちよく演奏するのは従来通り。この曲でも、随所に気持ちよく入っている。録音は通常通り、やや近めで低弦に厚みがある。低弦を含む各パートの分離感も良好で、視覚効果の高い曲を旨く表現していると思った。
 2018年7月26日 オットー・クレンペラー ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 100番を聴取。 新・世界の名曲からの分売の1枚。ライナーノートはないが、恐らく過去の1965年頃の過去の音源と推定。下記のブログもLPのレビューがある。これによると、CDの音源は今ひとつの記述がある。

http://haydnrecarchive.blog130.fc2.com/blog-entry-1445.html

 第1楽章 冒頭の第1主題は、1本のFL.と2本のob.て弦楽器を伴いないで登場する珍しい手法。こも部分で、各パートがくっきりと、軽快に登場する部分が印象的。軽快と記述をしたが、恐らくT25fl.の最初の旋律がスラーではなくスタッカーに近い雰囲気で演奏しているのではないか。再現部のt2100も同様。Vn.は対向配置。

第2楽章のテンポは、ややゆっくり目。大太鼓等を含む打楽器群はそれなり迫力がある。しかし残念なことに、Finaleで再度、登場する打楽器群の録音が、が大きく。明瞭でない。第2楽章と同様に、歪がなく迫力がある締めくくりがあれば良かったが。 この現象は、丁度 LP で片面の最後で現れる、内周歪のような雰囲気。元はテープの音源であると思うが。最後に向かっての録音がよくないので、全体的に印象が少なめ。
 
2018年7月29日 100番 B ワルター ウイーンフィルフィル管弦楽団 を聴取。ライナーノートには、録音は1960年頃しか記載してない。ステレオ録音で思ったより、ダイナミックレンジと左右の広がり感と奥行き感がある。ピエール・モントゥー ウイーンフィルの録音よりも、低弦に厚みがありピラミッドの様な、厚みのある録音。1960年頃の録音とは思えないが、デッカなどとも違う雰囲気。
 テンポは概して遅めに終始。vn.は対向配置でない。繰り返しは一部で採用。第2楽章の打楽器群は、かなり派手に入っている。
 Finaleの提示 第2主題の部分。8分音符の旋律が常に常に入っているので、第2主題の旋律が目立ち難い。それでも、T94で低弦が他のパートに負けることなく、明白に聴こえる。再現部からcodaになると、この類似部分は打楽器群を含めて、総出演の中、低弦はここでも活躍。モダン楽器に加えて、低弦の厚みのある録音が特徴。
 
2018年9月5日 100番 N.マリナー アカデミー室内管弦楽団 を聴取。LPであるが、下記のブログにレビューが記載されている。第2楽章のFinaleの打楽器群は、余り目立たず。しかし違和感はない。
 一番印象に残ったのはMenuetの部分。ハイドンの交響曲では普段からva.は余り活躍しない。しかし第2楽章には珍しくva.が2つのパートに分かれる箇所がある。マリナーの演奏は。vn.は対向配置でない。その分、Va.は右側の手前に位置している。va.のパートが良く分かる。MenuetT8の部分。No.97と同様に、Menuetの前半は繰り返しの採用がないので、注意深く聴く必要がある。ここではbass.とva.がピチカートで引いている。アンリナーの演奏では、va.の重音をを含めて、明確に聴き取れる。その他の箇所も、各パートが明白に聴き取れる。特にこの部分が印象に残った。
 2018年9月17日 レナード・スラットキン フィルハーモニア管弦楽団 No.100を聴取。第2楽章の大太鼓等の追加の打楽器群は、左側に位置。テンポはこの楽章を含めて概して速め。追加の打楽器群は、そこそこ目立つが自然な感じ。
 
2018年10月4日   ロイ・グッドマン ハノーヴァーバンド 100番を聴取。。第1楽章の第1主題で、O クレンペラーでは、fl.の受け持つ部分がスッタカートと記載をした。こちらの方は、通常のスラーだが、古楽器のため音量が少し小さく柔らかい雰囲気。音量が小さい分、弦楽器とユニゾンでは管楽器が埋もれ気味。第2楽章からの追加の打楽器群は奥側で、どちらかといえばTuittiでも控えめに位置。Menuetは回帰してくる部分で、後半の繰り返しを採用。
 B ワルター盤では、Finaleでピラミッド上の低弦の厚みを記載をした。この演奏では全く逆の立場で、古楽器の特徴を生かして低弦も柔らかい雰囲気。
第2楽章の前半からvc.のsoloが入るが、右側端のかなり手前に位置。va.がその分、右側中央のやや奥側にあるかもしれない。第3楽章trioでもvc.のsoloが高音域で活躍するが、スッタカートの部分は、ピチカートで引いているかもしれない。左右にかなり広がった録音。演奏の解釈としては、No.94と同様に、素直な雰囲気に終始。
 
2018年11月1日 100番 カール ミュンヒンガー ウイーンフィルを聴取。ウイーフィル魅惑の名曲からの分売を入手。No.100に加えて、No.104 カラヤン盤とのカップリング。ミュンヒンガーは初めての聴取。1961年の録音。
 第1楽章の序奏のテンポはかなり遅め。vn.は通常配置。モダン楽器で奏者の数も多い。弦楽器の厚みが大きいが、低弦がかなり厚みがあるほどではなくピラミッド状ほどではない。第2楽章の追加の打楽器群は、やや左側に位置し、結構、派手に入っている。trp.のファンファーレは、左側のやや奥側。Finaleではtimp.が結構、派手に登場。全体的に各パートの分離感はそこそこあるが、メインはvn.が中心になっている。その分、各パートの掛け合いが今ひとつの印象。
 

2018年11月4日 100番 ヴォルフガング・サヴァリッシュ ウィーン響 を聴取。下記のボルグにも レビューが記載されている。1961年の録音で音源は同じであるが、こちらはDECCA版でNo.101とのカップリング。(No.94はなし)

http://haydnrecarchive.blog130.fc2.com/blog-entry-897.html


http://micha072.blog.fc2.com/blog-entry-814.html


モダン楽器で大きい編成。だたし、先日聴取したカラヤン ウイーーフィル盤と比較してダイナミックレンジが少し狭い。しかし低弦の厚みはこちらの方がやや大きめ。中庸なテンポながら冒頭から、切れの良い演奏。第2楽章の追加の打楽器群は少し控えめ。その分timp.や終わりの方のT152からの第2trp.のsoloはかなり前面に出ている。

 Menuetの主部でT40の低弦の部分。ここでは実音でvc.とbassがあわせている部分であるが、音色が独特な部分。サヴァリッシュの演奏では、低弦に厚みがあり少し不気味な雰囲気が良く出ている。




2018年12月29日 クイケン ラ・プティト・ バンド No.100を聴取。第1楽章の第1主題からのテンポは、かなり速め。第2楽章の追加の打楽器群は中央、やや右側に位置。余り派手には鳴らさない。要所は打楽器群も抑えている雰囲気。Finaleで第2楽章に登場した打楽器群でも同様。トライアングルは他の追加打楽器と異なり、8分音符(3連符)で鳴らす。他の打楽器と拍子が異なるのが良く分かる。... 
 2019年5月25日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 100番を聴取。No.99と同様にレンジが狭く、音の定位感、分離感が不明瞭。Finaleで追加の打楽器群が再登場する部分。内周歪のためか、第2楽章のTuitti以上に歪が目立つ。録音の影響が大きく印象が少ない。
 、2019年11月28日 100番 カール・リヒター(Karl Richter) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を聴取。この曲の第1楽章はNo.102と同様に、複数でありながら共通した単一動機が活用され、練達の様に展開していく醍醐味があると思う。冒頭の序奏はテンポは、No.94と異なり普通。提示部のT35の部分。vc.とbass.が分離する部分していく箇所でも弦の厚みを生かして、この演奏でもよいポイントのひとつ。下記の R スラットキンのレビューに譜面あり。

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-992.html

第1楽章はsoloの箇所が少なくその分、No.102と同様。弦の各パートが自在に動き回って、対向配置でないもののよくわかる。ただ残念なことに、オリジナルの音源によるものか、第1楽章の終わりに近い部分で弦楽器を中心に、「ひずみ」がかなり目立つ。終わりに近い部分まで、このひずみが全くなかったのに、この箇所は盛り上がりになる聴き所なので、マイナスポイントになってしまう。第1楽章の提示部も反復なし。
 第2楽章の管楽器のsoloの箇所は、第1楽章に対して目立つ。録音のピックアップがやや不自然な雰囲気。第3楽章のMenuetも繰り返しを一部省略。この曲で大規模なMenuetを味わうのに、カットは残念。録音の差がとひずみのために、No.94よりは、印象が落ちると感じた。
 2019年12月8日 100番 プラハ室内管弦楽団 指揮者なし を聴取。この曲以外に No.101と No.94の第2楽章が収録。1982年の録音になっているが、レンジが当時としては、かなり狭い。管楽器の奥行き感は普通だが、レンジが狭いためTuittiでの弦楽器を中心とした迫力さが不足気味。Timp.は左側でtrp.は右側で分かれて配置。vn.は通常配置。
第2楽章は、va.の分離などもあり、cl.などの掛け合いなども興味のあるところ。各パートの分離間が余りない雰囲気。管楽器のsoloの箇所が多いので管楽器の各位置も興味のあるところだが、やや不明瞭。追加の打楽器群は、右側のやや奥で控えめになっている。全体的な印象は余りない。
 2019年12月27日 100番  ブルーノ・ワルター コロンビア交響楽団 を聴取。No.88から引き続く。Walter最晩年の録音で 集中的に録音されているようだ。演奏スタイルは、No.88と同様に、ゆっくりしたテンポ。録音もこちらも、とても約60年前とは思えない。各パート特に、弦楽器の低弦の低位感もよく分かる。低弦でbass.は左端の方に集中している。W サバリッシュの演奏で第3楽章 Menuet の低弦の分離について記載をした。(下記のレビューに譜面あり)

http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1028.html

ワルターの場合は、サバリッシュ以上に鮮明な録音。このT40では低弦 vc.とbasws.が同じ音程のユニゾンで引く。1オクターブ離れていないために独特な音色になる。T40の旋律は低弦以外に他のパートはほとんど休むために、聴き所の一つになる。 第2楽章とFinaleの打楽器群は、かなり派手目に入っている。セッション録音とは言え、ライブで聴いている雰囲気。ホールの中央よりでオケの奥行き感と広がり感が満喫できる録音。
 晩年のワルターは、このコロンビ交響楽団を録音するにあたり、本人の体調を考慮して、1日の録音は時間までとした記述があった。本人の体調を考慮しながら、集中的に録音をした可能性もある。録音の回数も制限されたこともあり、ライブの雰囲気が多いのかもしれない。
 2022年3月28日 100番 Thomas Beecham Royal Philharmony orchetra トーマス・ビーチャム ロイヤルフィルハーモニー を聴取。ザロモンセットは、セットでの販売がされているようだが。今回は1枚ものでNo.100,101,104の3曲が収録。日本盤で大木正純の解説がライナーノートに入っている。
 1959年の録音だがステレオ。同じ録音時期の頃にB ワルターの 同じ曲のレビューを記載した。この時は鮮明で分離感の良い録音を記載した。こちらの演奏は、レンジが少し狭い。また管楽器は中央に位置するが分離感が分かり難く、弦楽器との奥行き感も余り分からない。
 テンポはやや遅めの時もあり、録音のせいか、tuittiでも柔らかい雰囲気。第3楽章のMenuet  T40の低弦の分離する箇所。サバリッシュなどは、この部分で実音の重なりがよくわかると記載した。(下記の自分のブログに譜例あり)


http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1028.html


この演奏では、レンジが狭いこともあり余りよく分からない。得てして第2楽章から登場する打楽器群にこの曲は注目が集まる。第2楽章の途中までは、追加の打楽器群は演奏しない。初演当初は、聴衆は、どの時点で打楽器群が演奏するのか、とても興味があったに違いない。丁度、No.88にも共通すると思う。(No.88は第2楽章の途中から追加の打楽器群が初めて入ってくる)
 打楽器が入るが、管楽器を中心としたsoloの箇所も随所にある。Soloの箇所はもちろん、弱奏になるので、音量の差が聴き所にもなる。古楽器のクイケンなどは、奏者が少なくても、この音量の差が印象に残った。それに対してこの演奏はレンジの狭いことが影響し、私としは印象が余りない。