通
No |
Hob.
No. |
通称名 |
作曲年 |
調性 |
楽
章
数 |
fl |
fg |
trp |
cl |
timp |
cmb |
ランク |
聴きどころ、ポイント |
66 |
61 |
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1776 |
D |
4 |
- |
1 |
- |
- |
- |
(1) |
C |
後期に通じる旋律と強弱の対比が充実したMenuet |
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1 |
D |
Vivace |
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2 |
A |
Adagio |
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3 |
D |
Menuet&trio、allegretto |
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4 |
D |
pretissimo |
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2017年5月2日 T ファイ No.61を聴取。過去のランクで自分なりにCとしている曲のひとつ。管楽器のsoloが随所にありながらも、Finaleは流れるような変奏曲。過去の記事については、No.52の部分で交響曲の分水嶺について記載をした。分水嶺の曲でさらに追加で候補を上げるとすれば、この曲があがると思う。緩叙楽章ではvn.の弱音器の指示がある。これは中期以降の曲では、しばしば用いられる手法。
ファイの録音は近接音がかなり多い。特に管楽器でのキーを切り替えている音などを含めて細かい音まで鮮明に聞こえる箇所がある。ダイナミックレンジが広く、強弱の差がかなりある。各パートの分離感が広いことに加えて、繰り返しでは同じ演奏にならないような解釈を何度も記載して来た。
そのひとつが、この第2楽章の冒頭部分。提示部がかなり長くて全体156小節の内、58小節を占める。(さすがに、展開部と再現部の繰り返しはないが) 調性こそ違うが、No.64の第2楽章のように、通好みで細かい音のニュアンスまでじっくり聞かせてくれる楽章のひとつ。冒頭の第1主題は、最初の部分は、第1vn.弱音器を付けているが強調して登場。この旋律でvc.の対旋律も重要だが、最初は目立たせていない。一方、繰り返しの部分は、第1vn.は音量を最初よりは落とし、vc.の対旋律を目立たせている工夫がある。展示部の終わりのT54あたりからさらに音量を落として、聞こえるかどうかの微妙な音。ダイナミックレンジが広い録音とも相まって、この微妙な音も捉えている。特に緩叙楽章では録音のよさがポイントだが、ファイの演奏は、うまく当てはまる。
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2019年4月18日 エルンスト・メルツェンドルファー ウィーン室内管弦楽団 61番を聴取。ハイドンの交響曲の中で、もっとも多いD調のひとつ。No.57やNo.53でD調の共通した点を少し記載した。作曲年代はNo.57やNo.53と大差はないと思うが、こちらの方はsoloの箇所が多いこと。短い動機の主題よりも全体的に様々なやや長い動機が、散在している箇所があること。交響曲の分水嶺の様に、過去のスタイルを今後のスタイルの両方が見出せる雰囲気。
ひとつ前のNo.60では2つのパートに分かれたva.について記載をした。こちらはva.の分離はなく、soloはもっぱらvc.の箇所が多い。緩叙楽章で、ややテンポを落とし、謡うような雰囲気をだすことが特徴のひとつと思う。メルツェンドルファーではこの特徴を旨く生かしているが、第2楽章の冒頭も同様。第2vn.とvc.の対旋律も冒頭から重要展開部T65の部分で、この旋律がvc.でも登場するがsoloになっている。この部分でも soloの表現を旨く出している。
再現部の冒頭T85は冒頭と殆ど同じだが、この箇所でもvc.はsoloで引いているような柔らかい雰囲気。低弦の柔らかさが特徴のひとつ。第3楽章 Menuet のTrioの部分。ここでも得てして、ob.のsoloが目立ち弦楽器の第1、2、vc.+bass(va.はない)が受け持つ。低弦のvc.とbass.は得てして余りはっきりしないと思う。しかしメルツェンドルファーの演奏では、vn.とともに、低弦がsoloの様に柔らかく表現。初期の頃の録音で、不自然だった録音は全く影響ない。Soloを含む柔らかい表現を、全曲を通して旨く出している。推薦する曲のひとつとしても良い。
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2019年8月16日 61番 ニコラス ウオード The Northern Chamber Orchestra を聴取。8番目のCDで3曲目に入っている。同じCDの中で、アントニーニのように、企画やテーマなりがあれば選曲にも納得がいく。しかし、この全集に関しては、この様なテーマなりが見え難い。No.24、23から引き続いて聴取するとなおさら、そのテーマなりが見えない選曲と思う。
NCO自体の奏者は、No.24にも記載をしたが、vn.はホームページによると7名が記載されている。Vc.とbassは1名のみ。ホームページの複数の写真を見ると、低弦は複数いるようだ。写真の奏者はエキストラで出演しているのかもしれない。しかしいずれにしても低弦の奏者はそれほど多くないようだ。モダン楽器で奏者が多いと、低弦の旋律が目立っても、細かい音色や強弱がわかり難いときもある
元々この曲自体、管楽器を中心にsoloの箇所がとても多く、Tuittiとsoloを含め、強弱や音色の対比が複雑になっている。一度、聴いただけでは、この微妙な対比がわかり難い。この演奏では低弦に関してbass.との分離を含めて細かいニュアンスが数多く伝わってくるようだ。たとえば第2楽章の冒頭の部分。第2vn.とvc.を含む低弦のほうに最初に主題があるようだ。この部分でも、ユニゾンで第2vn.と低弦との音色が鮮明。展開部のT65で、vc.のみが、bass.と分離して再登場する部分がある。この箇所は、提示部と調が異なる。またウオードの場合は、この部分でvc.はsoloで引いている様な、微妙なニュアンスを表現。
Menuet のTrioの部分でも、低弦はabssとは分離しないが旨い表現。(下記のメルツェンドルファーのレビューに譜面あり)
http://mistee01.blog118.fc2.com/blog-entry-1147.html
この曲はNo.53の頃の1776年頃の作曲と大差はない。しかし同じ調性のNo.53と比較すると明らかに、soloを中心とした、軽やかさや華やかさが前面に押しだされている。同じ頃に作曲された曲の中で、No.53と比較すると興味深い。No.53は当時から人気で、Finaleも複数のバージョンがあるようだ。しかしどのバージョンのFinaleでも全体を通して聴くと、soloを控えてザロモンセットの交響曲の先駆となるような雰囲気。一方、こちらの方は、同じD調で緩叙楽章は変奏曲。しかし随所にsoloやoperaブッファを思わせるような、明るく軽い箇所もある。小編成であるこの演奏は明るく軽い表現を旨く出していると思った。
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