10.ハイドンのサイン 
「サインを通しての当時の市民と人気作曲家の関係」
(その1) いつもハイドンの交響曲を聴くのにお世話になている、井上太郎氏著「ハイドン106の交響曲を聴く」の本を見ていた。その中で、音楽会の入場券にハイドンのサインがはいっている記述があった。1791年5月16日 ハノーヴァー・スクエアで開かれた音楽界の入場券の写真があり、右下の方にハイドン自身のサインが入っている。
 なぜ、作曲者自身のサインが入場券に入っているのかについて。この理由などは、この本には書いていなかった。現代では、コンサートの入場券で、演奏家などのサインがあると思う場合。通常は、印刷された入場券の記念に、所有者が作曲者にねだってサインを依頼したためと推定していた。サインの入った入場券は、それこそプラチナ級のチケットであろうし、将来に渡って残る価値は高いと思っていた。
(その2)
 ところが、以下のサイトを見ると、どうも、この入場券は、全て、作曲者が、1枚、1枚、「手書き」でわざわざ書いたらしいことを最近知った。

ウィーン楽友協会記録室長
オットー・ビーバ博士の談話室
http://www.haydn2009.jp/home.html

この理由は、当時、ハイドンのコンサートは大変な人気で偽物のチケットが多く出回っていたためとのこと。本物のチケットを証明するために、わざわざ作曲者のハイドンが手書きで1枚づつ、サインをしたらしい。その枚数は1000枚以上にも渡る。ハイドンが、わざわざサインをしたことには、敬服するばかりである。 コンサートの招聘先でもあり、興行元のザロモンから、このサインを頼まれたのかもしれない。あるいは、ハイドン自身がコンサートを成功させるために、自分で思いついた手段かもしれない。
 当時の日本なら、サインなどしなくても、公印で代用ができるかもしれない。しかし、サインの習慣が多い西洋であるから、1枚ずつの方法をとったのかも。
(その3)
 自筆楽譜などで作曲者自身のサインを今日も見ることは可能であろう。当時のコンサートは、庶民としては価格が高かったかもしれないが、それでも身分の区別はなく、入手は可能であったかもしれない。当時の人気作曲家のサインなど、中々、市民には直接手に入る手段は難しいであろう。(今日でも、有名な指揮者や演奏家のサインを得るのは、難しい。その反面、サインは貴重な存在となっている。)
 しかし、コンサートの入場券と言う、媒体を通して、当時の市民が作曲者のサインを得ることができたのは、意外に思う。それと同時に、市民と作曲家が身近な関係であったと思った次第。