11.交響曲の分水嶺 
 hrを例に取っての楽器のパートについて 2011年10月22日 記載1770年代の前後に、作曲年代が自筆楽譜で確定しているのは、No45−47は1772年。No54−58は1774年がある。(他にもあるかもしれないが)。この前半の45‐47シリーズと54ー58シリーズの両者ををまとめて比較してみると、明らかに違いがあると思う。
 ハイドンの作曲年代を様々に分けることは可能であろうが、そのキーポイントは、大衆あるいは聴衆への「わかりやすさ」があると思う。前半のシリーズは、あくまで、エステルハージ楽団の演奏の範囲内を想定した作曲ではないか。
 soloパートが至る箇所にあり、楽章によっては、めまぐるしい転調。一部では、他の楽章の旋律を別な楽章に持ってくるなどの実験的な試みもある。これらは、演奏技術の高い、決まった楽団があっての演奏だからこそ、作曲ができたのであろう。
 それに対して、後者のシリーズでは、転調は、同じ様にあるが、soloの箇所が明らかに減っている。作曲者は、大衆や聴衆への分かるやすさを重視したために、soloの箇所を減らしたのでないか。また、楽譜が次第に数多く出版され行き、各地で広まっていくことを意識し始めたのも原因ではないか。出版は印刷技術の向上が多いと思う。また、楽譜の出版とあわせて、各地で演奏もされる。その際には、どのパートもsoloで演奏できる様な高い技術をもったエルテルハージ楽団ばかりとは限らない。むしろ、soloのパートの演奏は困難な楽団が多いであろう。そうなると、soloパートの箇所は必然的に減ってくる。
 このNo51の第2楽章は、2人のHrのsolo(正確には複数の奏者なのでsoli)が活躍する。soloは、楽章を殆ど通じて活躍し、他の楽器は、殆ど伴奏に徹している。この頃より後の曲は、もはや、楽章を通じて、全般で活躍する手法は、見られないと思う。この曲は、エルテルハージ楽団のsoloの様式を残す最後の曲の特徴であると思った。 特に、2人の奏者は、音域がとてつもなく広い。井上著の本では、高い変イ音まで上がるが、この音を出す不可能に近いと言う。
 一方、第3楽章のMenutetでは、2つあるTrioは、実験的な要素になる最後の方の試み。Finaleは、今後もしばしば採用採用されるロンド風の変奏曲を採用するなど、今後のスタイルを確立してい行く様式。聴衆への「わかりやすさ」をキーワードとして、104曲余りの交響曲を2つに大別した場合、この曲が中間点、あるいは分水嶺に相当すると思った。